夢人
夜の病院の中庭。 それ程深い時間ではないのに、やけに暗い。 病院の消灯時刻が過ぎている為だ。 中庭の片隅の古ぼけたベンチに真山は座っていた。 あの島から帰ってきて数日。 柴田と一緒に救助された真山は、謎のガスを吸った後遺症と大海原を彷徨ったお陰で、ここの病院に入院させられていた。
真山が小さく伸びをすると、背骨がぽきぽきと鳴った。 いつまでこんな所に閉じ込められればいいのだろう。 いい加減、体がなまってしまう。 薄暗い中で、真山は自分の掌をじっと見た。 手をぎゅっと握ると、短い爪でも掌に少し食い込んで来て、痛みを感じる。
その時、後ろで大きな音がした。 見つかったかと思い、振り向くと、黒い塊が茂みの中でうごめいている。
真山の顔つきがさっと変わる。 こんな時に、自分は刑事だと真山は自覚する事が出来た。 「・・・誰だ?」 小さい声で尋ねる。 習性で入院着の懐に手を入れて、今はもうない拳銃を探す。 「・・・いった〜い」 しかし、茂みの中から聞こえたのは、聞きなれた声だった。 ずるずるとその人物が現われる。 「・・・何してんの?」 「えへへ」 暗闇の中、柴田のババシャツがぼんやりと浮かび上がっていた。
「真山さんはなにしてるんですかー?」 のんきな柴田の声が静かな中庭に響く。 「・・・人来るぞ?」 小さな声で真山が諌める。 柴田はあっと小さく言うと手で口を覆った。 それからゆっくりとその手を離し、小さな声で真山の耳に囁く。 「こんなところで何していたんですか〜?」 真山はくすぐったそうに柴田を手でよける。 「別に?・・・お前は?」 「私ですか?私は、真山さんが見えたので・・・」 えへへと柴田が笑う。 「どっから来たの?」 「病室の窓からです」 「病室ってどこ?」 「2階の・・・あ、ここから見えますよ?」 べちん 柴田のおでこからいい音がする。 「病院に怪我しに来てんの?お前」 「・・・すみません・・・」 叩かれた場所をさすりながら、柴田はしゅんとうなだれた。
うなだれる柴田を横目で見ながら、真山は首をこきこきと鳴らした。 「・・・どう?」 急な真山の問いかけに、柴田が慌てて顔をあげる。 「え?何がですか?」 「カラダ」 「あ、はい。ちょっと点滴打ってもらったので、もう平気です」 「・・・あっそ」 「真山さんは?如何ですか?」 「まあまあ」 「よかった・・・一緒に退院出来るといいですね」 真山からは見えなかったけど、柴田はにこりと笑ったのだろう。 そんな気がした。
短い沈黙が流れる。 あの島を出てから、二人が顔を合わせたのは今日が始めてだったからだ。 海で漂流した時も、救助された船の上でも、二人はほとんど話をしていなかったのだ。
あの島で、本当は何があった?
どこからが現実でどこからが夢なのか。
何故か、怖くて訊けない。 真実を知っているのは、きっと今隣にいるこの人物しかいないと思うのに。
「・・・真山さん」 口を開いたのは柴田だった。 「ん?」 真山にとって、今ほど煙草が吸いたいと思ったことはなかった。 「怖く・・・ないですか?」 「何が?」 「・・・眠る事、です」 柴田が静かにそう告げると、真山は柴田のほうに視線を移した。
「私、怖いんです。目を閉じて、次に目を開けたら、また、あの島にいるような気がして・・・」 柴田はぎゅっと自分の腕を抱きしめる。 「ここにいることの方が、夢なんかじゃないのかって・・・」 暗闇の中ではあったが、柴田が真山の方を見あげているのがよくわかった。 潤んだ目が月明かりに反射してキラキラと光を帯びる。
「・・・あの島は、怖かったのか?」 真山が訊いて、柴田は少し考えた。 「わかりません・・・でも、あの島で私は泣いていました」 軽く目を閉じ、真山は頷く。これも、柴田からは判らないのだろう。 「真山さんは、怖くありませんでしたか・・・?」 逆に、柴田に質問をされる。けれど真山は考えずに答えた。 「怖くなんてねえよ」 「そうですか・・・」 柴田が力なく頷いた。
二人の間に、一瞬、同じ考えがよぎる。
同じ夢をみたと思っていた。 けれども、本当はそうではなかったのかもしれない。
「ちゃんと寝てるか?」 真山が質問を変えた。 「・・・いいえ。お薬を打たれた時しか眠れないんです」 柴田が少し苦しそうに言った。無理もないだろう。 「そうか・・・」 そうとしか返事が返せなかった。
真山は冷たくなってきた掌を口元に当てて、息を吹きかけ、暖める。 春に向かっているとは言え、夜は冷える。 そろそろ戻ろうと声を掛けようとすると、柴田が急に喋り始めた。
「真山さん・・・」 「ん?」 「私ね、あの時の事、あまり覚えていないんです」 それは本当だろうか。それとも柴田がそういうことにしたいのか。真山は一瞬だけ考える。
「でもね、真山さんがいてくれたのは、覚えています」
柴田はいつもよりもゆっくりとそれを口にした。 真山はまた、黙ってしまう。
「助けてくれたんですよね?」 問いかけの言葉があって、漸く真山は返事をする。 「・・・さあな」 あの時、柴田を助けることが全てだった。 「・・・ありがとうございます」 柴田がお辞儀をしたのが音でわかる。 けれど、柴田の為じゃない。自分のためにやったのだ。
「・・・柴田」 「はい」 「ちゃんと寝ろ」 「え?」 「ちゃんと寝て、おとなしくして、体治せ」 「真山さん・・・?」 暗闇の中でも、不思議そうな顔をしている柴田を、すぐに思い浮かべることが出来る。 「弐係に戻ってきたんでしょ?捜査したくないの?」 「したい・・・です」 「じゃあ、ちゃんと寝ろ」 「でも・・・」 きっと今度は困った顔。情けない顔。 想像しただけで、ちょっと笑えた。
真山はその笑顔のまま、ゆっくりと腕を柴田の方へ伸ばし、手探りで抱きしめる。 「・・・真山さん?」 この声は、きっと嫌がっている声ではない。 「寝ぼけてんじゃないよ。どう考えたってこっちが現実でしょ?」 「え?」 「夢は夢。現実はちゃんとあるから心配すんな」 真山の腕の中の女の頭は、いつもと同じにおいがした。 あの、海の上と同じにおい。 「・・・はい」 いつになく素直な声が聞こえる。 真山は抱きしめたまま、ぐちゃぐちゃと柴田の頭を撫でた。
現実と夢の境目は、何処だったのだろう。 そして今いるこの世界も。 全てが夢で、全てが現実。
せめて夢の中で、せめて現実のこの場所で。
君が、ここにいればいい。 |