身支度
朝、起きてまず顔を洗う。 顔をあらったら、服を着る。 今日は、黒のネクタイとグレーのスーツにしようか。 特にこだわりはない。いつもそのときの気分で決める。 とりあえず、ワイシャツを着て、ズボンを履く。
それから、簡単な朝ごはん。 トーストと、目玉焼き。それともちろんバナナ。 もぐもぐもぐもぐ。 部屋に広がるいい匂い。 ・・・それなのに、なんでアイツは起きないんだろう。
食後のデザートのバナナを食べながら、ベッドに近づく。 「しーばた。おい、そろそろ起きろよ。遅刻するよー」 ぺちぺちと、バナナの皮を頬に当てる。 「むむー」と、ヘンな呻き声をあげたが柴田が起きる気配は、ない。 ほっぺたを抓る。起きない。 鼻フック。起きない。 「もー。お前さー。手間かけんなよなー」 キッチンに戻り、バナナを手にしてもう一度柴田の元に。 バナナを柴田の鼻のにあてて、匂いを嗅がせる。 ひくひく。柴田の鼻が動き始める。 それを確認して、ゆっくりとバナナを動かすと、その動きにあわせて柴田が上半身を起こした。 「あ、あ、ばなな〜」 「はいはい。バナナ食べたかったら、ちゃんと起きようね」 「あ、真山さん。おはようございます」ペコリと柴田が頭を下げる。 「挨拶はいいからさ、早く顔洗って来い」 「は〜い」 ぺたぺたと柴田がゆっくりと歩き出した。 「柴田、お前裸だよ?裸。朝から誘ってんの?受けて立つよ?」 「きゃ〜!!ちょ、ちょっと真山さん見ないで下さい!!やだもう〜」 半泣きになりながら柴田はそこらじゅうに(俺が)散らかした服を集めて着ている。 何を今更と思いながら、俺は自分の分だけコーヒーを淹れて、飲んだ。
「真山さん、おなかすきました〜」 洗面所から顔を洗い終わった柴田が戻ってきた。 「ん。じゃあこれ食っとけ」 バナナを、柴田に与える。 柴田は嬉しそうにバナナをほおばった。 「普通、女がバナナ食うのってエロいはずなんだけど、お前が食うとサルを思い出すね。サルの餌?」 「え?なんで女性がバナナを食べたらいやらしいんですか?」 「ん?知りたい?」 「はい。どうしてですか?」 「・・・今はおしえなーい。今日帰ってからね。実践を交えて?」 「え〜?今教えてくれないんですか〜?」 「駄目。今教えると、仕事になんないから」 「?なんだかいやな予感がするのは私だけなんでしょうか・・・」 「お前くれぐれも木戸とか京大とかに聞いて予習しないようにね」 「はい。楽しみにしてますね〜」 いやあ、俺って変態だな。と我ながら思う。
バナナをサルのように貪り食う柴田の胸元のリボンがほどけているのを見つけた。 「お前さ〜。ここのリボンほどけてたら胸丸出しじゃん。露出狂?」 「あ、解けてました〜?結んでください」 「甘えんな!自分で結べ」 「じゃあ、結びっこしませんか?私、真山さんのネクタイ結びますから」 「どうせ嫌って言ったって、俺のネクタイ結ぶ気なんでしょ?」 「えへへ、正解ですー。一回、やってみたかったんですよねー」 「しょうがねぇなあ。もうちょっとこっち来て」 「はーい」 柴田が、バナナを咥えたままずりずりと寄って来る。 胸元のリボンを結んでやった。 どうせこのリボンを解くのは今夜の俺なんだけど。 あんまりきつく結ぶと、解けなくなるからなー。 でも、あっさりと解けるのもなー。ちょっとくらいもどかしい方が燃えるかな? 永遠とくだらないことを考えながら、適当な強さで結んだ。 「ありがとうございます」 俺の邪な考えを知らない柴田は、嬉しそうに胸元のリボンを眺めている。 無邪気なもんだ。 ついでに、柴田のぐちゃぐちゃな髪を手櫛で梳かしてやる。 柴田が綺麗な髪をしているのはあまり好きじゃないから。適当に。 昨日(無理矢理)風呂に入れたおかげで、ほのかにシャンプーの匂いがした。 俺と同じ、シャンプーの匂い。 なんだか、コイツを俺好みに改造しているようだ。 紫の上を育てる、光源氏の気持ちってこんなかな? ・・・なんてな。俺「源氏物語」なんて読んだことないけど。
「じゃあ、今度は私が真山さんの支度をしてさしあげる番ですね」 妙に張り切った柴田が、嬉しそうに立ち上がった。 「真山さん、今日のネクタイは何色になさいますか?」 「んーと、黒」 「はーい。やっぱり真山さんは黒が一番お似合いですね」 「そう?お前は何色も似合わないけどねー」 「あ、酷〜い。私は白が似合うねってよくいわれるんですからねー」 「誰に?」 「えっと、母とか」 「他は?」 「・・・」 「お袋さんだけ?何が『よく言われるんですよ』だよ!一人だけじゃん!」 「でも、母はよく言ってくれるんですよ〜。『純は色が白いからウエディングドレスも白がいいわね』って!!」 「そういうのをね、親ばかって言うの」 「もういいですよーだー。こっち、向いてください」 怒るとすぐ顔を膨らませる柴田は、まるで小学生だ。 まあ、好きな子をいじめて楽しんでいる俺も人のことは言えないけど。
柴田が、黒いネクタイを俺に首に巻いた。 結ぼうとして、何か思い出したかのように、俺の顔を見上げた。 「真山さん、そういえば私ネクタイの結び方知りませんでした・・・」 「お前馬鹿?知らないんだったら、結びたいなんていわないの!」 ぺちんと柴田の額を叩く。 「もういいよ、自分でやるから」 「え〜?教えて下さいよ〜。柴田純、頑張りますから」 「しょうがないねぇ・・・一回で覚えろよ?」 「はい!記憶力には自信ありますから!」 「いい?そっちを上にして、くるっと一回転させて」 「・・・こうですか?」 「そうそう。そしたらこっちから、この中にこれを入れる。」 「えっと・・・」 「違うよ、そっちじゃなくて、こっち」 「ああ。これですか?」 「そう。で、微調節をして、出来上がり」 「あ、こうでいいんですか?きゃー!!出来ちゃいました」 「まあ、先生がいいからねー。感謝したまえ、柴田君」 「どうもありがとうございますー。で、微調節・・・っと」 「お前、ゆっくりやれよ!急にやると・・・うお!」 「あれ?なんか行き過ぎちゃいました」 「締めすぎだよ、締めすぎ。朝っぱらから生死の境漂わすんじゃないよ!」 「こんなもんですか?」 「そうそう。なんか、曲がってない?」 「やや、右よりですかね・・・これで大丈夫だと思います」 部屋にある、小さな鏡で確かめる。 「まぁ、こんなもんでしょ。ちゃんと覚えた?」 「大体は・・・あとは力加減ですかね。案外、難しいなー」 「難しくないよ!普通はね。君は普通じゃないから」
「さ、そろそろ行かないと遅刻だよ。俺はお前と違って遅刻したくないの、行くよー」 「あ、あ、ちょっとまってください」 「何?便所か?警視庁にもあるから我慢して、ね?」 「じゃなくって・・・」 急に柴田がもじもじし始めた。 「何だよ?」
「こういう場合は、行ってきますのキスをするのが常識なのではないでしょうか?」
「はぁ?」 「ですからー。ネクタイ結んだ後は行ってきますのキスをしていただくことになってるんですよ」 「・・・お前さ、それどこの常識だよ!昔の少女漫画読みすぎ!」 「そうなんですかー?でも一回だけ、やってみましょうよー」 「いやだよ。第一さ、俺たちこれから同じ職場に行って、二人で捜査とかに行くんだよ?いってらっしゃいもクソもあるかよ?」 「でも、一回やってみたいんですぅー。お願いします。真山さん」 ねーねーと柴田が俺の腕を掴んでぶんぶんと振る。 ああ、でもこんなヘンな議論で朝から疲れるのも馬鹿らしいしな。 「あーもーしょうがないね。はい、じっとして?」 「はい!」 途端にニコニコ顔になった柴田が、嬉しそうに目を閉じた。
柴田の腰に手を回して、柴田をぐっと抱き寄せた。 そして、キスをする。 「行ってきますのキス」という名前が似合わない、深い深いキス。 初めはビックリしてからだを硬くし、離れようとした柴田もだんだんと力を抜いてくる。 かすかに開いた唇から舌を入れた。 柴田のそれを絡めとり、口内を緩急を付けて愛撫する。 柴田の足から、力が抜けてくるのを確認して、そっと唇を離した。
もう力の入っていない柴田のからだがふにゃふにゃと崩れ落ちる。 「どう?念願は叶いましたか?柴田サン?」 「・・・真山さんの意地悪」 顔を高揚させた柴田が、こちらを恨めしそうに睨んでいる。 「何が意地悪だよ?お前のお願い聞いたやったんじゃないの?感謝しな、感謝」 「いってきますのキスっていうのは、もっと優しくって・・・」 「何だよ。あれじゃ、不満?気持ちよくなかった?」 「・・・きもち良かった、です」 「じゃあいいでしょ?」 口元だけでにやりと笑うと、柴田の腕を持ち上げた。 「さ、行くよー」
ドアに鍵をかけて、ポケットにしまう。 「まだすねてんの?」 「別に、すねてないです・・・」 「ほら、お仕事行くよー、お仕事。お前の一番好きなもんでしょ?捜査、難事件ブリリアントォーとか言って。」 「そうなんですけど・・・今はちょっと・・・」 「何?珍しいね。お前が出社拒否症とは」 「もうちょっと真山さんと一緒にいたいです・・・」
口を尖らせてすねる柴田が可愛くて、思わず抱きしめたくなる。 でも、そこはこらえて頭をぽんぽんと撫でた。 「馬鹿だね、一緒にいるでしょ?仕事でも、ここでも」 「こういうの、色ボケっていうんでしょうか?」 「そうだね。自分のことよく知ってるじゃん、お前」 「真山さんも?」 「当たり前でしょ?」
急に、柴田の顔が明るくなった。 「よかった。なんだか、逆に仕事の意欲が湧いてきました」 「さすが、刑事魂女。働く女の鑑だねー」 「でも・・・」 「何?」
「今日は定時までにして、早く帰ってきましょうね」 「当然」 二人で笑いあった。 いつも定時過ぎまで働いている俺たちだから、たまにはいいだろ? ね、係長? |