| February
俺が一番見ている柴田の姿は、たぶん後ろ姿だ。
2月は本格的に寒い季節で、歩くのも少し遅くなる。 柴田は寒さとか暑さの回路も飛んでいるので、気温に行動が左右されることはあまりないらしい。 方向音痴のクセに、人ごみの中をすいすいと歩いていく。
・・・いや、人にぶつかった。 コケた。
「しばたぁ〜」 寒いのに、つい大きな声が出て自分でも少し驚く。 特に歩みを速めるわけでもなく、そのままのペースで近づいていく。
コケた柴田は、のそのそと散乱した鞄とその中身を拾っている。 俺の声が聞こえていないのか、俺の存在を忘れているのか、こちらを振り返らなかった。
ようやく柴田の元についた時に、柴田はやっと立ち上がったところだった。 ぺちんと音を立てて柴田の頭を叩く。 それで、柴田はやっと俺のほうを振り返った。
「あ、真山さん」 「『あ』じゃねえよ。何コケてんの?」 まるで保護者のように、少し汚れた柴田のスカートをぱんぱんと軽く叩く。 「寒いからですかねぇ」 柴田が本当に馬鹿のような返事をするので、もう一度頭を叩いた。 「別に道路凍ってないじゃん、馬鹿」 頭をすりすりと大袈裟に撫でながら、柴田が恨めしそうに俺を見上げる。 「寒いとなんというかちょっと・・・反応が遅くなるじゃないですかぁ」 思わず鼻で笑って見下ろしてしまう。 「お前に気温を感知する機能ついてたんだね。知らなかった」 「機能って・・・なんですか、それ」 わかりやすく柴田が拗ねて、もう一度笑った。
柴田は俺のその笑い声も気に入らなかった様子で、一人でぷいと歩き出した。 すたすたと歩く柴田の背中を、俺はまた追った。
どこに向かっているかは、聞いていない。 方向音痴の柴田に任すのは不本意ではあるが、一生懸命やっているようなので仕方ない。
何年も買い換えていない小汚いコートの肩で、寝癖の髪がぴょこぴょこと動いている。 あの鞄だって、出会った頃からずっとかわっていない。
ふと、甘やかしたくなる瞬間がある。 転ばないように手を取って、行き先を聞き、導いてやりたくなる時がごくたまに、ある。 多分、そうしてやるのはすごく簡単なはずだ。
けれどそうしてしまったら、今までに築いた微かなものが壊れてしまう気がする。 他の誰にも解らない、俺と柴田だけの、些細で大切なもの。 柴田でさえ、解っていないかもしれないけれど。
柴田がまた、僅かな段差でつまづく。 思わず走りだしそうになってしまうが、そのままの速度を保った。 幸いつまづいた柴田は、コケることなく体勢を持ち直したようだ。
ちらりとこちらを伺ってくる。 俺が見ていたか気になるようだ。 俺はそ知らぬふりをして、ただペースを乱さないように歩く。
柴田は少しほっとした表情で、その場でへらっと気味悪く笑った。 俺はそれに顔をしかめてしまう。 何故か柴田はその場に立ち止まって、待っている。
「何?気持ち悪いんですけど」 柴田の所に追いついてそう言うと、柴田がまたにへらと笑う。 「・・・さっき頭でも打った?」 さすがにちょっと心配になり、さっき叩いた頭を撫でる。
「真山さんって・・・」 柴田が急に真顔になった。 「なんだよ」 俺はなんだかその変化に、ほんの少しだけ身構えてしまう。
「なんだか、お父さんみたいですねぇ」
それだけ言うとまた笑ってくるりと前を見た。
俺はなんだか呆気に取られていた。 「お父さん」などと言われて俺が喜ぶと思っているのだろうか。 やっぱり、柴田はなにもわかっていない。
すぐにそれを否定するのはきっと楽で、今までもこんな場面は沢山あった。 でも俺はそのたびにそのままにしておいた。
面倒臭いんじゃない。 そうじゃないと、何かが壊れてしまう。 きっと、俺の思う小さな小さな幸せが。
柴田の背中を見てまた歩き始める。 多分、この位置が俺はきっと好きなんだと思う。 ここから、柴田を見守ることが。
柴田が笑顔のままで俺を振り返った。 なんだか幸せそうな顔をしていた。 俺の思う、幸せのような。
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