月
今日もいつもと変わらない一日が終わった。 いつものように警視庁に行って、いつものように暇を潰す。 そして定時になったら家に帰ってくる。 そう、これがいつもの俺の日常だった。
三ヶ月前、アイツが弐係に来るまでの―
今、アイツは弐係にはいない。 事件現場にも、参考人の家にも。 アイツが今いるのは、病院。
そこで、朝倉に負わされた傷を、心を癒している。 −そう、アイツはあれから一度も目を醒ましていない。
弐係の連中は毎日のように見舞いに行っているらしい。 …俺は決して行かない。 何故なら、朝倉が生きているから。 本当は今すぐにアイツの元に行って、顔を見たい。その、細い手を取って、名前を呼んでやりたい。 けれども、朝倉は生きている。
快楽殺人者である朝倉は、いくら柴田と言えでも意識のない人間を殺したりはしない。 俺が見舞いに行ったら、柴田が目を醒ますなんて思ってはいない。 けれども怖いのだ。 柴田が目を醒まして、息をして、また俺に触れて。 そうして、もう一度手に入れた柴田を、また朝倉の手によって奪われるのが怖いのだ。
俺は、本当に臆病で、本当に怖がりで。 だから朝倉は俺を狙うのかもしれない。 こんな俺の姿が滑稽だから。
家に帰り、シャワーを浴びる。 頬に滴るのは、人工の雨か、それとも俺の涙か。
無性に悔しくて、壁を力任せに殴る。 痛みが、体中を支配してゆく。
柴田が俺と朝倉の因縁に巻き込まれて、あんな目にあったのに、俺は生きている。 こんな時でも腹は減るし、こんな時でも眠たくなる。 それに無性に腹がたった。
風呂から上がって、ベッドに腰を掛ける。 弾みで、ベッドの上にあったテレビのリモコンを押した。 暗い部屋の中が少し明るくなる。 箱のなかでは、唄う男。
これ以上何を失えば 心は許されるの どれほどの痛みならば もういちど君に会える
その歌い手は、搾り出すような声で唄っていた。 まるで、心の叫びをメロディーに乗せるように。
one more time 季節よ うつろわないで one more chance ふざけあった 時間よ
その声に、その唄に、気がついたら涙が出ていた。 この歌のように、素直に言えない自分。 柴田を求める自分を、素直に認めない自分。 苦しんでいる柴田に何もしてやれない自分。 柴田をこの争いに巻き込んでしまった自分。
奇跡がもしも起こるなら 今すぐ君に見せたい 新しい朝 これからの僕 言えなかった「好き」という言葉も
涙が、止まらなかった。 柴田を失ったと感じたあの時、涙は枯れたと思っていたのに。 けれども、今はその涙すら疎ましい。 涙すら、俺が生きている証拠だ。 柴田の代わりに、俺が死ねば良かったんだ。
例え、柴田を独り、この世に残す事になったとしても。
命が繰り返すならば 何度も君のもとへ 欲しいものなど もう何もない 君のほかに大切なものなど
窓際の望遠鏡を覗く。 その先には誰もいない。
朝倉はあそこにはいない。 でもきっと何処かで生きている。 何処かできっと、俺のことを見ている。 そんなことがどうでも良くなってきた。
柴田は生きている。 傷を負ってなお、生きようと戦っている。 あの歌とは違う。 俺はまだ伝える事も、守る事も出来るのだ。
それが、きっと俺が今生きている意味。
柴田が目覚めたら、逢いに行こう。 朝倉から柴田を守る為に。 だから、もうすこしだけ待って。 もう少ししたら、素直な俺になれそうな気がするから。 お前への後悔も、贖罪も全部終えて、お前を守るためだけに俺は生きるから。
望遠鏡を空に向ける。 そこに見えるのは、まあるい月。 それは、俺を静かに照らしていた。 |