桜吹雪 

 

 

 

「まり子さん、長瀬まり子さん」

職員の明るい声が老人ホームに響く。

ホールの大きなテーブルで他の老人たちと一緒に折り紙を折っていた女性が振り向いた。

職員がその女性に駆け寄り、彼女が乗っている車椅子に手を添える。

「娘さんが面会に来てくれましたよ。まり子さん」

その言葉に、まり子が不思議そうな顔をする。

「・・・むすめ?」

職員がにっこり笑って視線を入り口に向けると、そこには一人の女性が立っていた。

「おかーちゃん!!」

まり子が嬉しそうに大きな声をあげて、車椅子を漕ぎ出した。

「お久しぶり・・・まり子さん」

おかあちゃん、と呼ばれた優希はその声に懐かしそうに微笑んだ。

 

 

その施設の庭は、綺麗な花々に彩られていた。

職員たち、近所の主婦たちが入居者と一緒に花を植えているそうだ。

まだ春というには少し肌寒い季節ではあるが、庭のあちこちにある花に心が和み、どこか春めいた気分になる。

「寒くない?まり子さん」

優希が車椅子越しに声を掛けると、まり子は嬉しそうに笑った。

「おかーちゃん」

少女のように微笑むまり子に優希も笑顔になる。

「元気でした?どこか痛くない?」

まり子が笑顔のまま首を振る。

「そう・・・」

ゆっくりと車椅子を引いて、桜の木の下に停まる。

「まり子さん、桜よ。ちょっと寒いのにもう咲いてるわ」

「・・・きれい」

「綺麗ね」

二人で桜を見上げる。

薄紅色の桜は満開の花をつけていた。

 

「おかーちゃん」

「なあに?まり子さん」

「おとーちゃんは?」

「・・・え?」

「おとーちゃんも、さくら好き」

「まり子さん・・・」

「いっしょにみたいねって」

優希の瞳から涙が溢れていた。

「まり子さん・・・いないのよ」

「おかーちゃん、どっかいたいの?」

優希はぎゅっとまり子を抱いた。

「長瀬くんは・・・もういないのよ」

「おかーちゃん、いたいの?」

「痛いんじゃないの。寂しいの。悲しいの」

「さみしい?かなしい?」

「そう。長瀬くんにもう会えなくって、寂しいくて悲しいの」

優希の言葉を理解できていなさそうなまり子だったが、優しく優希の頭を撫でてくれる。

 

優希は泣いた。

声をあげてわあわあと。

笙一郎への恋しさが胸をついたから。

まり子の手が温かかったから。

子供のようにわあわあと泣いた。

 

長瀬くん。

あなたが恋しくて、寂しいよ。

それから、こんな風に自分を曝け出して泣ける場所がなくて悲しいよ。

あなたは奪ってしまったのよ。

私の愛する人と、心の拠り所を同時に。

酷い人。

私を一人にして。

まり子さんも一人にして。

 

いつも助けてくれたじゃない。

私が困ってると手を差し伸べてくれたじゃない。

遠慮がちに慰めてくれるあなたの手が、とても好きだった。

私の涙を見て、泣きそうになるあなたの優しさが、とても好きだった。

聞くだけで落ち着くことの出来る声が、とても好きだった。

 

姿を見せて。

一瞬の夢で構わないから。

声を聞かせて。

あなたがくれるなら、どんな絶望の言葉でも構わないから。

手を差し伸べて。

触れることなんて出来なくても構わないから。

 

ほんの小さな欠片でもいい。

私の目の前に奇跡を起こして。

 

 

「おかーちゃん?」

心配そうな顔でまり子が優希の顔を覗き込む。

その仕草に優希が我に返った。

いつの間にか、抱きしめていたはずの優希がまり子に抱きしめられていた。

優希は笑おうとしたが上手く出来なかった。

ぎこちない笑顔の優希をまり子は悲しそうな瞳で見つめる。

それから、優しく優希の頭をもう一度撫でてくれた。

 

その仕草が笙一郎の仕草とそっくりで

やっと優希は少し笑えた。

 

まり子さんの中で、あなたは生きているのね。

 

 

 

その瞬間だった。

急な突風が一帯を襲う。

 

その風に桜の花びらが舞った。

次から次へと。

まるで雨のように。

 

「わぁ・・・」

まり子が声をあげる。

優希も泣くのを忘れ、その光景に見惚れた。

次々と舞う花びらは、二人をやさしく包むようだった。

 

「おとーちゃん!!」

まり子が急に言い出した。

「どうしたの?まり子さん」

優希が声を掛ける。

「おかーちゃん、これおとーちゃんだよ!!」

「え?」

「おかーちゃんが泣いてるから、おとーちゃんがイイコイイコしてくれるって」

「長瀬くんが?」

「泣いちゃダメだよっていってるんだよ」

優希はもう一度、桜の樹を見上げた。

 

 

ひらひらと舞う花びらはまるで私の髪を撫でるように。

次から次へと降り積もる。

 

ないちゃだめだよ、ないちゃだめだよ

ぼくはいつもそばにいるよ

きみのとなりにいつもいるよ

 

すがたはないけど、いつでもきみのとなりに

いつでもきみのこころのなかに

いつでもぼくはいるから

さみしくなったらおもいだせばいい

こいしくなったらなまえをよべばいい

ぼくはいつだってそばにいるんだから

 

 

「長瀬くん…」

偶然かもしれない、幻聴かもしれない。

それでもいい。

確かに、私には長瀬くんの声が聞こえたから。

降って来る花びらの一つ一つに長瀬くんのあの優しい手を見たから。

大きな樹に長瀬くんのあのたたずまいを感じたから。

 

奇跡をありがとう、長瀬君。

 

 

「おかーちゃん?」

優希はまた、自然と涙を流していた。

でも先程とは違う。すっと笑顔になれる優しい涙。

「帰ろうか?まり子さん」

「うん」

「また、来年二人で桜を見ようね」

「うん。おとーちゃんの樹だもんね」

「そうね」

 

 

死んだら人の魂は、どこへと流れていくのだろう。

長瀬くんは今どこにいるのだろう。

あのクスノキ?双海病院?

それともあの記憶の中のちいさなモウル?

どれもそうであって、どれも違うと思う。

もう実体などないのだから、どこにでも長瀬くんはいるんだ。

少しずつわたしたちの中に、それからあの月に、この樹にも。

どれも優しく、貴方のように。

ずっとずっと見守ってくれる。

ありがとう。

あなたが、モウルでよかった。

あなたが私と痛みを分け合えた人であった事を誇りに思うよ。

 

 

「おとーちゃん、ばいばい」

まり子が樹の幹を優しく撫でた。

「ばいばい」

優希も優しく笑ってそう呟いた。

 

 

またくるね。

今度はお弁当を持って。

お花見、したかったんだものね。

 

ね、長瀬くん?

優希は、心の中の笙一郎にそう言った。

 

 

優希の胸が少しきゅうと痛んだのは、きっと笙一郎が返事をしているからだと。

募るばかりの恋しさを、優希は少しだけ誤魔化すことにした。