難事件
その日、柴田は重役の集まる会議に出席をしていた。 いつもの会議、いつもの退屈な時間。 初めは一生懸命聞き入っていた柴田も、ついに退屈さに負けて居眠りをしてしまった。 悪気があったわけではない。 ただ前日に、調書を読み込みすぎて寝ていなかったのが原因だと思われる。
それがきっかけで、一課長の塩川管理間に少しお説教をくらってしまった。 怒られるのはいい。悪いのは自分だと柴田はわかっていたから。 けれども、それを見ていた林田がしゃしゃり出てきて、弐係の悪口を言ってくれた。 これには温厚な柴田も少々腹が立った。 「能無し、暇人、ダメ人間、税金泥棒の極みだな」 林田曰く、弐係のメンバーはその言葉で表されるらしい。
「違います!!弐係のみんなは本当はすごくいい人で優秀な人たちばかりです!!」 勢いでそう言い返した柴田に、林田初めその場にいた連中はみな目を丸くして驚いていた。
柴田は塩川管理間のお説教もそこそこに、会議室を飛び出してしまった。 珍しく、捜査のことで外で鼻息が荒い。 「林田さんのインポテンツー!!」 時々そう叫んだ。
怒りに任せて警視庁内をふらふらしていたら、また道に迷ってしまった。 ビルの窓から差し込む太陽の光は赤くて、時が経っているのを視覚で教えてくれた。 ・・早く弐係に帰らなくっちゃ。 柴田は、なんとしてでも今日中に犯人を捕まえたかった。 「無能」と罵られた林田の鼻を明かしてやりたい。 そのためには、真山を捕まえなくてはならなかった。
「無能なんてひどいです!弐係のみんなは素晴らしい人たちばかりなのに・・・・」 怒りが再びこみ上げてきて、柴田はそう呟いた。 彩さんは強いし、情報網が凄い。 近藤さんはデーター整理が上手だし、近藤さんの淹れるお茶は柴田スペシャルの次に美味しい。 金太郎さんは・・・置いといて。 真山さんだって、カンは鋭いし、嫌がってるけど捜査について来てくれるととても心強い。
柴田が壁にぶつかりそうになって顔を上げると、それは偶然にもエレベーターだった。 しかも、建物の中に一つしかない地下三階の弐係まで通じているエレベーター。 「エクセレント・・・」 柴田はそう呟いて、暫くしてやってきた下行きのエレベーターに乗り込む。
エレベーターには仲の良さそうな婦警が二人なにやら盛り上がっていた。 「ねぇ、ねぇ・・・警視庁で今一番かっこいいのって誰だと思う〜?」 「え〜?誰だろう・・・お偉いさんって大体おじさんばっかだしねー」 「ん〜、でも私あんまり若い人って好きじゃないんだー」 「何?おじさん趣味?」 「おじさんは嫌。30代くらいのちょっと影のある男に弱いの」 「あ、特殊班にいる竹原さん?」 「え〜、あの人実はズラなんだって〜。全然渋くないからパス」 「ズラ!?マジで!?」 「そうらしいよ。この間ずれたまま登庁してきてえらい慌ててたって」 「ぷぷぷ。そら慌てるわ・・・」
なんとなしに耳を傾けていた柴田だったが、次の瞬間我が耳を疑った。
「あ、じゃああの人は?弐係の・・・」 「え?弐係って地下の?」 「そうそう。なんかね、密かに掘り出し物がいるって噂よ」 「あ・・・聞いたことがあるかも・・・30代でまだ独身の結構かっこいい人がいるって・・・」 「なんかね、30代は二人いるんだけど・・・一人は関西人のモサいカンジで・・・そっちじゃない方」 「えっと・・・なんだっけ・・・聞いたことがあるんだよね・・・」
「・・・真山さん、ですか?」
「「そうそう!真山!!・・・あれ?」」 婦警二人が顔を見合わせる。 真山の名前を出したのは、柴田だった。 「あ・・・あなたも聞いたことあるんですか?弐係の掘り出し物」 婦警の一人が恐る恐る柴田に聞き返す。 「あ、もしかしてみたことあります?その人のこと」 もう一方の婦警が興味津々で柴田に聞いた。 「ええ・・・まぁ・・・一応」 柴田はなんとなく誤魔化して答えた。 「どんなひと?かっこいい?身長は?」 一気に聞かれて、柴田は考え込んでしまった。
身長は・・・180cmってことはわかるけど・・・かっこいい・・・?真山さんが??
柴田が真剣に考え込んでいる所で、エレベーターが鳴り、婦警たちがエレベーターを名残惜しそうに降りていった。 一人になった箱の中で、柴田は考え込んでいた。 真山さんって、かっこいいのかなぁ・・・ 考えたこともなかった。 でも、婦警さんの中で噂になるって言うことは・・・もしかしたらかっこいいのかもしれない。
いくら恋愛オンチといわれている柴田でも、かっこいい人とそうでない人の区別くらいつく自信があった。 真山の顔を思い出してみる。 特別、綺麗だと思う箇所はない。 けれど、確かに時々真山を見てドキッとすることはある。
・・・そういえば、私って真山さんとキスをした事があるんだっけ・・・
柴田は自分の顔が熱くなるのを感じた。 アレはきっと大きな意味なんてない。 私にも真山さんにも。 たまたま私が死にかけたところに真山さんがいたからキスをねだった。それだけだ。 でも、もしも真山さん以外の・・・例えば金太郎があそこにいたらそれでもキスをしてもらっただろうか・・・
難しい。 これは、最大の難事件かもしれない。 解いてしまったら、世界が変わるような重大な事件。
宙を見上げると、エレベーターの階数が見えた。 丁度地下三階に着いた。
ぽーん 電子音と共に、弐係に降り立つ。 そこには真山が一人、机の上に座っていた。
「遅いよ、この方向音痴」 機嫌の悪そうな顔で、真山が柴田を見た。 何故か柴田はどきりとして、手にしていた会議の資料を握り締めた。 「すみません・・・道に迷ってしまって・・・」 「知ってるよ」 真山がため息と共に目を伏せた。 「・・・どうしてですか?」 「電話がね、来たの。柴田は随分前に出て行ったけど、まだ帰ってきてないのかって。 林田がなんかぎゃーぎゃー言ってたよ。お前またなんかやったの?」 「ちょっと・・・」 柴田はばつが悪そうに言った。 「ばーか。お前さ、ここ以上に飛ばされる所ってないんだぜ?これ以上なんかしたらクビしかないのわかってやってる?」 「それは・・・気付きませんでした・・・」 「やっぱ馬鹿。だーい好きな捜査に行けなくなったら嫌でしょ?」 真山がよいしょという掛け声と共に机の上から降りた。 「・・・はい」 こつこつとこちらに向かいいながら、真山は続けた。 「じゃあ、謝りに行けよ。以上が林田からの伝言。俺は伝えたぞ?じゃあな」 ひらひらと手を振る真山を柴田は何故か見れなかった。 「・・・どこへ行けばいいんですか?」 「知るかよ。一課に行けばいいんじゃない?」 柴田は無意識の内に真山の腕を掴んでいた。 「何?」 真山が眉間に皺を寄せる。 「・・・一緒にいってくれませんか?」 「はぁ!?」 「お願いします〜!!私一人じゃ一課にたどり着けません〜」 「そんなの知るかよ。お前が悪いんでしょ?巻き込むなよ、俺を」 「・・・私がいなくなってもいいんですか?」 「いいんじゃない?捜査行かなくてもいいし?天国だね」
・・・あなたを庇ってこういう事態になってるっていうのに・・・ 柴田は少し、悲しくなった。 「・・・お願いします・・・」 「ダメ」 「ご飯、奢りますから〜」 「あのさ、同じビルの中じゃん。一人で行けよー。子供じゃないんでしょ?」 「・・・私の方向音痴、知ってるくせに・・・」 「だから言ってるの!お前の方向音痴を治してやろうと・・・俺の優しさだよ?」 「方向音痴っていうのは、先天的なもので治らないと思うんですけど・・・」 「そうなの?お前不幸だね〜。これからの長い人生頑張って〜」 「真山さぁ〜ん。意地悪しないで下さいよ〜。お願いします!!」
必死で食いつく柴田に、ついに真山も折れたらしい。 柴田の頭をぽんと叩いて、ため息をついた。 「・・・今日だけ。ね?」 「はい!ありがとうございます!!」
真山と二人でエレベーターに乗った。 いつものことなのに、何故か少し緊張してしまう。
「どんなひと?かっこいい?」 さっきの婦警の言葉を思い出して、真山をじっと見つめる。 「・・・何だよ?」 真山に声を掛けられて、慌てて前を向いた。
無事一課についた柴田は、帰ろうとする真山を必死で説得し、帰りを待ってもらうことにした。 おずおずと一課の中に入っていく。 中ではまだ怒りの勢いの衰えていない林田が凄い剣幕で柴田を責め立てた。 柴田はもう話を聞きたくなくて、開いたドアの隙間から見える真山をそっと見てみる。
廊下の隅で、夕陽に真山は照らされていた。 暫く夕陽を見ていた真山は、小さくため息をつき、胸ポケットを漁った。 ポケットから煙草を取り出し、その一本を唇に咥えた。 少し開いた唇に、煙草を挟んだ真山の長い人差し指と中指が当たった。
柴田は、思わず自分の唇を同じ指で触る。 真山に唇を触れられるのはどんな気分だろうと想像してしまう。
真山の指はとても長くて、男の人にしたらとても細い。 あの手に触れられたらどんな気分だろう。 いつも、私の頭を叩いて抓る真山さんの指。 もしも、優しく触れられたらどんな気分になるだろう。
徐々に、柴田の体温が上がり、胸が苦しくなる。
真山は今度ズボンのポケットからライターを取り出した。 左手でライターを覆い、火をつける。 その、意外にも丁寧な仕草と伏せられた瞳に胸が高まる。
美味しそうに肺に煙を吸い込み、そして吐き出した。 真山の唇から離された煙草が、あの日の自分の唇と重なる。
「キスを」と、ねだったのは自分だったのに あの時の記憶はあまりない。
どんな感触だったのか、どんな味だったのか。 あの煙草になれれば、もう一度味わえるのだろうか。
もう、何回もそんな場面目にしてきたのに、急にそんな事を考える自分がいやらしく思えた。
恥ずかしくて死んでしまいたかった。 真っ赤な顔でうつむいたら、林田が勘違いをしたらしい。 「あー、なんだ。反省しているようだし、今日は帰れ」 ばつが悪そうにそう言ってくれた。 ・・・けれど、今は真山さんと顔をあわせられない・・・
ゆっくりとした足取りで一課を出ると、真山が近寄ってきた。 「どう?刑事やめる気になった?」 あまりに落ち込んだ様子の柴田を見て、真山が軽口をたたく。 ふるふると柴田が頭を振った。 「・・・しつこいねぇ、お前も」 呆れたように、嬉しそうに真山が笑った。
柴田は真山を見上げた。 真山は美味しそうにまた煙草を吸っている。 「美味しいですか?煙草」 「うん。何?吸いたいの?」 「・・・いえ・・・」 「遠慮すんなって。ほら・・・」
真山が、今まで吸っていた煙草を柴田の唇に当てた。 柴田の唇に真山の指が当たり、柴田はびくっとする。
男の人の指なんて、触ったことがなかった。 知らなかった。 こんなにゴツゴツしていて、ちょっと硬いなんて。 さっき触れた自分の指とは違う。 そう、これは真山さんの指。
「・・・やめてください・・・」
これ以上、触れられたらおかしくなってしまう。 やっと出た言葉は、精一杯の防御だった。
「・・・何だよ。美味いのに」 真山さんがつまらなそうに呟いた。 動けなくなったので、真山さんの指がひいてくれるのを待った。
「・・・真山さん」 「ん?」 「あんまり、遠くに行かないで下さいね」 「は?」 「・・・なんでもないです・・・」
林田さんにいくら貶められてもいいから、婦警さんたちにこれ以上騒がれないで下さいね。 喉まで出掛かった言葉は、上手く伝えられなかった。
もう少し、待っていてください。 もう少ししたら上手く言えると思うから。
「もしも、あの場にいたのが真山さんじゃなくっても、私はキスをねだったのだろうか」 この、史上最大の難事件が解けたら。
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