独り戯び
夜中、不意に目が覚めた。 自分の部屋ではなく、職場でもない、まだ見慣れない男の部屋の天井に少し驚く。 そして隣で寝息を立てる男にも。
いつも不機嫌な顔をして自分に文句ばかり言っている男が、穏やかで安らかな寝顔をしていることが少しくすぐったくて背を向ける。 髪にかすかにかかる男の寝息が妙に心地よい。 出来ればそのまま眠りたい所だが、一度覚めてしまっては暫く眠れそうにない。 喉の渇きを感じて、ベッドから男を起こさないように出た。
寒さで自分が何も身に着けていないことを思い出した。 自分のカーディガンを羽織ろうと手にかけた瞬間、男のワイシャツが目に付いた。 「・・・一度やってみたかったんですよね〜」 闇に溶け込むようなかすかな声で誰に向けたわけではない言い訳をする。 恋愛小説に良く出てくる情事の後の女は、相手の男のワイシャツを羽織っていた。 自らの頭の中に出てきた『情事の後の女』というフレーズに赤面し、それでも男のシャツを羽織ってみた。 筋肉がついている割に男の体はとても細くて腰の細さなどにはいつも驚かされているが、 やはり男物のシャツは自分には大きくて、改めて女と男の違いを知る。 太ももまで達する裾。指先まですっぽりと覆われてしまう袖。全く合わない肩幅。 シンプルで真っ白なシャツ。 男の几帳面な性格から、シャツは毎日洗っていると思われるがそこからは男の匂いがした。 その匂いは決して不快ではなく、むしろ男に抱きしめられているようでそっと目を閉じる。 自分の体ごとシャツを抱きしめる。 傍から見たら滑稽な姿であろうが、とても幸せだった。
のどの渇きを再び思い出し、冷蔵庫に向かう。 「健康と豊胸のため(?)」と男が自分用に買ってくれた牛乳をコップに入れて一気飲みする。 「腰に手を当てない」という男の教えを守りながら。 冷たい牛乳を一気に飲んで体が冷えたようだ。 小さく身震いするとベッドにするりと潜り込む。 男の肌に直に触れると温かくてほっとした。
先程よりも落ち着いたせいで男の顔をまじまじと見ることが出来そうだ。 考えてみれば二十センチ近い身長差のせいで顔をこんなに間近で見ることはあまりないように思う。 この機会にじっくり観察を試みる。
散髪してはいるのであろうが、出会ったころよりは前髪が幾分長い。頭をそっと撫でる。 睫毛が意外に長い。軽く触る。 唇がぽてっとしている。指でなぞってみる。 顎。ラインがくっきりしていて綺麗だと時々思う。 長い首。掴まる時に丁度いい。 それから・・・
「あれ?」
いつの間にが、涙が出ていた。 理由はわからない。 けれども感じるのは不安。とても漠然とした恐怖。 それはきっと小さなころ父を亡くした喪失感に似ていて、三度味わったこの人を失った絶望感よりも大きなもの。 ここまで愛した貴方が、ここまで知ってしまった貴方が今私の前から消えたら、私はどうなってしまうのだろうか。 一度目は、人を殺そうとした。二度目は失った記憶を取り戻した。三度目は自ら命を絶とうとして踏みとどまった。・・・では次は? この人が死ぬのが怖いんじゃない。 この人を失った時の自分がどうなるのかわからない、それが酷く怖い。
急に襲ってきた不安に、どう対処したらいいかわからず一人声も上げずに泣くしかなかった。
黒いシーツが涙の跡を残した。 それは綺麗な円ではなく、歪んだ形をしていた。 まるで、心の中を映したような。
不意に、頭に温かさを感じた。 顔を上げると、それは男の大きな手であった。 「・・・何泣いてんの?」 「・・・・・・真山さん・・・」 「何?山に残した子供のことが気になるとか?」 「・・・それって『七つの子』ですか?わたし烏じゃありませんよ」 「あれ?違うの?いっつも黒い服ばっか着てさ、お前烏みたいだよ」 「真山さんこそいつも黒い服ばかりじゃないですか。真山さんこそ烏って呼び名がお似合いですよ」 「煩いね。黒が似合う男ってそうはいないんだよ?いいじゃん、いっつもピンク着てたら林家ペーになっちゃうじゃん」 「・・・真山さんっていつも極論おっしゃいますよね」 「何?お前、もしかして俺のワイシャツ着てる?」 「あ、すみません。お借りしてます」 「いいね、いいね〜。素っ裸よか全然エロいよ?」 「そうなんですか・・・?」 「うん。お前もやるじゃん。欲情しちゃうよ、これ」
そう言って、真山は柴田を抱きしめた。 しかし、言葉とは裏腹に壊れ物を扱うように、優しく柴田のことを包み込んだ。 先程、シャツから感じた同じ匂いが柴田を包む。 その大きくて温かい手は柴田の背中をあやすように撫でている。 「早く寝ろよ。明日また遅刻するよ」 「・・・あの、お願いがあるんですけど、聞いていただけますか?」 「何だよ」 「私が眠るまで、こうしておいていただけますか?」 「・・・朝飯、カツ丼おごりな」 「朝からですか?もうお歳のこと考えた方が・・・いてっ」 真山が柴田の耳をかじった。 「嫌ならいいんだよ、おまえ床で寝れば?」 「ウソです。朝ごはんは、カツ丼奢りますから」 「・・・商談成立だな」 そういって軽く頷くと、真山は柴田の頭をぽんぽんと優しく叩いた。 「ずっとこうしててやるから、余計なこと考えずに早く寝ろ」 その手も、その囁きも甘くて、柴田は自然と目を閉じた。 『もう大丈夫だ』という真山の声に出さない声が聞こえた気がした。 真山の鼓動が聞こえる。 ゆっくりと眠れそうだ。
「・・・おやすみなさい、真山さん。また明日」 |