パンドラの箱

 

 

この憎しみに勝てるものなんてないと思っていた。

 

些細な怒りも、微少の悲しみも、

 

そして僅かな快楽も、偽りの平和も

 

自分の中で憎しみを上回るものなんて、もう残っていないと思っていた。

 

 

 

 

お伽噺に聞いたことがある。

俺はそれを耳にした時に、確かに笑った。

 

なんて馬鹿馬鹿しい奇麗事だと、吐き捨てるように笑った筈なのに。

 

 

 

 

どうしても

 

どうしても

 

 

一瞬で、自分の感情のすべてが飲み込まれるくらいまでに広がっていった。

 

 

いかないでくれ

 

いかないでくれ

 

 

 

今更、人のために涙するなんて思ってもみなかった。

 

脳裏で今までの映像がフラッシュバックしているような

それすらも見えていないような

 

 

必死だった。

俺は必死に祈ったのだ。

 

 

 

女の名を呼ぶ。

 

もしも、自分の命を分け与えることが出来るのなら、いますぐにでもやってしまいたい。

 

自己犠牲でも高尚な愛なんてものでは決してない。

 

 

嫌なんだ。

 

この女が死ぬところを俺はただ目にするのが嫌なのだ。

 

 

さっきまで戯言を吐いていた男も、

かつて亡くした唯一の肉親も、今は頭の片隅にすらいなかった。

 

 

ただ、ひとりだけ

 

 

 

憎しみも怒りも悲しみも

快楽も平和も超える、いまの俺のすべて。

 

 

『希望』

 

 

この女には生きてて欲しい。

 

その思いだけが際限なく肥大化していく。

 

 

 

いきて

 

いきて

 

 

おねがい

 

 

 

 

 

 

頬を撫でる川辺からの風も

闇を照らす静かな月も

そして人工的な紅い光も

 

すべての感覚を麻痺させたまま俺はずっと祈った。

 

箱の中に隠されていた唯一のものは

意地悪く今まで顔を出してくれなかったから

最後の願いくらい叶えてくれてもいいと思うんだ。

 

 

 

お願い

この女を助けて−