おまもり

 

 

 

部屋中に、シャワーの音が響く。

狭い一人暮らしの部屋なんて、こんなものだ。

俺は、洗ったばかりの髪をタオルでわしゃわしゃと拭いた。

今風呂に入っているのは、柴田だ。

一緒に入ろうと誘ってやってんのに、どうもあいつはノリが悪く、俺が風呂を出るまで待っていやがった。

・・・まあ、風呂に入っただけましか。

 

板張りの部屋をべたべたと裸足で歩くと、床に柴田の小汚い鞄とコートが落ちていた。

正確には、隅っこの方に置いてあったのだろうけど、小汚いので捨ててあるように見える。

「いーかげん買い換えろよ・・・」

独り言を言って、拾い上げる。

鞄もコートも異常に重い。いつもこんなもん身に着けているのか、あいつは。

ハンガーにかけてやろうと歩き出すと、紙きれが一枚、はらりと床の上に落ちた。

面倒臭えと思いつつ、しゃがみ込んで、その紙を拾い上げる。

鞄は横にしていないので、コートのポケットあたりから落ちたのだろう。

 

軽い好奇心から、四つに折りたたんであるその紙切れを開いてみた。

・・・・・・。

そこに書かれてあったのは、俺の名前と住所だった。

 

 

「真山さーん、お湯って抜いてていいんですよね〜?」

風呂上りの柴田が、火照った顔で部屋に戻ってくる。

「他に誰が入るんだよ。・・・まさか、お前なんか見えてんの?怖いよ、ヤメテ?」

「なんかって・・・?あ、幽霊の事ですか?」

「その固有名詞出さないでくれる?」

「真山さん駄目なんでしたっけ?」

「なんでお前って頭いいくせに、どうしてそういう基本的なこと覚えてくんないの?」

「どうしてでしょうねぇ?人体の不思議なんですかね?

あっ、そうだ真山さん、今度『人体の不思議展』ご一緒しません?人間の輪切りが見れるんですって〜」

「誰が行くか、馬鹿」

「えー?すっごい楽しそうなんですけどね〜?」

真剣にふざけた事を言いながら、柴田もタオルで髪の毛をがしがしと拭いていた。

普通、女ってそんな豪快な拭き方しないような気がするけれど、柴田らしい気がするのでまあいいか。

 

「・・・なあ」

柴田の背中に呼びかけると、柴田ががしがしとしながらこっちを向いた。

「この紙、何?」

さっきの紙を目の前でひらひらさせた。

「・・・あれ?その紙って・・・」

その紙に吸い寄せられるように柴田が近づいてくる。

「お前のコートから、落ちたんだよ」

「ですよねー。どっかで見覚えがあると思いました〜」

柴田がのんきに言って、その紙を手にした。

「だからさ、何それ?」

「えっ?」

「何で、俺の名前と住所書いてある紙をお前は持ち歩いてんの?」

「えーっと・・・改めて問われると、ですね・・・」

柴田が困ったような顔をした。

別にいじめようという気はないが、自分の名前と住所が書かれていたのがやけに引っかかった。

 

「あれでしょ?なんかののろいとかおまじないとかそういう類でしょ?」

中々言わない柴田に痺れを切らしてしまう。

「違いますよ〜!!のろいはちゃんとしたノートにまとめてありますから〜」

「・・・やっぱり呪ってんの?」

「あ・・・」

べちん。

「ヤメテ?今すぐ。ね?」

「こうやってすぐ叩くからじゃないですか〜」

「叩かれるようなことする方が悪いんでしょ?」

「・・・はぁい」

柴田が恨めしそうな顔で俺の方を見ている。

 

「で?何なんだよ。あの紙は」

睨み返すように柴田を見ると、柴田はちょっと拗ねたような表情で口を開いた。

「・・・これは・・・迷子になったときに、誰かに道を聞く時の為にですね・・・」

「ああ、なるほどね」

そっか。コイツは筋金入りの方向音痴だったっけ。

「・・・でもさ、それなら住所だけでいいんじゃないの?」

「・・・・・・他にも、まぁ色々と・・・」

「色々とって何だよ?」

「・・・・・」

また、黙ってしまった。

「しーばーたー」

頭をくちゃくちゃにしていじめるフリをして、タオルで拭いてやる。

「何だよ?気になるんだよ。なんか気持ち悪いじゃん。ね?」

少し乱暴に頭を拭く。柴田はこうやられるのが好きなのをちゃんと知っているのだ。

「・・・馬鹿にしませんか?」

ほら、ちょっと態度が軟化してきた。

「さあ?それは聞いてみないとねー」

「・・・自分でも、ちょっと・・・なんていうか、気休めにしかならないって分かっているんですけど・・・」

「だから何?」

言いにくそうに、柴田が俺の方をちらりと見た。

 

「お守り、です」

「お守り?・・・ただの紙きれじゃん」

「そうなんですけどね・・・」

観念したように、柴田は話し出した。

「私、前に記憶がなくなったじゃないですか・・・」

「・・・そんな事もあったね」

軽く苦笑いをした。

「記憶が戻った時にね、すごーく悔しかったんです・・・」

「・・・・・・・」

俺は黙っていた。何を言ったらいいかがよくわからなかったからだ。

「自分が、真山さんの事も、朝倉の事件もすっかり忘れていた事がすごく、悔しかったんです」

「・・・お前のせいじゃないじゃん」

やっと口に出来た言葉がこれだった。

「皆さん、そういってくれますけど・・・」

柴田が悲しそうに笑う。

いつの間にか、俺の手は止まっていて、柴田の頭の上に水を吸ったタオルが力なく置かれている。

 

「もしも・・・また私が記憶をなくすことがあったとしても・・・」

柴田があの紙をじっと見た。

「こうやって、真山さんのことを書いた紙を持っていれば、真山さんのことだけは、忘れなくて済むかなぁって・・・

・・・やっぱり、気休めにしかなりませんよね?」

無理矢理笑う柴田が痛々しい。

 

「・・・あのさ」

俺の声に、柴田がこちらを見た。

「あの時は特殊だったわけじゃない?」

「・・・記憶をなくすなんて、滅多にないことですもんね」

「そうじゃなくってさ・・・」

俺は、柴田の頭の上のタオルを手に取った。

もう一度、今度は優しく柴田の頭を拭いてやる。

「あの時は、ヤツのこともあったから、お前が記憶を取り戻さない方が幸せだと思ったわけ。みんなね」

「それは・・・分かりますけど・・・」

「でも、今度もしお前が記憶をなくすとするじゃん?そうしたら周りが放っておくと思う?」

「え?」

「木戸も、近藤さんも、京大も・・・野々村のおっさんまで出張ってくるんじゃない?力ずくでも思い出せされられると思うよ?」

もう随分切っていない柴田の髪は、肩よりも長い。

髪の毛の先の水分を、タオルで丁寧に吸い取った。

「・・・真山さんは?」

「んー?」

「真山さんは、心配してくれないんですか?」

柴田が少し潤んだ目で聞いてくる。

馬鹿な女だ。

「・・・心配しないと思う?」

「してくれるんですか?」

「まぁ、捜査のない暇な生活に飽きたらね」

「すぐに飽きますよ!きっと」

鼻息荒く柴田が言う。

「それはどうだか」

俺がからかってそう言うと、柴田はまたしょんぼりする。

 

「・・・柴田」

「はい」

「あの時はさ、俺もお前の記憶が戻らなきゃいいと思ったんだ」

「・・・はい」

「でも今度は・・・」

濡れた髪を、やわらかく撫でる。

「嫌でも思い出させてやるからな」

「はい」

柴田が抱きついてくる。

冷たい髪ごと、俺は包み込むように抱いた。

「紙なんてさ、いらないんじゃない?」

「え〜?いいアイディアだと思ったんですけどね〜?」

「紙じゃなくて、俺がいればいいんでしょ?」

「・・・なるほど」

柴田がもぞもぞと動いて、俺の顔を見上げた。

 

「そうなった時も、傍にいてくれますか?」

縋る様な視線に、俺は少し笑った。

「まぁ、手放す気はないからね〜」

「本当ですか?」

「今のところ」

「こういうときは嘘でも『ずっと』とか『絶対』とか言うものですよ〜?」

「・・・勘弁してよ」

俺がきっと情けないような顔で笑うと、柴田もちょっとだけ笑顔になった。