| November
目を覚ましたとき、最初に感じたのは雨音だった。 ざあざあとひっきりなしに聴こえる激しい音。 辺りは薄暗いけれど、きっとまだ昼過ぎくらいだろう。
そこまで頭で考えて初めて、自分が昼寝をした事を自覚した。
確か、休みの日まで真山の家で捜査資料を読んでいたはずだった。 ぶつぶつと小言や文句を真山からぶつけられたことまでは憶えている。 いつのまにか捜査資料のひとつを枕にして寝ていたらしい。 口元を涎がつたっている。 枕に小さなしみが見えて、慌てて手で拭った。 その後に、自分の口元も。
また起きない頭を抱えてうずくまる。 自分に毛布が掛けられている事に漸く気づいた。
急に目が冴えて、がばっと起き上がる。 振り向くと、部屋の片隅にあるストーブが目に入る。 白いストーブは少し早いけれど真山に言って出してもらったものだ。 しゅんしゅんとストーブの上の薬缶が音を立てる。
そのおかげで、部屋の中が暖かい。 自分の頬があついのは、このストーブと毛布、そしてさっき見た夢のせいだった。
いつもならこの辺りで声を掛けられるはずなのに、今日はそれが聞こえない。 くるりと首を回すと、珍しい事にベッドの上で真山が眠っていた。
いつの間にか雨の音が静かになっている。 今、この部屋を満たすのはストーブの熱気と薬缶の水蒸気の音。 そしてかすかに聞こえる真山の穏やかな寝息だ。
なんとなくその空気が愛おしくて、そのままこの空間を見つめてしまう。 板張りの床までもが自分の体温で暖められてやさしく感じる。 真山が掛けてくれただろう毛布で身体を包む。
ゆっくりと、何かが身体の奥から湧き上がってくる。 あたたかく、やさしい何か。 じわりと涙が滲む。 涙になってこぼれてしまうのが勿体なく感じて、ぐっとこらえた。
「なぁ、柴田。あんたら倦怠期ってないの?」 「倦怠期、ですか…?」 いつかの彩との会話が蘇る。
「だってあんたら仕事も一緒、普段も一緒やんかー。 普通のカップルよりも飽きが来るの早いんとちゃうー?」
彩の意見はもっともだったが、柴田は考え込んでしまう。 全く思い当たらないのだ。 しばらくうーんと考え込んでいると、 「はいはい、ごちそーさん」 呆れた様に彩に言われた。
毛布に包まれたまま、柴田は立ち上がった。 ずるずると引きずる毛布のせいで、散乱している捜査資料が余計に散らばっていく。
ベッドのところまでたどり着くと、柴田は眠っている真山をじっと見つめた。 真山は背が大きいので、ベッドの上ではいつもすこし丸まって眠る。 いつも壁に背を向けて開いたスペースに柴田を入れてくれるのだ。
今日も1人で眠っているはずなのに、いつもの体勢だった。 柴田のスペースが開いている。 きっと、それは真山が意図しているわけではないだろう。 それが習慣になってしまっているのだ。
それが嬉しくて、柴田は穏やかに微笑んだ。 にやけた、と言った方が正解かもしれない。
毛布をマントのように翻して、柴田はいつもの場所に潜り込む。 ふわりと舞った毛布が二人を一緒に包んだ。
柴田は、思う。 きっと二人でいて飽きないのは、想いが深いからではない。 自分は器用ではないから、捜査の事になるとそっちに気を取られてしまうからだ。 こんなに好きな真山も、心の中の隅に追いやられてしまう。 けれど、捜査の途中も、終わった後も、真山はずっと隣にいてくれる。
迷子になった駅のホームも、弐係の中でも、人ごみの中でも。 桜の季節も、連休も、梅雨のときも。 そして、身体が弱ったときも、心が弱ったときも。
色んな表情と色んな気持の真山が一緒にいてくれた。
きっと、その度に柴田は真山を好きになっている。 いつもいつもはじめから。
だから飽きたりなんてしないし、離れもしない。 恋か愛かなんてわからないし、本当は自分がここにいていいのかもわからない。
それでも、ここにいたいと強く願っている。 つよく、つよく。
手を伸ばして、真山の顔をそっと撫でる。 髪をおろして少し幼い真山を、また好きになる。
「…真山さんは、どうですか?」 小さな声で尋ねるけれど、もちろん返事はない。
きっと聞こえていたって答えてはくれないだろう。 それでいい。
真山は何も言わないから、正直時々不安になる。 それでも隣にいてくれるから、置いてくれるから。 信じられる。きっとどこまでも。
それだけがあれば、大丈夫。
重くなっていく瞼に逆らわずに目を閉じる。 真山の寝息ほど良い子守唄なんて他に知らない。
柴田は、ゆっくりと幸せな眠りに落ちて行った。
真山が静かに瞼を開ける。 そっと柴田を自分の方に抱き寄せた。
パズルのピースが嵌まったように、二人はぴったりと寄り添う。
そして、柴田の頭にやさしくキスをして、また目を閉じる。
真山がもう一度眠る直前に呟いた一言は、薬缶の音で聞こえなかった。 柴田は、幸せそうに微笑んでいた。 |