彼は彼女の夢をみるのか。
平日の朝、彼は決まって彼女よりも早く起きる。 それには二つ理由がある。 彼が早起きであること。それと彼女が朝に弱いこと。この二つだ。 同じ場所で、同じような時間に寝入ったはずであるのに、彼はいつも彼女より早く起きる。 彼には、それがあまり好ましくないことであった。 あまり恵まれた家庭環境とはいえない中で育ってきた彼にとっては、「朝、誰かに起こしてもらうこと」は幸せの象徴のように思えてならなかったから。 それなのに、いつも起こすのは自分の役目。 彼は「起こされること」に憧れを抱いていた。 子供じみた夢かもしれないけれど、それは彼にとってまさに夢にまでみた一瞬なのであった。
しかし、この日も先に起きたのは彼だった。 彼が目を開けると最初に飛び込んできたのは、愛しい彼女の寝顔・・・ではなく、顔面を直撃した彼女の腕であった。 彼にとって不幸なことに、彼女はとても寝相が悪かった。 一応、「いいとこのお嬢さん」だという話なのに、と彼にとっては大きな謎であるのだが。 狭苦しいベッドに二人で寝ているというのに、彼女の寝相はとても自由で大胆だった。 そしてとても都合よく、起きる時間になると彼の身体にヒットしてくれた。 ・・・実はわざとなのではないかと彼も疑っている所だ。
まぁ、とにかく彼女からの鉄拳で起きた彼の機嫌は今日もまたよろしくないようだ。 枕元に置いておいた自分の腕時計を彼が手探りで探す。 やっと手にしたそれは、やっぱり彼が起きなければいけない時間ぴったりだった。 「・・・絶対わざとだな。コイツ・・・」 彼は彼女の方を軽く睨んでそう言った。 彼女は幸せそうにすやすやと眠っている。
彼はゆっくりと起き上がった。 ベッドに腰を掛け、ぽりぽりと頭を掻く。 彼は寝起きはそこそこ良いほうだった。 長い首をゆっくり回し、小さなテーブルに手を伸ばす。 煙草とライターを手に取ると、その一本を口に咥えた。 もうすっかり日常の一部になってしまった苦い煙が彼の身体の中を巡る。 ゆっくりと煙を吐き出しながら、ベッドに横たわる彼女の方に彼は振り返った。
彼女の寝顔を見るのはもう何度目になるだろうか。 透けるように白い肌のせいで、彼女の寝顔はまるで死に顔のようにも見える。 彼女と関係を持つようになった当初は、よく夜中に目を覚ましては彼女が生きているかどうかを確認したものだった。 彼は煙草をもう一度咥えると、彼女の鼻の付近に手をかざした。 掌に彼女の寝息を感じて、彼女が生きている事を確認する。 彼は目を細めて懐かしむと、ぎゅっと彼女の鼻をつまんだ。 くくくと笑って、それでも彼女の温かさに安心して視線を前に戻す。
脳裏に以前見た彼女の絶命の瞬間の顔が浮かび、ぎゅっと瞼を閉じることで耐えようとした。 紫煙が冷たい空気の中に立ち昇る。 それはまるで彼が口にすることが出来ない叫びのように見えた。
急に背中に何かが触れた感触がして、彼は後ろを振り返った。 いつの間にか目を覚ましていた女が、彼の腰周りに指を這わせていた。 「・・・何してんの?」 彼は先程までの様子を悟られまいと平静を装った。 「あ、おはようございます。真山さん」 彼女はにへらと緊張感なく笑う。 その笑顔に、彼の張り詰めてた気持ちが和む。 「なにしてんの?ってば。ヤメテ」 彼はくすぐったくなって、身をよじった。 「測ってるんです」 彼女はそれに構わず、もう一度真山の腰に指を添えた。 「真山さんの腰、細いなーっていつも思ってたんです。だからちょっと測らせて下さいね」 彼女はいつも現場でやるように、指を使って彼の腰周りを測っている。 「やめろよ。くすぐったいって」 彼の目尻には笑い皺が見えるようになっていた。
彼女は初め片手で測り、しかしそのうち手が届かなくなって、両手でまるで彼の腰を抱え込むようにして測っていた。 「・・・何センチ?俺の腰」 「もう!真山さんが動くから測り辛いんですよ!動かないで下さい〜」 「しょうがないでしょ?くすぐったいんだもん」 「ああ〜、動かないで下さいってばぁ!」 「うるせぇ!俺ダメなんだってば。くすぐったいの」 彼が「もういいだろ?」と彼女の手を掴む。 その彼女の腕を自分の体の前に持ってきて、後ろから彼女に自分を抱きしめさせた。 「・・・なんか、こう・・・しっくりと来ますね」 彼女が言った。 「何が?」 彼は手にしていた煙草を、テーブルの上の灰皿に乱暴に押し付けた。 「真山さんの腰、です。細いけど、私が抱えるのに丁度よくってまるで私仕様みたい」 彼女が淡々と、しかしロマンチックに言うその言葉に、彼はまた笑った。 「お前用サイズなの?俺の腰」 「はい。・・・違いますか?」 彼女が不思議そうに聞き返す。
『これは運命だ』と信じて疑わない彼女。 気持ちでなくこの身体さえも、二人が出逢うように仕組まれたというのだ。 彼はただ黙って静かに笑っていた。
「あ、あと真山さんの首も、なんですよ」 「なに?俺の首までお前用なの?」 彼女の手が腰から首に移動した。 「真山さんって、首長いですよねぇ」 「そう?」 「はい。丁度いいんです。掴まる時に」 その言葉に、彼は彼女の方に身体を向きなおした。 「お前、いっつもしがみつくもんね。セックスの時」 「・・・だって、はじめは怖かったし・・・。 それに、ちゃんとくっついていたいじゃないですか。そういう時って」 「ああ、お前用っていうか処女用なのかね、俺の首。初心者用?」 「・・・ほらやっぱり私用じゃないですか」
彼女が彼にしがみつく。 自分のほうに体重をかけてきた彼女の身体に彼は手を廻した。 彼女の腰に、彼の手が触れる。 「お前の腰も俺用ね」 「え?そうなですか?」 「・・・知らないけどさ、そういうことにしておけばいいじゃん」 「はい」
彼にとって、彼女に起こしてもらうという、夢にみた風景は遠いものだけれど、朝起きられない彼女と、早起きな彼。 それはまるで、彼女のために彼がそうであるのかと錯覚してしまうくらい丁度いい。 でも彼はそれも悪くないと少し思っている。
そんなこと口に出して言える彼ではないけれど。
それでも、彼は夢をみる。 愛しい彼女に朝起こしてもらうという昔からの夢を。
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