永い夜 

 

 

 

夜が永いのは、あなたが隣にいるせいだ。

 

 

 

真山には、どこかスイッチがあるんじゃないかと柴田は思う。

一瞬で、優しくもなったり、冷たくなったりもする。

いつも一緒にいるけれど、そのスイッチがどこなのか、彼女にはよくわからなかった。

 

とりあえず、今の真山は「スイッチが入った状態」だと言えた。

普段の彼では、絶対にしないような優しい手つきで彼女に触れる。

冷たい床の上で、真山は座ったまま柴田の方に近づいた。

 

経験がまったくない柴田は、どうしたらいいかわからず戸惑っていた。

なんとなく、そういう場面だと言うのは何とか理解出来るのだが、

いきなりの真山の様子の変化と大きくなっていく胸の鼓動についていけないのだ。

 

だって、さっきまで真山はいつものように憎らしいまでの口の悪さで、柴田の頭を叩いていた。

特に、甘い言葉を囁かれているわけではないし、自分もうっとりとするような言葉を口にしたわけでもなかった。

本当に一瞬で、真山は別の人間のようになってしまったのだった。

 

もちろん戸惑っているだけで、嫌なわけではない。

その証拠に、心臓はとても素直に反応している。

本当はいつだって触れて欲しかったのだ。こんな風に。

 

 

戸惑っている柴田を置いて、真山はどんどん進んでいく。

その手が、柴田のうなじの後ろをするりと撫でる。

柴田の体に、電流か寒気かわからないものが駆け巡った。

それは、すごく気持ちよかった。

 

柴田はそっと真山の表情を盗み見てみた。

真山は、いつもと変わらない表情だった。

予想ではもっと甘い顔をしていると思っていたけれど、そうでなかったので逆に柴田はドキドキした。

 

「あの・・・」

雰囲気を壊す事は承知の上で、思い切って柴田は訊いた。

「・・・・何?」

ただでさえ低い真山の声が、今日は一段と低い。

「あの・・・こういう場合って・・・どうしたらいいんでしょうか・・・?」

ドキドキしながらも頑張って尋ねる柴田の様子を、真山は随分と冷めた目で見ていた。

「・・・・・・・・・・好きにしたら?」

長めの沈黙の後で、真山が呟く。

「・・・はい」

聞く前から分かってはいたが、やはり聞くべきではなかったようだ。

柴田には、真山が少し機嫌を損ねたように思えた。

 

「・・・いい?」

「え?」

真山が小さい声で何か言ったのを柴田は聞き取れなかった。

「続き。してもよろしいでしょうか?オジョーサマ」

「あ、はい。・・・すみません。中断させてしまいまして」

柴田は丁寧に謝罪をした。

「いえいえ」

真山は可笑しいのをこらえて、真顔で答えた。

 

妙な事を言い出した柴田がどうするか。

真山は余計な事を言わないで、柴田に考えさせる事にした。

実際、柴田とキスをするのもセックスをするのも初めてではないし、今までは彼女は自然にうまくやれていた。

何故、今更そんなことを聞き出すのか。それはきっと彼女に多少なりの余裕が出てきたからではないだろうか。

それは、非常にいいことだと思った。

柴田の頭をくしゃくしゃと撫でて、真山はもう一度自分の中のスイッチを切り替えた。

 

柴田は、もうどうしたらいいかわからなかった。

とりあえず、目を瞑る。

昔読んだ小説のあちらこちらで、女の子がそうしていたからだ。

 

真山は笑いがこみ上げてきた。

目を瞑ったのは、まあ一般的だ。正解といってもいい。

しかし、柴田は緊張のせいか、力を入れすぎていた。

まるで合格発表直前の受験生のように、瞼の辺りがしわくちゃになるほど瞳をぎゅっと閉じていたのだ。

ぺちんと音を立てて、柴田の頭を叩く。

柴田はびっくりしたように目を開けた。

 

「・・・どうかしましたか?」

・・・よくわかっていないようだ。

「瞑りすぎ、目。怖いよ?」

真山は努めて真面目な顔で言った。

「え・・・?」

「なんかね、すっごいぶっさいくになってる。萎えるんだよね」

そう言うと、柴田の顔がみるみる赤くなっていくのが真山の目にもはっきりわかった。

「そんなさ、取って食おうってわけじゃなんだからさぁ・・・生贄にされるみたいだよ、お前」

真山は頭をぽりぽりと掻いた。

「だって・・・よくわかんなくって・・・」

柴田がしゅんとなっている。

そんな柴田を見て、真山がため息を一つ、ついた。

「この間まで出来てたじゃん」

「なんか、必死で覚えていなくって・・・」

柴田はすがるような目で真山を見た。

「無意識でもさ、出来てたって事は、ちゃんとわかってるんじゃないの?」

「でも・・・」

酷く不安そうな柴田を見て、真山は少し考えた。

 

「・・・わかった。じゃあ、目ぇ開けてろ」

真山の一言に柴田は一瞬でぱぁっと明るい表情になった。

「はい!」

具体的な指示が出たことに安心した様子だ。

「そのかわり・・・・」

真山がそう言って、柴田のほうに手を伸ばした。

その手は、そのまま柴田の目を覆った。

「え?えっ?」

目の前が真っ暗になって、柴田は慌てたが、その言葉を遮る様に真山がキスをした。

一瞬だけ、唇の感触を感じる。

「・・・いいから、ちょっと黙ってくれない?」

視覚が遮られているこの状況では、きっと真山のどんな言葉でも柴田にとっては殺し文句になっただろう。

それが、囁くような声なら尚更だ。

 

すっかり黙ってしまった柴田を見て、真山ニヤっと笑ったけれど、それは当然、柴田は見ることが出来なかった。

 

片手で柴田の目隠しをしながら、空いている方の手で真山は柴田の顎をくいっと上げる。

視界が遮られている柴田は、そんな真山の一つ一つの行動にびくっと反応をする。

人間は、視覚で相手の行動を予想して、これから起こる事態に備えているのだから、当たり前の反応だった。

上向きにした、顎の辺りにもう一度キスを落とす。

真山の掌の目隠しの下の柴田の瞳は、しっかりと開けられていた。

それから頬、耳、首筋・・・真山の唇はどんどん降下して行く。

真山の唇が離れるたび、そして触れるたびに柴田はびくっとしていた。

 

柴田の胸元でしゅるっという音がした。

胸元のリボンが解かれたのだ。

それから、ゆっくりと柴田のシャツのボタンが外された。

真山が片手しか使えないせいで時間がかかっているのだろう。

上から二つほどボタンを外すと、真山の指がデコルテの辺りを撫でる。

少し冷たい指が柴田にとっては、気持ちよかった。

鎖骨のところに唇が当たった。

今までで一番、どきっとした。

身を捩って、少しだけ後ろに下がろうとする。しかし、真山の腕がしっかりと柴田の体を掴んでいた。

柴田の頬が赤くなっている。

一瞬だけ、それを目で捉えて真山は口の端を少しだけ上げた。

鎖骨の中央から、段々と肩の方に真山は移動していた。

柴田はそれに合わせるように体をくねらせる。

もちろん、真山の片手はまだ柴田の瞳を覆っていた。

 

真山の唇が柴田の体から離れる。

その代わりとでも言いた気に、真山の指先が喉のところをなぞった。

それから、柴田の体が真山の方にぐいっと引き寄せられる。

 

視界を遮ったまま、真山はもう一度柴田の唇に自分の唇を重ねた。

ゆっくりと、深く。

柴田の体から力が段々抜けていく。

今まで、きちんと膝に置かれていた手が真山のシャツを掴んでいた。

それが合図のように、柴田の視界を遮っていた真山の手が離れていく。

しかし、柴田の視界は変わらなかった。

柴田は、いつの間にかうっとりと目を閉じていたのだ。

先ほどの不細工な瞑り方とは全く異なる、綺麗な表情だった。

真山は片目だけでそれを捉えて、ゆっくりと唇を離した。

「・・・ほら、できるじゃん」

その声がして、柴田は目を開けた。

「・・・何がですか?」

「わかんないとか言ってた割には、ちゃんと出来てるじゃん、お前」

「え?あ・・・」

柴田は目をぱちぱちと瞬かせている。

真山の手がくしゃりと柴田の頭を撫でる。

「ちゃんと、知ってるんだって。みんな、そうなんじゃないの?」

「誰にも教えてもらわないのに、ですか?」

「そう。現にお前も知ってたでしょ?」

真山がすっと立ち上がる。そして、すたすたと歩き出した。

「・・・なるほど」

柴田が小さく二、三度頷いた。

「頭じゃなくって、体なんじゃないの?こういうのってさ」

真山は何処から持ってきたのか、新しい煙草と灰皿を手にして戻ってきた。

「なんだか、不思議ですねぇ〜」

「そう?」

真山が柴田の隣に腰を下ろす。

既に煙草を咥えていた。

「・・・真山さん」

「ん?」

真山は、ライターをポケットから取り出した。

「吸っちゃうんですか?煙草」

柴田の声に真山が驚いたように顔を向けた。

「うん・・・なんで?」

いつもそんな事聞かないのに、と不思議に思った。

柴田は少しだけ顔を赤くして、真山のシャツを遠慮がちに掴んだ。

 

「だって・・・吸っちゃうと・・・さっきの続き、出来なくなっちゃいます」

 

 

こんな台詞が、誰にも教えてもらわなくても自然と出てくる。

人間って言うのは、本当に欲深く、素直な生き物だ。

真山は、軽く笑った。

 

夜が永く、そして人間が面白く感じるのは、きっとお前が隣にいるせいだ