真山と柴田は捜査のために警視庁を出た。
この季節には珍しい、さほど強くない風が、柴田の綺麗に整えられた髪をふわりとなびかせる。 その風は、真山の鼻腔に柴田がまとっている香水の香りを運んでくる。
中身は、いつもと全く変わらない柴田のはずなのに。 この匂いが、この髪が真山の調子を狂わせていた。
そんなことに全く気づかない柴田は、いつものようにぽてぽてと歩いている。 「…なぁ、今日はどこに行くんだ?」 「めずらしいですね。真山さんが捜査の事に興味を持たれるなんて」 「あのね、捜査に興味があるわけじゃないの。自分の行き先に興味があるの。またぐるぐる回されちゃあ、困るでしょ?」 「…なるほど」 「で、どこ?」 「えっとですね、たしかここに…」 そういって柴田が調書を読もうとした瞬間。
キキ〜ッ!! 運転を誤った車が柴田のほうに突っ込んできた。 「バカッ、柴田っ!」 間一髪で、真山の手が華奢な柴田の体を掴む。
「…大丈夫か?」 真山が小さな声で柴田に聞く。 「はい…」 柴田は唖然とした表情で漸く答えた。 真山がほっとしたように大きくため息をつく。 「…重いんだけど?」 その声で我に返った柴田が、漸く状況を理解した様だ。 事故とはいえ、柴田は公衆の面前で真山に抱きかかえられていた。 「きゃっ、な、何なさるんですか?真山さんのエッチ!」 柴田が何を勘違いしたのか、顔を赤くして立ち上がる。 すぐに、真山は柴田を助けた事を後悔した。 「何するんですかじゃないよ!俺だって好き好んで、お前を抱きかかえたわけじゃないよ! 助けてやったんだよ、慈善事業、ね?変な言いがかり止めてくんない!?」 しまった、と柴田は思った。 こういうパターンの時の真山は、必ず柴田の頭を叩くか、掻き毟る。 今の騒動で、少し乱れてしまったけれど、それでもいつもよりは綺麗な髪。 思わず、頭を抱え込んで、真山の攻撃を避けようとする。
「何やってんの?」 「は?」 「行くよ、ほら」 少し潰れかけている車を無視して、真山はさっさと一人で歩きだしてしまった。 いつもと違う真山の態度に少しほっとして、…けれども少し寂しかった。
無言で歩き出す2人。 2人が無口なのは、いつもの事だった。 しかし、今日の2人はどこか違う。 2人の間には、いつもでは考えられない「よそよそしさ」が生まれていた。 真山が、柴田の頭を叩こうとはしない。 柴田が、事件以外のことを考えている。 普段の2人からすると、考えられないことだった。
どれぐらい、そうして歩いていたのだろうか。 大きな交差点の前、赤信号に従って二人が並んだ。 先に、沈黙を破ったのは真山の方だった。 「…なぁ、柴田。それ、気に入ってんの?」 「え?何のことですか?」 「香水だよ、香水。それと、その髪の毛」 「あぁ。そのことですか。…真山さんはどう思いますか?」 「俺の意見なんてどうでもいいじゃん。こっちが聞いてんだけど?」 「はぁ、気に入っているといえば…気に入ってますが」 「ふ〜ん。あっそ」 「…真山さんは、お気に召さないようですね?」 「何で?」 「なんとなく、です」 真山は自嘲するように笑って、下を向いた。
「別に、お前が香水つけようが、化粧しようがどうでもいいんだけどさぁ」 真山はゆっくりとだるそうに首を回し始めた。 「な〜んか、調子くるうんだよね」 「はぁ」 「そうやって、きれいな髪の毛されるとさぁ、いつもみたいに叩いたり、かき回したり出来ないじゃん?」 その言い方が、なんだか少しすねている子供みたいで。 柴田はクスリと笑ってしまった。
「それに、その匂い。な〜んか、どっかのオネーチャンと一緒に歩いているみたいで、落ち着かないんだよね」 ここまで来ると真山が駄々をこねているようにしか見えなくて。 柴田は、自分の中にある「母性本能」を、初めて確認できた。
「落ち着きませんか?」 「まあね」 「…実はね、私もなんです」 柴田は、にっこりと笑った。 「いつもみたいに私の頭を叩かない真山さんなんて、気持ち悪いです」 「お前ねぇ」 真山もクスリと笑う。 「いつもの真山さんがいいです」 「…変なヤツ」 「そうでしょうか?」 「そう。変だよ、お前。自覚ないの?」 「真山さんの方が変わってらっしゃると思いますけど…」 「生意気、お前」 そういって、真山は柴田の頭を叩こうとして、ためらった。
「どうそ。いつもみたいに叩いてください。真山さん」 真山はその言葉に顔をくしゃくしゃにして笑った。 「やっぱ、変だよ。お前って」 そうして、柴田の頭をぺちんと叩いた。 「えへへ、痛いです」 柴田は頭をさすりながらもどこか嬉しそうだった。 「ば〜か」 真山の顔も笑顔だった。
「俺もさ、いつものお前のほうがいいよ、安心する」
いつの間にか信号が変わっていた。 真山の言葉は人の波にかき消されそうな小さな声で。 けれども、柴田の心に、しっかりと刻み込まれた。 大切な宝物のように。 |