Smoking clean

 

 

 

警視庁の中は、実は一部喫煙所を覗いて禁煙だ。

しかし、それにも拘らず弐係では禁煙が黙認されている。

原因は喫煙するのが真山と彩という強力コンビだということ。

しかもこの二人が、この部屋で一番偉い柴田を丸め込むのが非常に上手いことが挙げられる。

それでも、ごくごくたまに林田や今井婦警など他の職員がこの部屋を訪れる時に、

顔をしかめたりあからさまな嫌味を言っていくものだから、さすがの二人も居心地の悪さを感じていた。

 

ああ、愛煙者にとってなんて住みにくい世の中なんだろうか。

 

 

いつものことだけれど、弐係のメンバーは(一人を除き)すっかりやる気を失っていて、

部屋全体に気だるい雰囲気が漂っていた。

近藤は書類整理のフリをして社交ダンス大会のサイトを見ているし、

金太郎は自分の席で大きないびきをかいている。

柴田の姿は見当たらなかったが、真山と彩は部屋の中央の応接セットに向かい合って座り、煙草を吸っていた。

灰皿の中には、相当量の吸殻。

心なしか、部屋がうっすらと白く曇っていた。

 

「聞いてや、真山さん。こないだツレの家行ったらベランダで煙草吸えって言うねんでー」

「あー、あるね。そういう家」

「もー、めっちゃ最悪や〜。11月やで?凍死させる気かっちゅーねん」

彩が煙草を手に取り、灰を落とした。

「木戸がどう頑張っても風邪ひかなさそうだからじゃない?」

真山は涼しい顔のまま、煙草を指でとんとんと叩いた。

「・・・それって、アタシが馬鹿って言う意味?」

「そこまでは言ってないけどね」

憮然とする彩を、真山はニヤニヤと見た。

「むっかつくわ〜」

彩はどすんとソファに体をうずめた。

 

「あー!!駄目ですよ〜!」

その時、入り口から間抜けな声がした。

いつもより心なしかちゃんとした格好でファイルを抱えている柴田だ。

真山も彩もそちらの方を見ない。

遠くから、かすかに近藤の「柴田さんおかえりなさい」という声が聞こえた。

 

「真山さんと彩さんがここでずっと煙草を吸っているから、会議で怒られたじゃないですかー!!」

柴田はコツコツとわざとらしく足音を立てて、二人の下に近づく。

「ご存知ですか?警視庁内で喫煙が認められているのは各階に一箇所設けられている喫煙所だけなんですよ?」

珍しく怒っている柴田を前にしても二人は顔色を変えない。

「へー」

「ふーん」

全く自分の意見に耳をかさない二人に、柴田はぷぅっとほっぺを膨らました。

「ちゃんと聞いて下さいよ〜!!」

柴田は膨れながら、応接ソファの真山のとなりに座った。

「ええやんか。ここで吸っても誰来ーへんから苦情も出ぇへんし」

彩の反論に、真山も頷く。

「苦情が来る来ないの問題じゃなくって、けじめの問題なんです」

柴田は係長らしくしようと気をつけて言った。

「けじめねぇ・・・」

真山が馬鹿にしたように呟く。

「それに私たちだって迷惑です。ねー、近藤さん?」

柴田が席に座っている近藤に言った。

「え?私ですか?」

真山と彩を敵に回すのが嫌な近藤が言葉を濁す。

「周りにいる人間に迷惑かけているのを自覚してください。ねー、近藤さん?」

「いえ・・・私は・・・」

「何?迷惑って」

否定しようとしている近藤をすっかり無視して、真山が横目で柴田を見た。

それでも、真山は煙草を咥えている。

「健康に良くないじゃないですかー。真山さんたちは好きで吸ってるからいいかもしれないですけど」

「大丈夫やって。アンタ煙草の煙ぐらいで弱りそうにないもん」

「それに・・・私、煙草吸わないのに煙草臭いんですよー!?」

「なんやそれ」

「煙草以前に色々と臭いじゃん」

嫌味を言われ、柴田が不満そうに真山の方を見た

「会議の前に林田さんに言われたんですよ〜。煙草臭いって」

「なんかアイツが言うとセクハラやなー」

「お、柴田良かったじゃん。セクハラされて」

「良くないですよー!」

「そーやー。真山さん、アンタ怒らな〜。アンタんとこの柴田が嫌がらせ受けたんやでー?」

「何だよ?俺んとこの子なの?コイツ」

真山は軽く笑った。柴田は不満げな顔をしている。

「大事な柴田ちゃんがエロオヤジにセクハラされてるんやでー?どうする?真山さん」

彩はニヤニヤと真山を見てる。

「んー?別に?」

真山はいつもの調子で言うと、柴田の頭をぽんぽんと叩いた。

「お前は強い子だもんねー?」

頭を叩きながら真山は小さな子に言い聞かせるように言った。

「・・・子供じゃないです〜」

柴田が異議を申し立てる。

「へー。子供じゃないの?キミ」

真山がニヤニヤと意地の悪い顔をする。

「・・・はい。ちゃんと成人してますし・・・」

「年齢じゃないよ?精神的にってことだよ?」

「あー、その分野でも自信はあります」

柴田が自信ありげな顔をした。

「酒も弱いくせに?」

「徐々に強くなってきています」

「嘘付け」

「ホントですよー!そのうち酒豪と呼ばれてみせます!」

「呼ばれてどうすんだよ・・・」

真山が呆れ、短くなってしまった煙草をため息とともに灰皿に押し付けた。

柴田がその仕草をじっと見ていた。

 

真山は首をぽきぽきと音を鳴らしながら回して、息をつく暇もなく懐から煙草を取り出した。

「・・・まだ吸うんですか〜?」

柴田が顔をしかめながら言った。

「ここまで来たら1本くらい増えたって変わんないじゃん」

さらりと返す真山の言葉を、彩はもっともだと思った。

真山が煙草を咥える。

テーブルの上に置いてあった真山の安物のライターを柴田が手渡した。

文句を言っている割には、柴田は真山に忠実だ。

ライターを受取ると、真山は咥えたままの煙草に火をつけた。

煙草の先が赤く燃え、やや深めの呼吸の音が聞こえる。

二本の指で煙草を挟むと、空いた唇から細い煙が上がった。

 

時々、真山は本当に美味しそうに煙草を吸う。

 

ヘビースモーカーの彼はそれこそ毎日何十本も吸っているはずなのに、最高のご馳走のように口にするのだ。

それは喫煙者にも非喫煙者にもわかるほど。

 

そんな真山の吸い方を見て、彩は自分も新しい煙草を口にする。

柴田は、膝の上に肘を乗せ、掌に顔乗せて、じっと真山の方を見ていた。

真山はそれに構わず、変わらず美味そうに煙草を吸う。

「何?」

柴田の熱視線に漸く真山が口を開いた。

「いえ・・・」

気まずそうに柴田が視線を離す。

真山がまた、細い煙を吐いた。

視線を逸らした筈の柴田が、すぐに真山の方を見る。

真山が訝しげな顔で柴田のほうを見返した。

「・・・あの・・・」

恐る恐る柴田が口を開いた。

「何だよ」

「ちょっとだけ・・・」

か細い声で柴田が呟いた。

傍で聞いていた彩には何の事かわからなかったが、真山はすぐにわかったらしい。

「やめとけって。な?」

真山が宥めるが、柴田の目は諦めていないようだ。

自分に近い方の真山のスーツの袖をくいくいっと引っ張った。

「・・・知らないよ?お前が言い出したんだからな」

やはり惚れた女には弱いのか、真山が折れたようだ。

目を輝かせた柴田が、「はい!」と元気良く返事をする。

 

「さっきっから、あんたら何密談しとんねん。や〜らし」

彩がニヤニヤとした顔で茶々を入れた。

「何ヘンな想像してんだよ」

呆れ顔で真山が言った。咥えていた煙草を、人差し指と中指で挟んでいる。

長い指でとんとんと灰皿に灰を落とした。

「このオジョーサマがね、煙草吸いたいんだってさ」

「は!?さっきまでさんざん止めろって言うとったくせに・・・」

「でしょ?」

「・・・だって〜」

柴田が拗ねたように唇を突き出す。

その唇の前に、煙草を挟んだ真山の指が差し出された。

「ほら、吸いたいんでしょ?」

「はい!」

 

勢い良く返事をしてから、真山の指にある煙草を柴田がゆっくりと咥えた。

その煙草は、新しく出したものではなく、さっきまで真山が吸っていたものだった。

「一口だけ。・・・あんまり一気に吸い込むな?」

真山が言う。柴田は無言で頷いた。

すぅっと息をする音が聞こえた。

ほんの少しだけ吸っている様子だったのに、次の瞬間えっほごっほと苦しそうに咳き込む声が聞こえた。

「・・・だから言ったじゃん」

冷たく真山が言った。その口元にはさっきまで柴田が吸っていた煙草が何事もなかったかのように戻っていた。

柴田はソファから立ち上がり、自分の机の上においてある鞄から水筒を取り出す。

まだ少しむせつつも、その水筒の中の怪しげなお茶をぐいっと飲んでいる。

 

「シバター、大丈夫ー?」

あまり心配してなさそうに彩が聞く。

「は・・・い」

喉の辺りをどんどんと自分の拳で叩きながら柴田がこたえる。

「アンタにはまだ早かったな〜」

「お前はまだまだ子供ってことでしょ?」

喫煙組が、ちょっと優位になって軽く笑いながら口を揃えた。

 

「えー?でももう大丈夫だと思ったんですけどね〜」

柴田が残念そうに呟いた。

「なんで?」

「これだけ煙草の煙の中で生活していたら、慣れたんじゃないかと思ったんです〜」

「ばーか。ニコチンの量が違うよ」

真山が馬鹿にしたように笑う。

 

「・・・でも、煙草の苦い味にも慣れたのになー・・・」

 

一瞬、真山の眉間に皺が寄り、彩がにやっと笑った。

その呟きの意味するところがわかっていながら、テンションが上がった彩が真山を質問攻めにした。

「なぁ、真山さん。何で柴田吸ってへん煙草の味に慣れたんかな?なあ?何でやと思う?なんで?」

 

 

やっぱり、愛煙家には住みにくい世の中だ・・・