ねがいぼし
「真山さん、もしも願いが一つ叶うなら何を願いますか?」
柴田が水槽の中の金魚を見つめながら言った。 今日は土曜日。本来なら非番のはずであった。
しかし、捜査熱心な弐係長は捜査の為、と部下の家を訪問し捜査の誘いにやってきたのである。 その不幸な部下の真山は文句を並べるだけ並べたが、 弐係長こと柴田の根気に負け、ついに捜査に出かけることになったのだ。
真山が着替えをしているときであった。 「未来のだんな様以外の裸は見れません」と言い張り、 真山の着替えを見ないようにと水槽をじっと見つめていた柴田が真山に唐突に聞いた。
「は?何?急に」
「…何を願いますか?真山さん」 柴田が静かにもう一度聴いた。
こういう風に物を尋ねる時柴田は、真山が真摯に答えるまで納得しないのだ。 真山はそれがわかっていながら、非番である日に働かされる機嫌の悪さでふざけて答えた。
「そりゃもちろん美女はべらしたいね。 俺はこう…バスローブ?みたいなの着てさ。ブランデーグラス持ってんの。 いいね〜、これ。全世界の男の夢でしょ」 そう言って真山は一人うっとりと何度か頷いている。
「真山さん、真面目に答えて下さい」
「あ、それとも裸にエプロンの方がいいかな〜。でも、イメクラでやってもらえるしね」 真山は尚もふざけて答えた。
普段ならここで「もう」だの「ふざけないで下さい」だの柴田の声がするのだが、 今日はその声は聞こえてこなかった。
「…沙織さんが、生き返るのを望みますか?」
一瞬、真山の動きが止まった。
柴田がゆっくりと振り向き、真山の方を見る。 その瞳は酷く澄んでいて真山を射抜くような瞳であった。
柴田が解いた事件の犯人たちはこんな瞳で見られているのだろうか? よく、この目から逃れようと思うよな。 真山はぼんやりとそんなことを考えていた。
「…真山さん」 柴田が焦れたように真山の名を呼ぶ。 真山は自身の瞳にも力を込め、真っ直ぐ柴田を見つめ返す。 そして目を伏せて少しうなだれた。
「やっぱさ、さっきのナシ」 柴田がゴクリと唾を飲み込んだ音が狭い部屋に響く。
「ハゲ、治してもらうよ、ハゲ。だって、オネ−チャンにもてないでしょ?」 「真山さん」 今度は責めるような柴田の声。 真山は煙草に火を点け、ゆっくりと煙を吸い込む。
「お前は?」 「はい?」 「お前は亡くなった親父さんを生き返らせるのがお前の願いなわけ?」 柴田は大きい瞳を更に大きくした。
「それは…思い付きませんでした。」 「は?違うの?」 「父はもう亡くなっているんです。 …出来たらもう一度逢いたいとは思いますが、あの島で父は言ったんです。『ずっとそばにいた。』って。 だから今も傍に居てくれると思います。 …私は、それで十分です。」
柴田の悲しさと辛さを全て包み込むような静かな声に真山の胸が少し痛んだ。
「じゃあ、お前は何を願うんだ?」 「…私は…」 「何?まさか『だんな様』とか言うんじゃないだろうね?」 煙草の灰を灰皿に落としながら、真山は少し柴田をからかってみた。
「…私の願いは、真山さんが私より一秒でも永く生きてくれる事です」
そう言って真山の方を真っ直ぐ見た柴田の事を、真山は不本意ながらも綺麗だと思ってしまった。
「もう、あんな想いはしたくないですから」 柴田が長い睫毛を伏せた。
そうだった。そういえばこいつは少なくとも三回、「俺の死」を感じているのだ。
…あの河原で、SWEEPに撃たれた時。 …ビルの屋上で背中にナイフが刺さった時。 …そして、広い海原に浮かんだ小さな船の上で。
きっとこいつは俺なんかより傷付いている。
さっきの言葉は聞き様にとっては酷く我儘な台詞なのかもしれない。 けれどもきっとコイツの心からの願いなのだと思った。
「真山さんの願いは何ですか?」 柴田が何度目かになる質問を繰り返す。
「だから、ハゲ治すことだって」 「真山さん!」 柴田が少し声を荒げる。真山はもう一度大きく煙草を吸った。
「…沙織はさ、もう死んだんだ。その事実を無理矢理変えようとは思わないさ。 『死んだ人間はいつでもそばにいる』んだろう?」 「はい。沙織さんも必ずいつも真山さんの傍にいらっしゃいます」 柴田が優しく微笑んだ。真山も口の端を少し上げて軽く笑った。
「俺の願いねぇ…何?言ったらお前が叶えてくれんの?」 「え?あ、私に出来る事でしたら…」 柴田は真山の唐突な質問に戸惑いながら答えた。 その姿に真山は再びクスリと笑い、ゆっくりと煙を吐き出す。
そして、しゃがみ込み柴田と同じ目線になりながらこう言った。
「多分、俺の願いを叶えられるのはお前だけだと思うんだけど」
その声は深く、甘い声で。柴田は軽く眩暈がした。
「な、何でしょう…?」
体を硬く硬直させ、何とか答える。
「あのさ、非番の日くらい休ませてくんない?」
「・・・は?」
「後さ、給料上げてよ、給料。係長のお前ならすぐ出来るだろ?」
「へ?」
きょとんとしている柴田を見て真山はくっくっと声を殺して笑う。 そして柴田の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「も〜、止めてくださいよ〜。真山さ〜ん」 「煩いね。頭クサいんだよ、お前。人ん家来る前に頭洗って来い! エチケットだよ、エチケット。ね。」 「…いつも煙草をポイ捨てする真山さんにエチケットを語られたくありません」 「なんだ?お前、口答えする気?勇気あるね〜」 「折角、人が真面目に話していたのに…もう、どうしていつも茶化すんですか?」 「何?お前今日あの日?やたら反抗的だね〜。」 「それってセクシャルハラスメントですよ。訴えますからね、真山さん!」 「なんだよ、セクハラって。 係長、休みの日まで仕事させるなんてね、労働基準法違反だよ。知らないの?東大出身のくせに」 「別に仕事を強要させていませんよ」 「へぇ〜、面白い事言うね。非番の日に朝から部下の家に来るのは強要に入んないの?」 …真山さん、今度のボーナス査定、覚悟して下さいね」 「何だよ、てめー!それこそ権力乱用って言うんだよ!」 真山がより一層激しく柴田の紙を掻き毟る。 「俺の願い叶えてくれるんでしょ?ボーナス上げろよ、しばたぁ」 「痛いですー!やめてくださぁーい!おとうさーん!」 「はっはー!叫べ!わめけ!お父さんが助けてくれるかもよ?」 「沙織さーん!助けてくださーい!」 「何言ってんの?沙織は俺の味方だよ?」 「そうとは限らないんじゃないんでしょうか? 真山さんに苛められている可哀想な私を助けて下さるかもしれませんよ?」 「可哀想?どこが可哀想なの? 可哀想なのは休みの日まで頭の臭い係長にこき使われている俺の方でしょ!」 「止めてくださーい!イヤッ!そこは!あぁっ!」
本音を言うと、 もし一つ俺の願い事が叶うなら。
―どうかこの女がこれ以上悲しみませんように―
・・・それだけだよ、柴田。 |