冷たい朝 

 

 

 

「ジラフのことも好きだったよ・・・」

 

私がそう呟いて、一瞬間があって、ぱたんとドアの閉まる音が聞こえた。

その音が、合図のように私の目から涙が零れた。

ぎゅっと自分の躰を抱きしめた。

いろいろな感情が私の中に溢れて来る。

 

ごめんなさい

 

誰に向けての言葉かはわからない。

けれども、それしか言葉が出てこなかった。

 

キオクがよみがえる。

 

父の顔。

もう思い出せないと思っていたその顔を私は何故か昨夜、鮮明に思い出していた。

勿論、あの頃の父と昨夜の有沢君の行為は全く意味が違う。

わかっている。

一緒になど、していない。

 

それでも、途中で何度も泣きそうになった。

叫びそうになった。

吐きそうになった。

 

彼にではなく、こんな方法でしか大切な人を慰められない自分に。

 

あの頃から、もう随分と時間は経ったのに、私はまだ同じ今年か出来ない。

嫌だったはずなのに。

間違っているとわかっていたはずなのに。

どうして、同じことを繰り返してしまうのだろう。

 

お母さん、聡志、ごめんね。

あなた達が、罪を犯して、その生命を懸けてまで守ってくれたのに。

私はまた、同じ過ちを繰り返している。

ごめんね。

こんな私が代わりに消えてしまえば良かった。

 

そんなことを言ったら、きっとあなたたちは怒るのでしょうけれど、

辛いの。

もう、どうやって生きて来たかも忘れてしまった。

息を潜めても、前に進めなくても、私はどうにかここまで生きてきたはずなのに。

 

 

私は、次から次から流れてくる涙を拭えずに、顔をわずかに上げた。

もう、微かでも有沢君の痕が残っていない。

そのことに少し寂しくなって、少しほっとした。

 

涙が一滴、手のひらに落ちる。

私の、てのひら。

この手で昨夜、必死に有沢君にしがみ付いた。

それでもまだ、あの人の感触が残っている気がした。

 

あれは確かに昨日の事だった。

それこそ、遠い記憶のようだけど。

この手は、確かにあなたの手を掴んだ。

あなたの手は、驚くほど冷たくて、

私の方に向けられた視線は、哀しい程怯えていた。

 

 

長瀬君、行こうよ。

今度はもう、何があってもその手を離さないから。

どこまでも、あなたについていくから。

苦しくても、辛くても、私は大丈夫。

有沢君も、自分も傷つけて、やっとわかったの。

あなたがいてくれれば、それでいい。

きっとあなたは、「そんなことは出来ないよ」と、あの低く澄んだ声で哀しそうに言うのだろうけれど

 

あなただけなの。

私を救えるのは、あなただけに出来るから。

父でも母でも、兄弟でもない。

神でも天使でも、思い出の中の小さな男の子達でもない。

資格なんてなくても、罪でその手を汚していても、

何かかから追われていたって、消せない傷に怯えてても構わない。

 

ただ、あなたであれば、それでいい。

 

行こうよ、どこかとおくに。

 

 

だってほら、昨夜有沢君と体を重ねていたときより、

こうやってあなたを想っている時のほうが、ずっと生きている実感が湧いて来るから。

 

私もあなたも、たくさんの人を傷つけてきた。

それでも、後のことなんて考えないで。

今までのことは全部置いて、私の手をとって何処かに連れて行って。

 

私はそれを待っているの。

ずっと、待っているの。

 

長瀬君、早く来て。

私を、助けて・・・

 

 

寒さから身を護るように、私はもう一度自分の躰を抱きしめた。

私には涙を流す資格も、傷ついたと感じる資格もないような気がした。

あの頃、何よりも嫌った大人に今自分がなってしまったような感じだ。

 

それでも、長瀬君も有沢君も、そしてあの頃の私もきっと私を責めたりはしないだろう。

ただ、部屋中の寒さだけが私を責め立てる様で。

その寒さがなぜか心地よく、私はしばらくそこを動けなかった。