| need you. この感情に名前があるなんて、誰も教えてくれなかった。 「しばたー」 耳慣れた低い声がして、真山さんは私の頭をぐしゃぐしゃとかきむしった。 きっかけは、きっと些細なことで。 少なくとも私には何故こんな目にあっているかは分からなかった。 それでもきっと、何かが真山さんの気に障ったのだろう。 真山さんは不機嫌な顔で私の頭を弄んでいる。 「ばーか、ばーか」 「も〜、やめて下さいよ〜」 私が抗議しても、きっと真山さんの気が変わるまでこの状態は終わらない。 せっかく朝、ちょっと早起きしたからちゃんと髪の毛綺麗にしてきたのに。 そんなにぐちゃぐちゃにしたら台無しじゃないですか。 見上げるように、少しだけ真山さんの顔を睨んだら、 ぱっと一瞬目が合った。 「・・・何だよ。何睨んでんの?」 不服そうな真山さんの声に、私も負けじと不服全開の口調で返す。 「真山さんが止めてくれないからですよ?」 「お前が悪いんでしょ?」 「え?私、何かしました?」 やっぱり、というか思いもよらないと言うか。 心当たりはないけれど、私が何か真山さんの気に障ったのは確かなようだ。 私がそのままじっと原因を思い出していると、突然真山さんの手が離れた。 「もういいよ」 ため息のようなその一言を残して。 その瞬間、とても不思議な感覚が私を襲った。 これは、本や映画で見た「どきどき」や「きゅん」などどは明らかに違った。 恋やときめきなどというかわいい名前がつきそうもない、ざらっとしたヘンな感じ。 そんな私の気持ちに真山さんが気付くわけもなく、大きな背中はゆっくりと遠ざかってゆく。 どうしよう。どうしよう 迷う頭とは裏腹に、体は本能にそのまま従った。 遠ざかる背中を、私の手ががっしりと掴んだ。 「・・・何?」 まだ不機嫌そうな顔がくるりとこちらに向けられる。 「・・・えっとですね・・・あのー」 こういうときに私の頭はもどかしいくらい上手く回ってくれない。 「あのさ、用があるなら早く言ってくんない?」 更に深くなる眉間の皺。 そういえば、口も体の一部だ。 いつのまにか本能に従ってゆっくりと動いた。 「・・・手」 「はぁ?」 私の言葉に怪訝そうな真山さんの顔。 「真山さんの手、ちょっと見せてもらえませんか?」 気がついたら、そう言っていた。 「何で?」 私の要求に、真山さんはさっきまでとは違う、ぽかんとした顔をしている。 「・・・ちょっと、いろいろとありまして・・・」 私の頭が漸く少しだけ動いたが、そう言い訳するのが精一杯だった。 真山さんは不思議そうに首を傾げたが、考えるのが面倒臭いのか、素直に私に手を差し出した。 私の目の前には、大きなてのひら。 私はそれをしばらくじっと見た。 「事件と関係あんの?」 さすがに私の行動が不気味だったのか、おそるおそる真山さんが尋ねてくる。 「・・・あー、まぁ・・・そんなところです」 「ふーん?」 口ではそう言っているものの、なんとなく納得してない様子。 それでも、私は吸い込まれるように真山さんの手をじっと見る。 長い指。 関節がしっかりしているので、ごつごつしている。 ゆっくりと自分の手も伸ばす。 「失礼します」 小さな声で呟くと、真山さんの手にそっと触れた。 自分の両手のてのひらの上に、真山さんの手が乗っている。 真山さんの手は、私の手よりも少しあたたかい。 伝わってくる皮膚の感覚は、思っていたよりも柔らかそうだったけれど、私のものとは少し違う。 同じ人間、同じ人種なのに、オトコとオンナでどうしてこう違うのだろう? そんな疑問をぶつけた所で、正解など返ってくるわけはないので、黙ってその感覚を味わった。 真山さんの手の温度と私の手の温度が、ゆっくりと溶け合ってゆく。 本当はぎゅっと握ってしまいたい。 このまま握って、真山さんの温かさを感じて。 目を瞑って、その感覚をゆっくりと味わいたい。 そんな衝動が沸き起こる。 さっきの感情だ。 触って、掴んで、離したくない。 ずっと、そのままでいて欲しい。 私に、そんな権利などないのに。 わたしたちはただの同僚で、上司と部下で、先輩と後輩で。 決して、オトコとオンナじゃない。 真山さんはそんなこと望んではいないのに。 どうして? 私はそんなこと思ってしまったのだろう。 心の中の葛藤を表に出すことも出来ずに、私は真山さんのてのひらを指でなぞった。 てのひらは、手の甲よりもずっと柔らかくて、あたたかい。 何故か凄く泣きたくなる。 あたたかさに、胸がぎゅっと掴まれる。 真山さんのてのひらごと、ゆっくりと持ち上げる。 大きなてのひらを、自分の頬に当てた。 目線は上げられなかった。 真山さんがどんな表情をしているのかを見るのが、酷く怖かった。 『自分は、何てことをしているんだろう』 頭の中で、冷静にそう思う自分もいる。 けれど、『このままでいたい』と願う自分の方が圧倒的に勝っている。 真山さんの手には力が入っていない。 私が手を離せばそのまま、真山さんの手は私の頬から離れてしまう。 そうしなければいけない気がするのに。 そうしてはいけないと強く願う自分がいる。 抑えがきかない。 こんな気持ちも、こんな自分も、知らなかった。 この感情をなんと言えばいいのか、私にはさっぱりわからない。 ただ、離したくない。 ずっと、このままでいて欲しい。 沈黙がその場を支配する。 すべての音が消えたように、何も耳に届かなかった。 声なんて、出そうにない。 代わりに、息をはぁっとゆっくり出した。 きもちがよかった。 とても、とてもいいきもちだった。 「しばた」 やわらかく名前を呼ばれて、私は思わず顔を上げた。 真山さんの顔がそこにあった。 いつもと同じようで、でもいつもよりも優しい顔をしているように、私には見えた。 空いているほうの真山さんの手が、私の頭をくしゃりとなでた。 その瞬間、緩めた私の手と頬の間から、真山さんの手がするりと抜けた。 「行くよ」 真山さんはそう言って、また私に背を向けて歩き出す。 私はなんだか夢から醒めたような気分で、その背中をぼんやりとみつめた。 いや、今の私の行動は全て夢だったのだろうか。 そうじゃない。頬に、あたたかさはまだ残っている。 「・・・真山さん」 久しぶりに言葉が口をついた気がする。 「ん〜?」 真山さんは背中を向けたままだ。 「あの、私、今いけないことしました?」 とんちんかんな質問だということは承知で訊いてみる。 すると、真山さんはちょっと笑ったみたいだった。 「別に?いけなくはないんじゃない?」 後ろからだから見えないけど、きっといつもみたいにニヤリと笑っているんだと思う。 「あ〜、じゃあよかった」 ほっとして私が言うと、真山さんはここでやっと顔だけ振り返った。 「柴田」 今度は、ちょっと硬めに名前を呼ばれる。 「はい!」 私がしゃんとして答えると、真山さんはちょっと笑った。 「もうやるなよ?」 「・・・え?ダメなんですか?」 「そういうのはね、お前のお得意の『旦那さま』にやってあげなさい。ね?」 一人で満足したように真山さんは頷くと、また前を向いた。 私はなんだか悲しくなって、ぽつりと呟く。 「あ〜あ。さっきすっごくきもちよかったのにな・・・」 「だからお前、そういうこと言うなって!」 私の言葉が聞こえたらしく、急に真山さんが戻ってきて、また髪をぐしゃぐしゃにされる。 「やめてくださいよ〜」 「うるさいよ!バカ!バカバカバカ!!」 「いたいです〜!!」 「お前がバカだから悪いんだよ!!」 「バカって言うヤツが本当のバカなんですよ・・・っていったーい!!」 「そういうこと言うやつがホンモノなの!」 ひとしきりの喧騒の後、真山さんが言った。 「『旦那さま』までのつなぎをするほど、俺も暇じゃないの。ね?」 やっぱり私は真山さんが何を気に入らなかったかわからないまま、ぐちゃぐちゃのままで歩き出す。 今の、泣きたいようなこの気持ちも、 なんていったらいいのか、わからない。 どこで教えてくれますか? 教えてください、真山さん。 |