灰色の街の中で
あの夏から数ヶ月が経った。
季節はもうすっかり変わって、街では聖なる夜へのカウントダウンが始まっていて、耳障りなくらい騒がしい。 俺は、ホテルの窓からそんな浮かれきった街を見下ろす。 ・・・あの二人は、どんなクリスマスを過ごすのだろうか。 きっと、レイジさんは文句を言いながらも亜子ちゃんのプランに付き合うのだろう。 彼の、一番大切な人の為に。
「ナルくん」 後ろで、声が聞こえた。 俺は笑顔を作って振り返る。 けれど、その相手は俺の顔を見るなり、不機嫌な顔になった。 「作り笑い?」 そういえば、彼女はそういう人じゃなかった。 ベッドの端に座って、彼女の顔を見ながら言った。 「ごめん、カナさん」
彼女は、数年来の俺のお客さんだ。 俺が何処の店で働いていても、決まって月に一回やって来て、セックスをする。 高価なプレゼントは一切ないし、ボトルを沢山入れてくれるわけでもない。 それでも、俺にとってはとても大切なお客だ。
「ナルくん、煙草取って。ライターも」 彼女はベッドの中で裸のまま起き上がると、気だるそうに一回伸びをして煙草を要求した。 俺は、素直に煙草を手渡し、いつものくせでライターに火をつける。 「・・・いいわよ。火ぐらい自分で点けれるから」 「ああ、ごめん。つい・・・」 カナさんは、煙草の火を点けられたり、水割りを作られたりするのが嫌いだ。 「・・・相変わらず、ナルくんは煙草吸わないの?」 細い指が、もっと細い煙草を弄んでいる。 「うん。人が吸ってるのを見てるのは好きなんだけどね」 俺が正直に答えると、カナさんは少しだけ真っ赤な唇を歪ませた。 「変なホスト」 「カナさんだって、変なホステスじゃん」 細い指の細い煙草からもっともっと細い煙が立ち昇る。 「余計なお世話よ」 カナさんの笑いを含んだようなこの声は、少しレイジさんに似ていると思う。
カナさんは、自称『人気のないホステス』だ。 愛想もよくないし、あまりお客さんの機嫌を取ったりもしないらしい。 それでも、長いことホステスをやっているのは、数は少ないけれどカナさんにはちゃんと固定客があるからだ。 「お金を出してまで、どうしてこんなにつまらない女と酒を飲みたがるのかしら」 カナさんはいつも不思議そうにそう言っている。
「ナルくん」 「何?」 「レイジ、元気?」 「・・・うん。元気だよ。毎日嬉しくてしょうがないって顔で生きてるよ」 「そう・・・」 カナさんはもともとレイジさんのお客さんだった。 まだ、俺とレイジさんがただのペーペーホストとナンバーワンホストのときに、 レイジさんのヘルプでテーブルに付いた俺を気に入ってくれるまで随分と長いこと、カナさんはレイジさんを指名していたそうだ。 そしてレイジさんにとってもカナさんは特別なお客だった。 「多分、ホスト人生で出逢った一番ヘンなオンナ」 レイジさんは事あるごとにそうカナさんを評し、カナさんはそれを否定しながら、それでも笑っていた。 まるで兄弟のように、二人は同じ雰囲気を醸し出していた。 愛情ではなく、家族愛のようなものが二人の間にあったのではないかと俺は思う。 二人は、決して流されずにどこか冷めた目で、歌舞伎町という街を見据えていた。
カナさんは、イマドキのホステスのように、髪を巻いてはいない。 その性格を表す様に、真っ直ぐで綺麗な髪をしている。 その髪をじっと見ながら俺はカナさんに訊いた。 「・・・会いたい?レイジさんに」 「いいえ?」 首を横に振るとさらさらと音を立てるように揺れる髪の毛。 「幸せに浸りきってる馬鹿な男の顔なんて見たってしょうがないでしょ?」 煙を吐き出しながら、彼女は言った。 その言葉を聞いて曇ったのは俺の顔の方だった。 「・・・馬鹿な男?」 思わず漏らしたその声に、カナさんは笑った。 レイジさんに良く似た、あの薄い笑い声。 「ナルくんがそんな顔することないじゃない」 「レイジさんのこと、嫌いになったの?」 カナさんはもう一度ゆっくり首を振ると、俺の方に寄ってきた。 「冗談よ。・・・レイジは、こんな街にいるより幸せの中にいる方が似合ってるでしょ?私なんかが会っても意味なんてないわ」 カナさんの香水の匂い、それからセックスをした後の少し汗ばんだ匂いが鼻腔をくすぐる。 彼女と俺のセックスは、まるで月一回の運動会の様に体育会系だ。
俺は、驚いた。 『歌舞伎町よりも、愛する人の傍にいる方が、レイジさんに似合う』 この街でそんな事を言ったのは、俺の知る限りはカナさんのほかにいなかったから。
カナさんの赤いけれど薄い唇が俺の唇に重なる。 押し寄せる煙草の味に、眩暈を感じた。
「・・・ナルくん、変わったね」 唇をわずかにずらして、至近距離でカナさんの囁きが聞こえる。 「俺、どう変わった?」 カナさんは俺から離れると、少し考えて答えた。 「・・・なんか、三角形が円錐になったカンジ」 カナさんの言葉は独得だ。 その上、たまにドキッとするような事を言う。 「円錐?」 俺は怪訝な顔で聞き返した。 「そう。薄っぺらかった二次元の三角形から奥行きが出て、立体になったのよ?」 カナさんは得意気に、煙草を灰皿に押し付けながら答えた。 そして、その細い指で円錐の形を宙で描きながらこうも言った。 「ポイントはね、三角錐じゃなくって、円錐って所。下のところが、角ばっていなくってまあるいの」 レイジさんの言葉が頭を過ぎった。 「多分、ホスト人生で出逢った一番ヘンなオンナ」 それは、間違いなく本当だと思う。 レイジさんの忘れ物のように、俺の元にいるひと。
「カナさん、よくわかんないよ」 俺は少し笑いながら言った。 「・・・いい男になったってことよ」 低い声は心臓に悪い。囁かれると尚更だ。 「人はね、お金で角ばって、愛で丸くなるのよ」 カナさんは、低いけれど優しい声でそう言い残して、裸のままベッドから出た。 「レイジは、あんなにとげとげだったのに、きっと今はきれいな丸なんでしょうね」 俺からは、後ろ姿しか見えなかったので、カナさんの表情はわからなかった。 それから一呼吸して振り返って、真面目な顔で彼女はこう言った。
「ナルくんは、ナルくんだよ」
彼女はそのまま、バスルームに消えていった。 その場に残された俺は、円錐形のランプシェイドを見つめた。
いつか、レイジさんにも言われたその言葉。 俺はもしかしたら、亜子ちゃんよりもレイジさんよりも欲張りだったのかもしれない。 愛よりも、お金よりも、手に入れるのが困難なもの。 どんなに憧れても手に入れることなんて出来ないもの。
強くて、かっこよくて、誰かが死んでも顔色一つ変えないで。 俺の憧れのヒーロー。 「歌舞伎町のレイジ」、 俺はその人になりたかった。
そんな人間、何処にもいない。 レイジさんはわかってた。多分、亜子ちゃんも。 そしてきっとカナさんも。
俺はいつも一緒にいて、レイジさんの一番の理解者だと思い込んでいたけれど、レイジさんの幸せを願ってなんていなかったんだ。 自分が、情けなるなる。
ベッドに横になって、目を閉じた。 丸くなんてなってないよ。 俺はまだとげとげで、痛いままだよ。
しばらくそうしていると、頬に冷たさを感じて目を開けた。 カナさんが俺を覗き込んでいる。 お風呂上りのカナさんは、微かなシャンプーの香り。 「ねえ・・・どうして俺を許してくれるの?」 それは、カナさんじゃなくってレイジさんに言たかった言葉だった。 カナさんはそれを察したように歌舞伎町の伝説のホストの笑顔をする。 「言ったでしょ?ナルくんが、ナルくんだからだよ」 わからない、と俺は首を振る。 「嬉しかったのよ?ナルくんが真っ直ぐに私を信じてくれたこと」 水分を沢山吸ったカナさんの指が、俺の頬を撫でる。 「弟がいたら、こんな感じかなぁって」 髪の毛から滴ってくる水滴が、冷たい。
「ナルくんは、ナルくんらしくいてくれたら、それでいいんだよ」
突然、目が覚めた気がした。
「奈留は、奈留だよ」 レイジさんの言葉が頭を巡る。 やっと今、あのときのレイジさんの言葉の意味が分かった気がした。
「・・・カナさん」 「なに?ナルくん」 「俺、『歌舞伎町の奈留』になるよ」 「なあに?それ」 カナさんはそう言ってまた笑った。 少しも角ばっていない、まあるい笑顔で。
唯一の存在を目指してやる。 この、灰色の街の中で。 あの頃のレイジさんには出来なかった方法で。 角ばらずに丸くなりながら、俺は俺のやり方で。
ね、それならいいでしょ?レイジさん。
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