豆まき

 

 

 

今日も、係長は遅刻らしい。

それもいつもの事過ぎて、誰も口にしようとしない。

これで三日連続か、と近藤が小さくため息をついた。

元係長の遺言(?)で、柴田係長の遅刻・欠勤はすべて記録しないように言われていて、近藤は今日もまた公文書偽造の片棒を担いでいた。

これって情状酌量してもらえるんですかね?と心の中でもう一度、ため息を付く。

ふと時計を見ると、11時30分。

まだ気配すら見えない係長のことは忘れ、書類の整理に没頭しよう。そう近藤が密かに決意をした。

しかし、そんな決意もむなしく、タイミング悪く係長が弐係にやってきた。

 

「おはようございます、皆さん」

いつもと変わらない柴田係長の朝(?)の挨拶が弐係に響く。

隣にいる真山さんは新聞を読むことに没頭しているようだし、遠山くんに限っては来客用のはずのソファで高いびきをかいて寝ている。

それも、いつものことだ。

「おはようございます。柴田係長」

私はパソコンの画面からひょいと顔を出し、柴田係長に挨拶を返した。

それもいつものことであった。・・・そこまでは。

 

私は、気が付いていたら真山さんの腕を掴んでいました。

真山さんが新聞から顔を上げずに面倒くさそうに言いました。

「何?どうしたの、近藤さん」

「・・・・・・」

声が出なかった。

「何だよ、なんかあった?」

やはり、声は出ない。その代わりに掴でいる腕の力を少し強くしました。

「何なんだよ、全く」

ため息と同時に真山さんが漸く新聞から顔を上げました。

 

「・・・・・・どうしちゃったの、お前?」

私と真山さんの視線の先にあったのは、鬼のお面をかぶった柴田さん。

流石、真山さんは、係長の変化球にも付いていけているようだ。

急なことに驚いて絶句してしまった自分が恥ずかしい。

あわてて平静を装う。

「あ、そういえば今日は節分でしたね」

てるたろうと今朝がたしていた会話を思い出して言った。

「あぁ、2月3日か」

真山さんは新聞で確認しながらそう言うと急に不適な笑みを浮べた。

「何?そんなお面かぶってるって事は、豆をぶつけて欲しいって事?」

真山さんの得意の少し狂気じみた声を聞いて、柴田さんが漸く何かを悟ったらしい。

怖い顔をしている鬼がぶんぶんと勢いよく首を横に振りはじめた。

 

「はい、決定〜!今年の鬼は柴田係長ね〜。」

真山さんはとても楽しそうにそう告げて野々村元係長のかきぴーの瓶を抱えた。

そして器用にピーナッツだけを選んで柴田さんに投げ始めた。

「鬼は〜そと、福は〜うち」

一粒、一粒に力を込め、思いっきり柴田さんにピーナッツを投げ込む真山さん。

その様子を見て、柴田さんには悪いけれど止めることはできないなと思う。

「いたた、痛いです〜。真山さ〜ん。鬼じゃないですよ、柴田です〜。やめてくださ〜い」

「ん?知ってるよ?言ったでしょ、『今年の鬼は柴田係長』って。聞いてなかった?」

返事をしながらも真山さんの手は緩まない。

豆を投げながら、真山さんは柴田さんに少しずつ近づいていった。

そして柴田さんの前に立つと、お面をすっとおでこの方にずらした。

「・・・酷いです・・・真山さん」

「鬼のお面を被ってきたお前が悪いんでしょ?どう?気がすんだ?」

柴田さんが頬をぷくっと膨らませた。

真山さんがくっくと笑い、柴田さんの頬を掴む。

「で?次はなんだっけ?豆食うんだろ?」

いたずらっぽい笑みを浮べて真山さんはまたピーナッツを一つつまんで、柴田さんの口に放り込む。

「むがが〜」

柴田さんが苦しいともがき始める。

「どんだけ入るか、やってみようか〜?にぃ〜、さ〜ん、し〜」

 

 

柴田さんの悲鳴と真山さんの楽しそうな弾んだ声が聞こえてくる。

 

私にはそれを止めることも、咎めることも出来ない。

私が真山さんにはじめて出逢ったとき、真山さんはまだ妹さんを亡くされたばかりだった。

深い理由は聞いたことがなかったが、噂で原因を知ることは出来た。

何にせよ公安で、しかも叩き上げで警部補になった彼が弐係に来たということは、よほどの事情があったのには違いがないだろう。

彼の深い闇を纏った姿が、深い悲しみを隠そうとしない瞳が、それを物語っていた。

 

そうして、長い間彼は弐係で月日が経つのを、朝倉が動き始めるのを、ただじっと待っているようだった。

 

そんな真山さんを変えたのは、紛れも無く柴田さんで。

彼女が来てから真山さんは目に見えて変わった。

柴田さんをからかいながらも、真山さんは彼女を大切にし始めて。

彼の纏っていた闇はかすんでいって、瞳の悲しみは徐々に和らいでいった。

 

今は当たり前になったこの日常は、柴田さんが来て初めて弐係に訪れたもので、私たちが真山さんに与えてあげられなかったもの。

柴田さんだけが真山さんに与えてあげられたもの。

だから、私にこの日常を壊す権利は無い。

 

そこまで考えて顔を上げる。

真山さんはまだ柴田さんで遊んでいるようだった。

「柴田、おいしい?豆。」

口の中を豆でいっぱいにしつつ、笑顔で頷く柴田さん。

それを見て真山さんが優しい顔でふっと笑う。

こんな穏やかな真山さんの顔は、柴田さんが来るまで見たことはなかった。

しかし、柴田さんが来てからは日常になってしまった笑顔。

柴田さんは、きっと気づいていないんだろうな・・・

 

「近藤さんも、やりましょうよ〜。豆まき」

「いいねぇ。今度は近藤さんが鬼になる?」

2人が無邪気に私に声を掛けてくれる。

「いいえ・・・私は家に帰ったら鬼役をやらされますので・・・」

「あ〜。そうですねぇ。近藤さんのお宅はお子さんがいらっしゃるでしょうから、鬼役は大変なんでしょうねぇ。」

「じゃあさ、京大にやらせようぜ。鬼」

「あ、私ちゃんと豆まき用の枡と豆持って来てますので使いましょう〜」

「おっ、準備いいじゃん。よし、貸せ。」

真山さんはソファで寝ている遠山君に柴田さんがつけていた鬼のお面をつけた。

「よし、柴田。今度は金太郎が鬼だ!やっつけろ〜!」

「あの〜、節分というものはですね、決して鬼退治をする目的でするものでは・・・」

「うるせえよ。京大!起きろ〜。鬼だぞ〜、鬼。」

真山さんが遠山君の腹を思いっきり踏む。

「ふがっ!なんや〜!?鬼の来襲?難事件ならこの、遠山金太郎が・・・!」

「行くぞ〜!柴田〜、鬼合戦だ!」

「ですから、節分というのはですね・・・」

「痛、痛いっちゅーに、真山さん。何しはるんですか!?」

「だから、節分で桃太郎が鬼退治なんだよ!鬼は〜そと!」

 

また、喧騒が始まった。

だけど、これもいつものこと。

いつもの、他愛の無い日常。

しかし彼にとっては何者にも代えがたい、やっと手に入れた平穏。

大切な、宝物のような日常。