約束
真山は静かに自宅のドアを開けた。 自宅といっても、築何年になるかわからない、古びたアパートの一室だ。 ゆっくりとドアを開けても、ぎぎぎと耳障りな音がするくらいの。
「・・・お帰りなさい」 「うわっ!!」 急に声を掛けられて、真山はびくっと飛び上がりそうに驚いた。 こういうのに弱いのだ。 しかし、良く見ると声の主は幽霊でもお化けでもなく、自分の妹の沙織だという事に気づく。 「・・・何、起きてたの?おどかすなよ〜、お前」 まだ静まらない心臓の辺りを押さえて、真山は妹に言った。 「ご飯、食べるでしょ?あっためてあげる」 「お、ありがとね」 パジャマ姿にカーディガンを羽織った沙織は、スリッパの音をさせながら、キッチンへと向かっていく。 真山はその後姿を見ながら、上着を脱いだ。 もう幾つになっただろうか。 少し前まで鼻を垂らしてべーべー泣いてたくせに。
「お前、こんな時間まで起きてていいわけ?明日学校でしょ?」 コタツに入りながら、後姿の妹に話しかけた。 「明日は祝日」 後姿はこちらを振り向くことなく冷たく言い放った。 「そーだっけ?何の日?あ、お前が休みならこどもの日か〜?」 「もー、こんな真冬にこいのぼりが泳ぐわけないでしょ?」 兄の発言にあきれた様子で、沙織は茶碗によそったご飯と箸と漬物持ってきた。 「お味噌汁と肉じゃが、今あっためてるからもうちょっと待って」 「おー、いいねぇ。肉じゃが」 嬉しそうに真山は早速箸を取った。 しば漬けをぽりぽりと口にする。 「こんな時間まで大変だね。刑事さん」 「まー、都民の安全の為ですから?」 「・・・おにいちゃんがそんなまっとうな理由で仕事をしているとは知らなかった」 「何だよ?俺はいつもまっとうでしょ?」 「お給料もらって暴れられると思って警察に入ったんじゃないの?」 「お前ね、お兄ちゃんを誤解してない?」 「してないと思う」 そう言って、沙織はキッチンへと再び向かって行った。
しば漬けをお供に白いご飯を食べていると、いい匂いがして肉じゃがと味噌汁が運ばれてきた。 「肉じゃがはこれしかないけど、お味噌汁はまだあるから」 テーブルに並べながら、沙織が言った。 真山はそれを半分くらい聞き流して、肉じゃがに箸を伸ばす。 沙織はそんな真山の様子を見て、脇にお盆を置きコタツに入った。 「可愛い妹の作った肉じゃがの味はいかがですか?お兄ちゃん」 がつがつとご飯を食べる真山に、沙織が無邪気に尋ねる。 「ん〜?まあまあじゃない?」 「もー、そんな事言うなら食べないでくれる?出して。今まで食べた分全部出して?」 「じょ、冗談に決まってんじゃん。旨いって。あー、こんな旨い肉じゃが、俺食べたことない」 「・・・ウソくさい」 「あのねー、ワガママな彼女みたいなこと言ってんじゃないよ」 「やだー、私そんなに趣味悪くないよー」 「・・・どういう意味だよ?」 「冷めるよ?肉じゃが」 ニコニコと笑いながら、沙織が味噌汁を進める。 真山は沙織を軽く睨んで、大根の味噌汁を啜った。
「・・・お前さ、将来のこと決めた?」 しばらくして真山が切り出した。 沙織ももうすぐ高校2年。進路について見通しを付けなければいけない年令だ。 「学費とかさ、心配すんなよ?お兄ちゃん、これでも一応公務員なんだからさ」 もぐもぐと口を動かしながら、さらりと真山は言ったつもりだった。 「お兄ちゃんがアテにならなくても、奨学金があるしね」 沙織がわざと憎まれ口を叩く。 「・・・まあね」 そこで会話が止まった。真山が漬物を食べる音だけが響いていた。
味噌汁と肉じゃが、そしてご飯を二膳平らげて、真山はもう一度沙織と話した。 「なんかなりたいものとかあるのか?」 食後のお茶を入れながら、沙織が答える。 「うん・・・なんとなく」 「ふーん。何?」 「看護婦か・・・保母さんとかになろうかなーって」 「へぇ」 「似合わないってみんなに言われるんだけどね・・・」 沙織がへへへと笑って、真山に湯飲みを差し出した。 「ホント、似合わねー」 くっくと真山が笑った。 「保母になっても、子供とか泣かしそうだよね。お前」 「そんなことないよー。私、子供には優しいんだよ〜?」 「その優しさの半分でもお兄ちゃんに対して発揮して欲しいもんだね」 「お兄ちゃんが馬鹿なことばっかり言ってるからでしょ?」 「バーカ。警視庁の女子職員の中じゃ、お兄ちゃん一番人気だよ?もうね、ぶっちぎり」 「ほら、また馬鹿な事ばっかり・・・」
さすがというか当然というか、真山のウソの大抵は見抜かれてしまう。 これが、ほとんどを二人ですごしてきた、兄妹の絆ってヤツなのか。 そんなところに感心して、真山は苦笑した。
「そうすると、あれか?看護学校とか短大とか行くわけか?」 「うん。今ね、色々と探しているところ」 「ふーん。ま、頑張れよ」 「・・・うん」 二人同じタイミングでお茶を飲んだ。 「…本当はね、ほかにもなりたいものがあるの」 沙織が小さな声で呟いた。 「何だよ?アイドルとか言うんだったら、全力で止めるよ?」 「・・・お嫁さん」 かすかな声で、恥ずかしそうに沙織が言う。 彼女らしくないその発言に、真山は少し驚いた。
「でも、私がお嫁に行ったら、お兄ちゃん困るでしょ?」 照れ隠しのように、わざと勝気そうに沙織が言った。 「馬鹿にすんなよ?お前なんかがいなくてもね、立派にやっていけるの!」 「寂しくて泣いちゃうでしょ?」 「泣きません。一人になってせーせーするよ」 「ホントに〜?」 「馬鹿にすんなって」 真山が音を立ててお茶を啜る。 「・・・お兄ちゃん」 「何だよ」 「お兄ちゃんも・・・遠慮しないでいいんだよ?」 「何のこと?」 真山が沙織のほうを見ると、沙織は真剣な表情でこちらを見ていた。 「そういう人がいるなら、私のことなんて構わずに結婚、してもいいよ?」 「・・・・・」 真山は何も言えずに、ただ沙織の顔を見た。 「私、お兄ちゃんみたいに性格悪くないから、どんな人がお嫁に来てもいじめたりしないよ?」 「お前ねぇ・・・」 「大丈夫。お兄ちゃんが選んだ人なら、いいよ」 沙織はそういうと、優しく笑った。 少しだけ、寂しそうな笑顔だと真山は思った。
「なんでそんなこと言い出すのかわかんないけどさ・・・」 真山が口を開くと、沙織が少し不安そうな表情をした。 「俺、まだ24だよ?まだ結婚なんて考えてないって。もうちょっと遊ばせてよ」 「え・・・?」 「まあ、その、モテモテすぎるお兄ちゃんはまだ一人に絞れないってこと」 沙織を安心させるように、真山が明るい声で言った。 「そっか・・・」 いつもならそんな発言をすぐに鼻で笑う沙織が、安心した表情を浮かべた。 「まあ、お前が嫁に行くくらいまでには、すっげー美人連れてくるからさ、ビックリすんなよ?」 「・・・うん。楽しみにしてる」 沙織が今度は嬉しそうに笑った。
その姿があまりにも可愛らしくて、真山はつい余計な一言を言った。 「お前、変な男に掴まんなよ〜?」 「何よ。変な男って」 「イマドキのさ、ちゃらちゃらしたヤツとか連れてくんなって言ってるの」 「うっわー、そういう言い方ってオヤジくさーい」 「お兄ちゃんみたいな素敵な男性にしろ。そうしたら間違いないから。な?」 「え〜?間違いありすぎると思うんだけど・・・」 「沙織、お前ね〜」
繰り返される下らないやり取りは、子供の頃と少しも変わっていない。 けれども、そう遠くない将来、二人はきっと別々の「家」を持つことになるだろう。 別の家族と一緒に。
けれど、その時が来るまでは。
「安心しろ。お兄ちゃんはもうちょっとお前だけのお兄ちゃんでいてやるから」 ふざけ半分、本音半分で真山が沙織に言うと、沙織は真剣な表情で答えた。 「うん・・・ありがと。お兄ちゃん」
いつか、この手が離れるまで。 お前のことは、俺がちゃんと守ってやる。
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