月夜
眠れなかった。 嫌な記憶にうなされていた訳じゃない。 まだ知らない未来を夢見ていた訳じゃない。 ただ、今日寝るのは勿体無い気がした。 理由は、わからないけど。
双海小児総合病院、第八病棟。 そこに、私はいた。 今日も、誰かがうなされている。 そんな所だった。それが日常だった。
だけど、今日は何故か眠れなかった。 胸騒ぎ。 そうとしか言いようがなかった。 「誰かが、私を呼んでいる」 そんな気がした。
大きな物音がして、体を起こした。 誰かが、暴れだしたらしい。 いつもの事だったのに、何故か合図のような気がした。 「今だ!」 その声は、初めて聞いた声のような気がしたし、いつも聴いている声のようでもあった。
浄水タンクの前。 いつの間にか、そこに来ていた。 「やあ、優希」 声がした。 驚きはしなかった。 きっと、いると思っていたから。 「ジラフ、モウル・・・」 月明かりの下、ジラフとモウルの姿があった。 「何してるの?二人とも」 「君こそ」 「・・・私は、なんだか眠れなくて」 「俺たちもだよな?」 「・・・今日は、満月だからね」 モウルが静かにそう言って、空を見上げる。 私も、ジラフもそれに倣って空を仰いだ。 「本当だ・・・」 空には、大きな月がまんまると浮かんでいた。
「・・・怖くないの?モウル?」 「真っ暗じゃないからね・・・」 モウルが、照れくさそうに言った。 「うん。それに、私たちがいるからね?」 私の言葉に、モウルが優しく笑う。 「そうだね。君たちがいたら、真っ暗なのも平気かもしれない」 「そうだよ、一緒にいてやるからさ、モウル」 ジラフが元気付けるように明るく言った。 モウルの暗闇恐怖症は、そんな単純なものではないと三人ともわかってはいたが、その瞬間だけ、少し優しくなれた。
「月は、地球の衛星なんだ。地球の周りを飽きもせず、ぐるぐるぐるぐる回ってる」 モウルが、照れ隠しのように突然言い始めた。 「それくらい、知ってるさ」 ジラフが鼻息荒く、言い返す。 「きっと、この先俺たちはバラバラになってしまうと思う」 「モウル?ど、どうしたの急に?」 モウルの急な言葉に、一瞬固まってしまう。
先のことなんて考えたくない。 昔の事も考えたくない。 先のことなんて、言わないで。 やめて、モウル。 やめて。 やめて。
いつの間にか、私は頭を抱えてそこに座り込んだらしい。 ジラフが私に駆け寄ってきてくれた。 「大丈夫か?優希」 私は、小さく頷いた。 「おい、モウル!やめろよ、先の話なんかするなよ!!」 ジラフがモウルに抗議する。 「ごめん。でも怖いことじゃないんだ。聞いてくれ」 ジラフが、答えに困っていた。 「・・・続けて?」 顔を上げてモウルの方を見た。 モウルは、軽く頷いた。
「俺たちは、この先きっとバラバラになってしまうと思う。 でもきっと、どこかできっと、俺は、俺たちはずっと優希のことを見てると思うんだ。 そうだろ?ジラフ」 「・・・そうかもしれない」 ジラフが、うつむきながら答えた。
「俺たちは、優希の月なんだ。 一定の距離で、近すぎず、遠すぎず。飽きもせずにぐるぐると回る月。 ずっと見ているのに、近づけない衛星。 きっと、優希からも俺たちは見えるだろう。 時には満月のように大きく、時には三日月のように小さく。 でも、君は気づかなくっていい。気づかないで欲しい。 夜空を見上げなければ、月の姿を見ることが出来ないようにね」
モウルが一気にそう言った。 それは、短い演説のように聞こえたし、長い愛の告白にも聞こえた。
「難しくて、よくわかんないよ。モウル」 素直にそういった。 中途半端な頷きも、拒絶も、彼らを苦しめるような気がしたから。
「わからなくていいんだ」 モウルが、優しい顔で言った。 「わからなくてもいいよ。・・・その方がかえって良いかもしれないな」 モウルがもう一度、天を仰いだ。 私も、ジラフもただ、その横顔を見つめるしかなかった。
「ただ、何年か経って月を仰いだ時、僕らのことを少し思い出してくれたら、それでいいんだ」
その月明かりを浴びた、モウルの横顔はとても綺麗で。 もしも、神様というものがこの世にいるとしたら、モウルに似ているのではないかとふと、思った。
その横顔が少しぼやけた。 代わりに、男の顔が浮かんできた。
悲しそうな、伏目がちな瞳。
「長瀬君・・・?」
目が覚めた。 夢を見ていたようだ。 それも、少女時代の夢。
そう。私はもう子供とよばれる年齢ではないし、 長瀬君はもうこの世にいない。
とても不思議な夢だった。 あのころ、病院のベッドを飛び出した記憶はないし、 夜中にあんなふうに二人とあった記憶もない。
けれども、妙にリアルなあの情景。 ただの私の描いた幻想なのかもしれないし、 忘れていただけで、実際にあんなことがあったのかもしれない。 ・・・それとも・・・
時計を見ると、まだ真夜中。 窓際に立ち、カーテンを少し開ける。
「あなたの仕業なの?長瀬君」 大きな満月に向かって、そう一人呟いた。
「そっか、ずっと見ていてくれるんだね? ずっと、そこから・・・」
月の輝きは、優しくて。 まるで、あなたのようだね。 あなたは暗い所が駄目だから、きっとそうして暗闇をなくしているのかしら? みんなに、優しいひかりをあてながら。 |