黄昏は 全てを染めて
燃えるような夕陽が、海を、空を赤く染め上げている。
この海に来るのは、いつくらいぶりだろう。 優希は、ゆっくりと辺りを見回す。
「動物園」にいた頃の記憶は、今でも思い返すと少し胸が痛む。 心に傷を受け続けた当時の心情がそうさせているのか、モウルを失った今の心情がそうさせているかははっきりとはわからないけれど。 或いは、貴方たちと一緒にいて少しは幸せだったからかもしれない。 しぼられるような痛みではなく、優しく締め付けられるような痛み。 辛くはない。「感傷」とは、こういう感情なのだろうか。
じゃりっと砂が擦れる音がして、優希はまた一歩海に近づいた。
赤く燃えているせいか、あの頃の面影は見当たらない。 この海は、もっと荘厳な感じだと思っていた。 全ての生命の源のような。 だからこそあの時、幼く傷ついた優希は身を投げて生まれ変わろうとしたのに。
優希は潮騒の音を聞き、じっと水平線を見つめた。
あの時、生まれ変われたかどうかはわからない。 けれど、唯一の救いであるあなたたちに出会えた。 それでいいのかもしれない。 生まれ変わる事なんて出来やしないのだから。 あの時、貴方たちはこう言ったよね。 「僕たちを救ってくれ」と。 けれど、あの時あなたたちに出会えて救われたのは、私の方だった。
結局、私はあなたたちを救えたのかしら。 逆に傷つけてばかりだった気がする。 ごめんなさい、モウル、ジラフ。 でも出逢わなければよかったなんて決して思わない。 あの時、あなたたちが私を見つけてくれたことに感謝をしたい。 僅かでもいい。私の存在が、あなたたちにとって少しでも救いだった事を祈っている。
優希はポケットから、大事そうにしまっていた古びた包帯を取り出した。 細く、真ん中から二つに分かれている包帯。
自分でも忘れていた。 あの時、包帯を巻いていたことなんて。 それでも、あの時落とした私のかけらを、あなたたちはずっと大切にしてくれた。 私があなたたちの言葉を救いにしていたように。
優希は指で、ゆっくりと包帯をなぞった。 涙が、溢れそうになる。
「ごめんなさい・・・」
呟きの様な懺悔は、波の音にかき消されてしまう。
ごめんなさい、傷つけてしまって。 救ってあげることが出来なくて。 心まで受け入れてあげることが出来なくて。 愛しているのに、一緒に逃げてあげる事が出来なくて。
大好きだったよ。二人とも。 誰よりも大切な人だったよ。
これからも、そう思わせてもらっていいかしら?
砂浜の一角で優希は、スニーカーを脱いだ。 履きなれないスカートのせいで、少し手間取ってしまう。
何年ぶりだろう。スカートを履くなんて。 「自分が女であることを受け入れる」 たったこれだけのために何年かかったんだろう。
ありのままで、現在の自分を生きていくという事は、簡単なようで実はとても難しい。 みんなそれを目指して生きている。
ゆっくりと、砂を踏みしめるように歩き出す。 足の裏の感触に、少しだけ当時を思い出した。
忘れるわけではない。 ただ少し、区切りをつけるだけ。
それぞれの先だけを掴んで、包帯をふわりと宙になびかせる。 潮風に攫われそうになる包帯を懐かしい気持ちで見つめた。 モウル、ジラフ。 そして、あの頃の私。 傷は残ってしまうけれども、せめて悲しい記憶だけは。 罪を犯した罪悪感と一緒に。 海に、全ての始まりのこの地に返してしまおう。
すこし屈んで、そっと包帯を水面に浮べる。 手を離すと、寄せてくる波がそれを攫っていく。
さよなら、モウル。 辛い苦しみからは、解放された? もう、あなたの闇は明るくなったかしら? 一緒に行ってあげられなくってごめんね。 ありがとう。 あなたがくれた優しさを、愛を、私は決して忘れない。
さよなら、ジラフ。 一緒にはいれないけれど、元気で。 手紙は、届いたかしら? 『生きててもいいんだよ』 どんなに遠くにいても、私はずっと言い続けるわ。 あなたに届く事を信じて。 あの時、貴方を心ごと受け入れてあげられなくてごめんね。 ありがとう。 きっと、あなたがいるから私もこれから生きていける。
ありがとう、二人とも。 あの時の言葉、あなたたちの存在が今までも、これからも私を支えてくれる。
包帯は、すぐに波の間に飲まれて見えなくなった。 いつか、こんな風に悲しみも波が攫ってくれる時がきっと来る。
優希はそのまましばらく波を、海を、そして夕陽を見つめていた。 ゆっくりと、何かが終わっていく。 それはきっと、次に始まる何かのため。 永遠に続いていく日々のため。 まっさらな、未来のため。
優希は、ゆっくりと立ち上がった。 背筋を伸ばし、深呼吸をする。
生まれ変わろう。 今度こそ。 ・・・いえ、生まれ変わる事なんて出来ないけれど。 だからこそ、生き方をすこし変えて、前を見て生きてみよう。
「私が、私で生きるために」 あの頃とは逆の言葉を自分に言い聞かせるように呟いた。
一歩、一歩、歩き出す。 背中越しに聞く、波の音は優しくて。 私を励ましてくれているようだ。 それは、あなたたちの声に似ている。 私の心の中にいつもある、あの声と。
「優希ー!!」「優希!!」 一度だけ振り向いて夕陽を仰いだ。 少年が二人、こちらに手を振っているような気がした。 右手を軽く挙げ、小さく振り返す。 「・・・さようなら」
靴と鞄を手に、優希は砂浜を歩く。 穏やかな潮風と、波と、全てを照らす夕陽。 優希の心の風景と同じように。
どこまでも、穏やかに。 どこまでも、続いていく。
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