October

 

 

「あっ…」

小さな声をあげてよろめく柴田を抱き抱えたのは、彩だった。

 

弐係で、いつもの雑談の最中に柴田がふらりとよろめいたのだ。

頬が紅い。

彩は、柴田の顔の熱さに戸惑った。

 

「柴田、ダイジョブか?」

なるべく慌てず、低い声で尋ねる。

「・・・・・・あれ?」

いつもどおりのとんちんかんな答えも、どこか頼りない。

「アンタ、熱あると違う?」

「熱…ですか?そういえば、ちょっとあついかもしれません」

柴田はぼんやりとした表情で、ふらつきながらも立っている。

掌で柴田の身体を温めるように撫でる。

「風邪か?しっかりしーや」

「…はい」

小さな声が聞こえた。

ちっと小さく彩は舌打ちをする。

 

「真山さん、柴田風邪ひいてんの?」

「…俺に聞くなよ」

柴田の保護者兼飼い主の方に尋ねても、そんな返事しか返ってこない。

本当は心配な癖に。

心の中だけで言う。この男は怒らせると厄介だからだ。

 

「あー!もう、真山さん!!」

大きい声を出して、もう一度真山さんの方を振り返る。

「あ?」

ばさりと読んでいた新聞をやっと下ろして、真山がこちらを見た。

「柴田重いねん!ちょっと、ソファまで運んでくれへん?」

「俺だって重いのやだよ」

愛想も可愛げもない。

「じゃあ、金太郎に運ばせるで?

アイツ変態やから柴田の乳とか揉み放題するけどええんやな?」

当の金太郎は高いびきでお休み中だ。

「…わかったよ」

しぶしぶ立ち上がった真山さんがこちらにだるそうに歩いてくる。

柴田を受け取ると脇の下に手を入れ、ずるずると引きずるようにソファまで運ぶ。

「なんやそれ。ちゃんと運んだりーな」

思わず苦笑してツッコむが、ギロリとひと睨みされ首を竦める。

 

どさりとソファに落とされた柴田は、熱っぽい顔でされるがままになっている。

のろのろと横になる柴田を真山さんは手をかさずにじっと見ていた。

「薬かなんか買って来た方がええ?」

真山さんに聞くと、仕方なさそうにため息をついた。

「おまえさー、人に迷惑かけんじゃないよ」

「…すみません」

しんどいのか、柴田が目を閉じたまま小さな声で答える。

「ちょ、真山さん。病人にそれはないんちゃう?」

「いいんだよ。こいつ人の言うこと聞かなくて風邪ひいた馬鹿だから」

真山さんは機嫌が悪そうに言うと、すたすたと自分のデスクに戻っていく。

 

「…何?あんたら喧嘩でもしてるん?」

屈んで小さな声で、柴田に尋ねる。

「喧嘩と言うか…一方的に怒られてるんです」

しゅんとした表情で柴田も小声で返す。

なんだか微笑ましくてくすりと笑ってしまう。

 

「じゃあ、アタシ薬買うて来るから、真山さん柴田の面倒みたりよ」

「やだよ」

大人気ない子供のような男を鼻で笑って、弐係を後にする。

 

…フリをして、こっそりドアのところから様子を伺ってみた。

実は風邪薬は鞄の中に入っているのを思い出したのだ。

そしてなんとなく子供のような喧嘩をしている二人を見て見たかったのだ。

 

 

今日は近藤さんが休みで、あとはのんきに寝ている金太郎とあの二人。

SWEEPで培った技術を駆使して、二人を覗き見る。

 

 

5分経過。

二人に動きは全くない。

 

10分経過。

真山さんが新聞からつめ切りに暇つぶしの手段を変える。

 

20分経過。

金太郎の無呼吸症候群が発覚。

 

25分経過。

柴田が小さな咳をした。

 

それを聞いて、やっと真山さんが立ち上がる。

 

 

柴田のコートを手にソファのところに行き、ばさりとかけてあげている。

それから屈んで柴田の頭をぺちんと叩く。

「…痛いです」

小さな声で柴田が呟くと、真山さんの手がそのまま柴田の額に当てられる。

「熱あんじゃん」

「そうなんですか…?」

真山さんがこちらに背を向けている為、表情がわからず、無念。

 

それでも、真山さんの手がゆっくりと柴田の頬を撫でているのがわかった。

「真山さんの手、冷たくてきもちいー、です」

「お前の顔が熱いんだって」

なんとなくどきっとする。

話している内容は他愛もないことなのに、二人のトーンが少し違うのだ。

柴田の声は少し甘く、真山さんの声が少し低い。

きっとこれは、お互いだけが知る、私が知らない二人の声だ。

 

 

熱っぽく柴田が真山さんを見上げる。

風邪をひいているとわかっていても、いつもの柴田との違いに戸惑ってしまう。

真山さんはどんな表情で柴田の顔を見ているんだろう。

 

「…怒ってるんですか?」

「わかってんじゃん」

 

内緒話よりも少し高い二人の声。

 

ぐしゃぐしゃの柴田の洋服の襟を真山さんの手が優しく直す。

その仕草だけでなんだかすごく色気がある気がする。

 

「だいたいね、素っ裸で寝るののどこが健康法なの?考えろって」

…喧嘩の原因はそこにあるらしい。

なんて下らない。

 

「だから言ったでしょ?馬鹿」

「だって…雑誌に書いてあったんです」

合間に聴こえる柴田の咳が少し辛そうだ。

「そういうのをね、鵜呑みにするとこうなんの。わかった?」

柴田の服の中に入り込んだカメオを真山さんがすくう。

音もなくカメオがソファの革の上に横たわった。

 

「すみませんでした…」

柴田が目を伏せた。真山さんがそれを受けて柴田の頭を少し乱暴に撫でる。

「とにかく、木戸が買ってくる薬飲んだら帰れ。な?」

自分の名前が会話に出てきて、またどきりとした。

「はい…」

柴田が素直にこくりと頷く。

お仕置きの様に真山さんの手が柴田の鼻をぎゅっと摘んだ。

 

 

そろそろ出て行こうと思った瞬間だった。

 

柴田の腕がそろそろと伸びて、真山さんのスーツをぎゅっと掴んだ。

ふたりの一層、小さな声。

「…風邪うつったらどうしてくれんの?」

「だめですか?」

柴田の声はより甘く、色気を増す。

ねだる女の声。

 

「普通に考えて、だめでしょ」

 

真山さんもより低く、溶ける声。

苛める男の声。

 

 

こちらからの視界は、真山さんの頭部で柴田の顔が見えなくなった。

スーツを掴む柴田の手に力が入り、皺が寄っていく。

 

ほんの一瞬だった。

 

すぐに真山さんは顔を離して立ち上がる。

柴田が幸せそうな表情で微笑んだ。

 

名残惜しそうに柴田の手が離れていく。

ゆっくりと落ちていく指先が、目に焼きついていく。

 

真山さんは柴田を一瞥もせずにコツコツと靴音を響かせてデスクに戻る。

そしていつもの顔で面白くもない社内報を読み始めた。

 

 

 

私はやっと弐係に入れるタイミングが来たのに、なかなか足が動かなかった。

…まずはこの赤い顔をなんとかしないと。

子供の喧嘩をする大人は本当にタチが悪い。

 

下らない喧嘩の仲直りがイチイチいやらしいから。