警視庁地下三階。

いつものように、暇を持て余しているこの空間で、

彩は日課にしているツメの手入れを終わらせてしまっていた。

今日は(も)仕事は特にない。

終業時刻まであと三時間。

暇だ。

暇、暇、暇。

彩は、机に顎を乗せ、ため息混じりに呟いた。

「あ〜あ、暇やな、柴田」

「そうですか?私は調べものをしているのでそうでもないんですが」

柴田は、視線を読んでいる本に注いだまま返事をした。

「あーもーアンタの事なんて聞いてへんわ!アタシが暇なの!なんか面白い事してや!」

「面白い事、と言われましても・・・残念ながら、一発芸の類は苦手でして・・・」

「もう、アンタ使えんわ!近藤さん、アンタでいいわ。なんかおもろい事ゆうて!」

「え?私ですか・・・え〜っと・・・」

「ブー!時間切れ!!なんや、あんたたち全然ダメやなぁ!もっと精進し!」

「「すみません・・・」」

「あーあ。真山さんおったらなぁ。いろいろと遊べんのに。

金太郎でもいいか。アイツ殴り甲斐あるもんな〜」

生憎、金太郎は「犯人わかってしもうて」逮捕しに行っている。そして、柴田の命令で真山もお守り役として同行させられていた。

故に、弐係にいるのは調べもの中の柴田と、パソコンで書類作成中の近藤、そして彩の三人だけであった。

「あ〜あ。なんか面白いこと起こらへんかな〜」

 

彩がそう言った直後だった。

ぴんぽ〜ん

エレベーターがつく音が聞こえた。

 

中から出てきたのは、髪の長い女性。

30歳前後だろうか。落ち着いた、綺麗な人だ。

 

「なんか御用ですか?」

彩が、面倒くさそうに尋ねた。

すると、その女性はにこりと人懐っこそうな笑顔で答えた。

「ええ。・・・えっと、真山徹がこちらにいると伺ったのですが・・・」

「真山さん・・・のお知り合い?」

「はい。大学時代の同級生で・・・今日は真山、休みですか?」

「えっと、ちょっと外出してまして・・・よければ、お待ちになります?」

「・・・いいのかしら?」

「はい。どーぞ、どーぞ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

うふふと笑いながら、真山の同級生だという女性は来客用のソファに腰をおろした。

(なんか面白くなってきだで・・・)

彩が、ひっそりと笑った。

 

近藤が女性にお茶を淹れた。

「あ、すみません。いただきます」

 

「なぁなぁ、柴田。あの人どう思う?」

「どうって・・・綺麗な方ですね」

「そうやなくって・・・あの人、真山さんの元カノだとおもわへん?」

「元カノ・・・つまり、昔お付き合いしていた方、というわけですか?」

「そう。わざわざ元カノが訪ねてくるなんて、今の彼女のアンタ的にはどうなん?」

「別に私、真山さんの彼女じゃありませんよ」

「何言うとんの?あんなにラブラブなくせしてー」

「違いますって。彼女とかそういうのじゃないんです」

「?ふ〜ん。じゃあ、アンタあの人気にならんの?」

「そうですね・・・特には気になりませんが」

「気にならんの?アタシでさえ気になってんのに?」

「まぁ、人にはいろいろ過去がありますから・・・」

「アンタいつの間にそんな大人になってん?もういい、アタシ行ってくるわ。邪魔せんといてね」

「え!?ちょっと、彩さん!?」

 

彩がずんずんと女性の方に近づき、女性の向かいのソファに腰を下ろした。

「アンタさぁ、真山さんの大学時代の彼女だったんとちゃうん?」

「木戸さん!」

不躾な質問に、近藤が彩をたしなめる。

柴田も、遠くから不安そうに見つめていた。

 

「そうよ」

 

彼女はゆっくりと、でもはっきりとそう答えた。

「そうよ。真山と私は付き合っていた。19の頃から21までの二年間。結婚まで考えたわ」

「はぁ・・・」

いつもは威勢のよい彩も彼女のはっきりとした口調に口を挟めなくなっていた。

彼女は、お茶を一口飲んで、またにっこりと笑って彩に聞き返した。

「で?あなたは真山の今の彼女か何か?」

この世で一番怖いのは、メンチ切った顔ではなく、笑顔である。という大阪時代の仲間の格言を彩は思い出していた。

けれども、ここで柴田を引き合いに出せは女が廃る。

私は姉御肌の彩姐さんだ。と、自分を奮い起こし精一杯の嘘をつく。

「そう。アタシが今の真山さんの彼女やねん。あの人に手ぇ出さんといてな」

彼女が、じっと彩の方を見て言った。

「真山の『彼女』、ねぇ・・・」

「何?なんか文句あるん?」

「いいえ真山、やさしい?」

「そりゃあもう。アタシにベタぼれやもん」

「そう。大事にしてもらってるのね」

そういって、彼女は不敵に笑みを浮べた。

 

そのときであった。

再び、エレベーターの到着を告げる音が弐係に響いた。

「やっぱり、わしの才能は天才的だと思いませんか?真山さん」

「確かに天才的だよね。犯人間違える才能。いや〜あてずっぽうでももうちょっと打率高いよ?」

「失礼ですな、真山さん。いいですか、わしの犯人を名指しせずに、自ら名乗りださせようっちゅう狙いがいっつも成功してるんですよ。

いや〜、自分で自分が怖いですわ。」

「ああ、こわいこわい。身の程知らずなヤツが一番怖いよ」

聞こえてくるのは、真山と金太郎のいつもの話し声。

どうやら、客人に気づいていないようだ。

 

「真山!」

彼女が、声を掛けた。

その声を聞いても真山は相変わらず、無表情のまま彼女の方を見た。

「なんだよ、お前か。何?またダンナとケンカでもしたの?」

「そう。今日は真山を不倫のお誘いに。どう?今夜」

「・・・遠慮しとく。お前の旦那、ケンカだけは強いからね」

「あら?真山だって実は強いの知ってるわよ」

「警察官の一般人への暴力はばれると厄介だからね。面倒臭いの嫌いなの、知ってんじゃん?」

「そうだったわね。ふふ」

彼女が、おかしそうに笑う。

「でも、知ってるんだから。真山って面倒臭いの嫌いって言ってても、面倒臭いの結構好きなのよね?」

真山はふっと笑って、目を伏せた。

 

「で、本当は何しに来た訳?」

「うん、まぁ、この間のお詫びとお礼に、ね」

「仲直り出来たのか?アイツと」

「おかげ様で。真山のお嫁さん候補からまた外れちゃいました。残念?」

「よく言うよ。俺と付き合ってる時からアイツのこと好きだったくせに」

「あら?バレてたの?」

「まあね。アイツは変な風にカン違いしてたけど」

「ああ、『まだ真山を好きなのか』ってやつ?いい加減にして欲しいわよね。あれ」

「ちゃんとお前が言わないからでしょ?」

「う〜ん。だって癪じゃない。あたしだけがアイツに惚れてるなんてさ」

「よく言うよ。愛されてるくせに」

「まあね」

「ご馳走様」

 

「何お前、俺が来るのずっと待ってたのか?」

真山が、彼女のお茶がなくなってるのに気づいた。

「ううん。5分くらい前かしら。お邪魔したの」

「なんか、こいつらにヘンなこと言わなかっただろうな?」

「ヘンなことって・・・昔のこと?」

「そうじゃなくって・・・俺がお前の旦那に言ったこと、聞いたんだろ?」

「ああ。それは大丈夫。ただお話してただかだから。こちらの彼女と、ね?」

彩がうなずく。

「おい、木戸。お前もヘンなこと言ったんじゃないだろうね?」

「別に?アタシはただ真実を述べたまで」

彩が意味ありげに言った。

真山はその言葉に顔をしかめたが、彼女はふふふと笑った。

 

「ま、いいや。とにかく今度、お宅の旦那と一緒に飲もうって言ってたんだ。都合のいい日、電話しろよ」

「そうね。・・・こっちで決めてもいいのかしら?」

「ああ。刑事って言っても公務員だから。いざとなったら何とかできるもんよ」

「いつもなんとかなってないみたいだそうじゃない?」

「努力してみます」

「そう。じゃあ楽しみにしてるわ。ええっと・・・」

そう彼女は言って、コツコツと入り口とは反対の方向に歩き始めた。

 

そして、柴田の隣に行くとにこっと微笑みかけた。

「あなたも一緒にね。真山の『運命共同体サン』」

「はい・・・?」

柴田が、驚いて顔を上げた。

「真山がね、ウチの旦那に言ったらしいの。『あなたと自分は運命共同体』なんだって。

一緒に死ぬ覚悟みたいよ」

「え?本当ですか?」

「おい!余計なこと言うなって!!」

「あら?真山がちゃんと言わないからでしょ?」

「お前な〜!!」

真山の怒号にひるむことなく、彼女はそっと柴田に耳打ちした。

 

−真山ね、あなたのことすごーく大事に思ってるみたいよ−

 

それだけ言うと、満足そうにソファに戻って行った。

「おい、何言ったんだよ?最後」

「あら、そんな大した事は言ってないわよ?」

「嘘付け、あいつ真っ赤になってるじゃん!」

「感謝してよ〜?本当に大事な言葉は言わないでおいてあげたのよ〜」

「何だよ?本当に大事な言葉って?」

「あたしが言っちゃ意味ないのよね〜。真山が彼女に言ってあげないと・・・」

「だから、何?」

「自分で考えなさい!」

そういうと、彼女はソファに置いた荷物を持って、上着を羽織った。

 

「あの、知ってたんすか?アタシじゃなくって柴田が真山さんの彼女ちゅう事」

「ああ、柴田さんって言うの、彼女」

「あの、なんで?」

「ふふ。アナタ、真山に優しくしてもらってるって言ってたでしょ?あの人ね、好きな子ほどいじめるの。小学生みたいに」

「なるほど・・・」

「それだけじゃないわ。

『真山の彼女』って、あなた言ったけど真山が言うには『彼女』って枠には入らないほど、柴田さんを大切にしているらしいから。

『彼女』って言葉を、柴田さんにはきっと使わせてないと思ってね」

「あ、そういえば、柴田は『彼女』って言われるの嫌がるわ〜」

「ね?」

「さすが、真山さんの元彼女だけあるわ〜」

「真山はね、結局あたしやあなたみたいな割り切った女じゃなくって、柴田さんみたいな面倒臭い、手のかかる女が好きなのよ」

「は〜。師匠やわ。アンタ」

「ありがと。」

そういって、彼女はふふふと、また人懐っこい笑顔を浮べて、エレベーターに乗っていった。

 

 

警視庁を出て、彼女はすぐに電話を取り出す。

「あ?あなた?私です。ふふふ。今ね、真山の職場に行ってきたんだけど。

そう。見たわよ〜『真山の愛する人』。あのね〜、すごく真山が好きそうなタイプだった。

何?余計なことなんてしてないわよ!ただちょっと、ね。真山に宿題出しちゃっただけ」

 

『愛してる』って言葉はね、他人が言っても意味ないの。

本当に、心から愛する人に言ってはじめて意味を持つ言葉。

 

だから、いつか言ってもらえるといいね。

あなたが、愛してる人に。

あなたを、愛してる人に。

 

私もちゃんと言いたいな。

愛してる人に、『愛してる』って。

 

旦那さま、愛してるよ