月の笑う夜

 

 

 

大好きだったんです。とても。

小さなわたしの中に入りきらないほど。

忘れる事でしか、自分を保てなかった。それくらいに。

それはきっと、今でも。ずっと。

 

 

 

どんどんどんどん

いつものように真山の家のドアが乱暴に叩かれる。

「開いてるよ〜」

昔は、訪問者を家の中に入れてたまるかと一生懸命格闘した真山も、最近では彼女をすんなりと家に招く。

それは、もう当然と言えば当然のことなのだが。

 

かちゃりと音がして、ドアが開く。

「おじゃましまーす・・・」

そこから聞こえた声の主は、予想と変わらず彼女だった。

ただ彼女の声がいつもよりも低くて小さいことに真山は気がついて、それでも知らんぷりをする。

 

「何?」

上下スエット姿の真山が、柴田を見る。

「いえ、特に用事はないんですけど・・・」

柴田が少しうつむき加減で答える。

いつも、人の目を真っ直ぐに見つめて話す柴田を思うと、充分違和感を感じたが、真山は方眉をぴくりと上げただけで、特に声を掛けたりしなかった

柴田もまた、何も言わない真山に不満はないらしく、脱いだ靴をきちんと揃え、部屋に上がった。

そして、いつものように金魚の前の彼女の指定席に座った。

「なんか飲む?」

真山が咥え煙草で喋り難そうに訊いた。

「いえ・・・」

柴田は小さい声でそう答えると、ひざを抱えてうずくまった。

そんな柴田の様子を見て、真山は面倒くさそうに頭を掻いて、バスルームに消えた。

真山がいなくなった気配を感じて、柴田が小さくため息を漏らす。

 

先ほどからかすかに聞こえる水の音に、柴田は何故か恐怖を感じ、ぎゅっと自分の身体を抱いた。

 

すぐに水の音が止み、真山がバスルームから出てくる音がする。

真山の足音は柴田の方へとずんずん近づいてくるようだ。

 

ぱしっ

いつものように柴田の頭を平手が襲った。

柴田は何も言わずに、叩かれた箇所をさすりながらゆっくりと顔を上げた。

「何泣いてんの?」

柴田と目が合った真山は、無関心そうにそう尋ねた。

「・・・泣いてません」

柴田はつとめて無表情を装って、答えた。

「あっそ」

そう言って、真山は柴田の頭をぐいっと掴み、匂いをかいだ。

「くっせー。・・・お前さ、休みの日くらい風呂はいろうとか思わないわけ?」

真山が心の底から臭そうな顔をして言った。

「・・・夜に入ろうと思ってたんです」

柴田が言い訳のように、唇を尖らせて答える。

「もう夜でしょ?」

あきれながら真山は言い放ち、よいしょと立ち上がった。

 

「柴田、ほら立て」

真山のつま先が柴田を促すように軽く蹴った。

「え?」

柴田が顔を上げる。

「風呂、入るよ」

「え?」

「だから、風呂!いいから早く立てよ」

「い、いいです、いいです・・・真山さんお一人で・・・」

「うるせぇ、そんなこといってお前いつも入んないでしょ?」

「だって・・・はだか・・・」

「今更でしょ?別にやらしい目的で入ろうとか言ってるんじゃないの!お前のその異臭を駆除しようとしてるの、俺は!」

「異臭って・・・ひどいです〜」

「酷いのはお前の頭の匂いです。ほら、行くよ〜」

面倒くさいと思った真山が柴田を座った状態のまま引きずりはじめた。

「わかりました!!自分で歩いていきますから・・・」

床のでこぼこでお尻が痛い柴田は、悲鳴のような声を上げた。

 

 

 

わしゃわしゃわしゃ

シャンプーをしてくれる真山の手がきもちいい。

「お前凄いよ?頭汚れすぎてぜんっぜん泡立たないよ?カリスマ美容師ももびっくりだよ」

「え〜?泡立たないのは真山さんちのシャンプーが安・・・あいた!」

「シャンプー中に喋ったら、口の中泡入るよ〜」

狭いバスルームは、大人二人だとさすがにきつい。

柴田は体育座りでおとなしく真山の言いつけどおりにしていた。

「よし、一回流すぞ〜。目ぇつぶって」

真山が洗面器で風呂の中のお湯を汲み、一気に柴田にかける。

柴田はその水圧にビックリして、身をちぢ込ませた。

「お前、ちゃんと耳も塞いどけ。水入るぞ?」

「普通、シャワーのお湯使いません?」

「この方が一気に洗い流せてきもちいいでしょ?ほら、もう一回行くぞ〜」

またもや勢いのいい水が柴田を襲う。

今度はいきなりだったため、何も身構えてない柴田が、呼吸さえ苦しそうにするさまを真山がけけけと楽しそうに見ていた。

「・・・も・・・もっと早く言って下さいよ〜」

「悪い、悪い。でも、この方が見てて面白れぇじゃん」

「ひっどーい」

「お前も、スリリングなシャンプー体験できて良かっただろ?」

「よくないですよ〜!!」

「はいはい、もう一回シャンプーするよ〜。今度こそ泡立てよな」

真山はプリプリと怒る柴田無視して、シャンプーをたっぷりと柴田の頭にのせる。

わしゃわしゃわしゃ

今度はみるみるあわが立った。

「ほら見ろ?ウチのシャンプーのせいなんかじゃなくって、お前の頭の脂っぽさのせいなんだよ」

真山は満足そうにその泡立ちを目を細めてみていた。

 

「サリーちゃんのパパー」

真山があわいっぱいの柴田の頭を色々といじって楽しんでる。

「も〜、やめて下さいよ〜」

「リーゼント〜」

「もう、ホントに!!怒りますよ?真山さん」

「・・・いいじゃん、ちょっとくらい。俺に少年の心を思い出させる時間くれよ?」

「いつも充分少年の心だと思いますが・・・」

「うるせ。じゃあ一気に行くぞ?」

真山が予告もなしに一気に柴田の頭めがけてお湯をかけた。

「・・・ぅう!!」

柴田の口がパクパクと動き、少しお湯を飲んだようだ。

「あははは。真っ赤で口パクパクしてて金魚みたい。お前、水槽の中でいっしょに泳いでおく?」

「も〜!!やめてくださいって・・・げっほげっほ」

柴田が飲んでお湯で少し咳き込んだ。

「あー、わかったわかった・・・じゃあ、今度はゆっくりと・・・耳押さえろよ?」

柴田はぎゅっと目を瞑り、耳も両手で塞いだ。

ばしゃーん

水の音が遠くに聞こえて、柴田の頭から泡が消えた。

 

「よし。じゃあ俺、次に自分の頭洗うから、お前湯船にはいれ」

「はい」

柴田は、やっぱりあかるいところで裸なのが恥ずかしくって、両腕をくねらせて身体を隠しながら、のろのろと湯船につかった。

湯加減は、真山にあわせているから少し熱くて、でもそれが心地よかった。

柴田は、自分の髪を少し救って匂いをかいでみた。

真山が愛用してる、男性用シャンプーの匂い。

自分専用の女性が使うシャンプーが欲しいと駄々をこねた事があったが、金の無駄と真山に秒速で却下されたこともあった。

自分から香る、真山のにおい。

柴田はまた体温が上がるのを感じた。

 

「柴田、お前ちゃんと肩までつかれよ?」

シャンプーをしながら、真山がちらりとこっちを見る。

「え?でもこれ以上だとのぼせちゃいますよ?」

「あのさ、お前がいつも体温低いのはね、・・・よくわかんないけどさ、きっと新陳代謝とかが関係してるんだよ。ちゃんと毎日風呂に入ってあったまれよな?」

「え〜?でも捜査に夢中になるとうっかり忘れちゃうんですよねー」

「わすれんなよ!お前、一応人間でしょ?でもって一応女でしょ?異臭はなったらお終いだよ?ありえないよ、お前のその匂い」

「え〜?そうですかねぇ・・・」

「そうなんです!いっつもお前と捜査に行かされる俺の身にもなろうよ?ね?」

「・・・真山さんがシャンプーしてくれるんなら、入ります」

ばしっ

風呂の中では、柴田の頭から聞こえるこの音も反響する。

「調子にのんな!いいから、お前はちゃんと肩までつかってあったまれ!馬鹿!」

「・・・いたい・・・」

「何だっけ?風呂桶一杯の水でも水死させられるんだっけ?じゃあさ、こんだけの水があったら充分水死できるね〜。やってみる?」

「・・・結構です」

「じゃあ、黙って入ってろ!!」

真山が乱暴に柴田の頭を掴み、肩がつかるくらいまで沈ませた。

 

「真山さん・・・」

「風呂出たかったら、100数えてからな」

真山はシャンプーが終って、自分の体を洗っている。

「違いますよ・・・あのですね、今ふと思ったんですけど、真山さんってお父さんみだいだなぁって」

「・・・殺すよ?」

真山が柴田の方を軽く睨む。

「あ、ちがうんです。おじさんっぽいとかそういう意味でなくて・・・」

「じゃあ何だよ?新種の嫌味?」

「違います。・・・ただ、なんとなく真山さん、私の父に似てるなって思ったんです」

真山はそれには答えずに、身体を洗っている。

「あ、本当の父のほうです。私が小さいころに亡くなった・・・」

「うん」

「私、大好きだったんです。父のこと・・・別に養父が嫌いって訳ではないんですけどね。養父も,私のこと大事にしてくれましたし」

「・・・だろうな」

「え?わかるんですか?」

「養子だろうが、実子だろうが愛されて育たないと、お前みたいに馬鹿みたいに真っ直ぐには育たないもんだよ」

「・・・そうでしょうか?」

柴田が少し微笑んだ。

真山が自分の体にお湯をかけ、泡を綺麗に流した。

そして、柴田に指だけで指示をして、場所を移動させ真山も湯船の中に入った。

 

真山は、後ろから柴田を抱きしめるような格好で、お湯につかっていた。

暫くは二人とも何も話さず、天井から滴る水滴と、たまに波打つ湯船のお湯の音だけが響く。

 

「・・・私、お父さんのこと大好きだったんです」

沈黙を破ったのは柴田だった。

呪文のようにぽつりぽつりと話し始める。

「どういったらいいかわからないけど・・・変な意味じゃなくって、お父さんという枠を超えてお父さんの事好きだったんです。男としてじゃなくって、人間として」

真山が頷く代わりに柴田の首元に唇を寄せた。

「お父さんが死んで、辛くて辛くて・・・その記憶を、ちょっとだけ忘れて、忘れることで生きてきたんです」

柴田が目を閉じる。

瞼に浮かぶのは、笑ってる父の顔。

あったかくって、おっきくて。大好きだった父の顔。

「彩さんに、ファザーコンプレックスって言われました」

柴田が嬉しそうに軽く笑った。

「だろうね」

柴田の首筋にある真山の唇が言葉を発する。柴田はくすぐったくって少し身を捩った。

「私も、そうだと思います。だって本当に大好きだから・・・」

自分の腰にある真山の手を柴田が掴んだ。

その手をじっと見つめて、うわ言のように柴田が繰り返す。

「真山さん、似てるんです。父と」

 

「・・・俺はお前の父親になるつもりはないけど?」

真山が低い声で呟く。

その言葉に柴田が笑う。

「わかってます。・・・私も父とこんなふうに抱き合ったりしたいなんて思いません。私は真山さんを男性として、大好きなんですから」

「へぇ。そりゃどうも」

真山が抑揚のない口調で答える。

「でも、真山さんの事を好きな感情とは別のところで、父のこと大好きなんです」

「ふぅん」

「今日、突然来てすみませんでした・・・父の事、思い出したら真山さんに逢いたかったんです。どうしようもなく」

「・・・って言う割には俺の顔、見ようとしなかったじゃん」

「変ですよね?何故か真山さんの顔、どうしても見れなかったんです」

「じゃあ、何しに来たんだよ?馬鹿」

言葉はきつかったけれど、真山なりの優しさが伝わって、柴田は涙が出そうになる。

「・・・きっと、こうして欲しかったんだと思います。ぎゅっと抱きしめて、くっついて欲しかったんだと思います」

「あっそ。じゃあ目的は果たせた訳?」

真山の問いかけに、柴田が首を振った。

「・・・わかんないです。でも、こうして抱き合ってると、心があったかくなれるけど、もっとせつない気もします・・・」

柴田の声は、もはや消え入りそうな小さな囁きで。

その中にある大きな不安を感じ取り、真山は眉間に皺を寄せた。

 

「当たり前じゃん。二人の方が、より孤独を感じるものでしょ?」

真山が当然のように言った。

「・・・そうなんですか?」

「まぁ、人それぞれだと思うけど」

「はぁ・・・」

「俺にだって、お前の心までどうにかできる力なんてねぇよ」

「わかって、ます、けど・・・」

もうなく寸前の柴田は、言葉をスムーズに紡ぐことが出来ない。

「俺に出来るのは、身体のつながりくらいだよ。セックスして、身体だけでも一緒になるくらい?」

「・・・真山さん・・・」

「何?セックスする?」

普段の柴田なら怒り出しそうな真山の問いかけに、柴田はこくんと頷いた。

「真山さんと、一緒になりたいです。身体だけでも」

精一杯の気持ちで、やっとそう言った柴田を、真山が後ろからぎゅっと抱きしめた。

 

 

 

大好きなんです。とても。

世界中の言葉を集めても足りないほど。

抱き合っていないと、どうにかなってしまう。それほどに。

それはきっと、これからも。ずっと。