禁断症状

 

 

 

その日、柴田は五日間に及ぶ研修を終えて、まっすぐ真山の所に向かった。

地方で行われたその研修に出席するため、柴田は当然ながら東京を離れ、そこに滞在することになった。

スリリングな捜査に比べ、少々退屈な研修ではあるが、

これも仕事のうちと思えば、それほど苦痛でもなかった。

 

問題は、いつも一緒にいる人と離れてしまうこと。

 

たった五日、なのだか、いつも一緒にいすぎているせいか、

柴田にとってはとてつもなく長く感じた。

真山が不精なのは仕方ないとして、

柴田が電話をかけてくるのでさえ、酷く邪魔臭そうに扱うのだ。

なので、電話さえおあずけ状態で、真山に会うのも、声を聞くのも本当に久しぶりなのだ。

 

東京に着いたのが、夕方近く。

下手に弐係に行くよりは、真山の部屋で待っていたほうが確実だ。

通いなれているはずの道のはずなのだが、何故か少し迷ってしまって、

真山に部屋の前にたどり着いたのは6時を少し回ったころだった。

 

ドアのノブを持ってまわしてみるが、施錠されているので回らない。

この時間なら当然なのだが、柴田は小さくため息をついた。

 

一刻も早く、真山に会いたかったのに。

 

鍵がかかっていても、合鍵を持っているので部屋に入ることは出来るのだが、柴田はそれをためらった。

真山が部屋にいるのならともかく、留守中に勝手に上がり込むのは、抵抗があるのだ。

しかも、真山がもうすぐ帰ってくるのがわかっているなら、尚更だ。

 

柴田はゆっくりとドアの前に腰をおろした。

体育座りをして、一息つく。

軽く目を瞑り、自分の膝を抱えるようにしてうずくまる。

もうすぐ真山に会えると思うと胸が少し高まっている様な気がした。

 

不思議な気分がした。

仕事で一緒になって、そのあとも一緒にいるようになって、随分経つのに、

それでもまだ、こんなにもどきどきする自分に。

 

体のちからを抜いて、思い出す。

真山の声、顔、手の温度。

けれども、柴田はあまり上手く思い出せなかった。

 

いつも一緒にいることに慣れすぎて、覚えようとなんてしなかったからかもしれない。

それとも、もう自分の一部分だと認識していたくて、わざと記憶するのをやめてしまったのかもしれない。

 

思い出せないので、かえって気持ちが募っていく。

柴田は真山に、今すぐにでも会いたいと強烈に思った。

まるで、何かの禁断症状かの様に。

 

 

しばらく縮こまっていると、エレベーターが空く音が聞こえた。

その音にあわてて柴田が顔を上げると、そこにいたのは案の定、彼女の愛しい男だった。

 

柴田は何も声を出さずに、ただ黙ってその姿を見つめた。

 

足元からゆっくりと視線を上げた。

咥え煙草の彼は、紫煙を従えてコツコツとこちらの方に歩いてくる。

 

どくん、と鼓動が体を駆け巡り、体温が上がってくるのを柴田は確かに感じた。

真山が近づいてくるにつれ、顔が火照ってくる。

柴田は、固まってしまった。

 

「何してんの?」

 

いつもの、ちょっと冷たい声が聞こえてきて初めて、真山がすぐ隣まで近づいてきたのがわかった。

 

「・・・お帰り、早いですね」

 

会話のキャッチボールなんて出来なくて、やっと思いついた言葉を口に出した。

「普通でしょ?フツー。誰かさんに連れまわされないから定時に帰れるの」

嫌味たっぷりな真山にも、柴田は反論できるはずもなく。

「・・・なるほど」

納得したようにこっくりと頷いた。

どこかとんちんかんな柴田の反応が面白いらしく、真山が軽く笑った。

「で、研修は?カカリチョー」

真山のポケットから、ちゃりりと音をさせながら鍵が出てきた。

「終わりました。なかなか面白かったですよ?」

「そう。よかったねー」

感情が少しも篭っていない真山の返事。

 

ああ、そういえばこんな声だった。真山さんは。

 

やっと少しだけ冷静に慣れた気がして、柴田はゆっくりと立ち上がった。

埃の付いているおしりをぽんぽんと軽くたたく。

それから顔を上げて、真山を見てみた。

 

ああ、そういえばこんな顔だった。真山さんは。

 

ぼんやりと思い出せなかったのに、その声を聞くだけで、その顔を見るだけで安心する。

 

一瞬、真山と目があった。

柴田は恥ずかしくなって、目を逸らす。

その柴田の反応に、真山は軽く首をかしげる。

 

「なんかあった?」

「え・・・?」

「おかしいよ?顔色。赤いし」

「いえ・・・これは・・・」

柴田は慌ててほほを手で覆った。

さすがに訝しげな真山が柴田の顔を覗き込む。

「大丈夫なんで・・・お気になさらず…」

柴田が思わず俯いて、真山の視線から逃れる。

様子のおかしい柴田に、真山はまた首をかしげた。

 

「なぁ」

真山の呼びかけに、柴田は驚いたようにびくっと体を揺らした。

「・・・はい?」

おびえたような様子に柴田に、真山は少し困ったような表情をした。

「お前今日ホントおかしいよ?」

「そう・・・ですかね?」

「うん。いつもおかしいけど。さらにヘン。どっか壊れてるんじゃない?」

 

壊れてる、と表現した真山は正解だと思った。

自分でも制御が利かない。

この人の動き、一つ一つにどうしてこんなに乱されるのか。

いつも、傍で見てきたはずなのに。

 

まるで、もう一度同じ男と恋に落ちたように。

 

「あの・・・真山さん」

「どうした?」

「私・・・やっぱり帰りますね」

なるべく、真山の顔を見ないように柴田はうつむいたまま言った。

「やっぱり熱でもあるのか?」

「そうじゃないんですけど・・・今日は、失礼します」

ぺこりと柴田は礼をする。

「おい・・・」

ちょっと戸惑っているような真山の声がしたが、柴田はくるりと背を向けた。

なんだかとても恥ずかしくて、柴田は早くその場を去りたかった。

こんなこと、真山に知られたらきっと笑われる。

 

しかし、柴田が走り去ろうとしたその時、真山がしっかりと彼女の手首を掴んだ。

 

「柴田」

 

背後から、真山が名を呼んだ。

柴田の温度がまた、上がる。

 

掴まれた手首から、真山の体温が伝わってくる。

もう、苦しくて息が出来ない。

 

「柴田」

もう一度、真山が柴田の名前を呼んで、柴田が漸く振り向いた。

「ホントに帰んの?」

ちょっとだけやさしい真山の言い方に、柴田は首をぶんぶんと横に振った。

 

本当は、帰りたくなんてない。

だって、すごく会いたかったのだから。

 

「真山さん?」

泣きそうになるのをこらえて、柴田が呟く。

「何だよ」

「一緒にいて、くれますか?」

「は?」

「五日間、会えなかった分まで一緒にいてください」

 

その言葉を聴いて、真山はやっと合点したような顔をした。

「何お前、俺に会えなくて、寂しかったの?」

柴田が大きく頷いた。

「しょうがないじゃん。お仕事でしょ?カカリチョー」

笑いながら真山が言う。

「だって・・・」

柴田がすねたように唇を尖らせて、真山を見上げる。

 

まだ、どきどきするけれど、大丈夫。

これは、心地よいどきどきだ。

 

「・・・でも」

柴田が思い出したように呟いた。

「出張も、いいかもしれませんね」

「・・・なんで?」

「単身赴任の夫婦の気分がわかる気がしました」

「何それ?」

真山が難しそうな顔をしたが、柴田はにっこりと笑顔になった。

 

かちゃりと音がして、真山がドアを開ける。

柴田はちょこちょことその後をついていく。

 

多分きっと、真山は今日もいつもどおりなんだろうけれど、

ちょっとだけいつもよりも優しくしてくれたらいいのになぁと柴田は思った。