August

 

 

 

 

 

それは、8月の暑い日だった。

 

 

前日彩に飲みに連れまわされた柴田は、珍しく家から真山の家に向かった。

約束をしていないのはいつものことだったし、

マンションのドアを叩けばいつもどおり寝巻き姿の真山が出迎えてくれると思っていた。

 

ガチャリと少し重い音がして、部屋のドアが開かれた。

「・・・あれ?お前、来ちゃったの?」

半袖のシャツの真山は言った。

柴田は一瞬戸惑って、それから尋ねる。

「・・・真山さん、どこかに出かけるんですか?」

 

出迎えた真山は寝巻きではなく普段着だった。

ただそれだけなのに、柴田はなんだか違和感を覚える。

 

真山は柴田の問いには答えず、頭のてっぺん辺りをカリカリと掻いた。

怒っている風でもなく、困った風でもなく、いつもと同じ真山だった。

 

「ん〜、じゃあお前も来る?」

会話の流れもなく、少し唐突に真山は言った。

「・・・どこにですか?」

もう一度柴田は尋ねるが、真山は曖昧に頷くだけで、やっぱり答えてはくれない。

 

 

ちょっと待ってろ、と言われ柴田はその場で素直に待った。

重いドアが閉められて、中で真山の歩く音がする。

なんとなく、うまく言えない緊張感が柴田を包んでいた。

よくわからないけど、真山がいつもと違っていた。服装だけではなく。

柴田は、肩にかけてある鞄をぎゅっと握り締めた。

 

その時、真山が部屋から出てきた。

「行くよ〜」

やっぱりいつもどおりの真山が柴田にそう言いながら、部屋に鍵をかける。

「・・・はい」

柴田が小さく答えると、真山がちらりとこちらを見た。

二人の目が合った時に、真山は微かに笑った。

それからぽんぽんと柴田の頭をやさしく叩いた。

 

 

二回訊いて答えてもらえなかった行き先は、きっともう教えてはくれないだろう。

柴田はあきらめて、ただ真山の後をついていくことにした。

後ろから見る背中は、いつもと変わらないように見える。

それでも、柴田の持つ違和感は消えない。

 

 

駅に着くと真山は柴田の分まで電車の切符を買った。

そんなことは初めてで、受けとる柴田の手は緊張していた。

 

乗り込んだ電車は、あまり乗ったことのない路線で、それが柴田をより心細くさせる。

割と空いている車内で、真山はいつものようにドアにもたれ掛かかった。

そして、なんだかひどく懐かしそうに窓からの景色を眺めている。

柴田もそれに倣おうとするけれど、見覚えのない景色は、少し怖い。

少しだけ真山に近づくと、静かに目を閉じた。

こっちの方が、きっと落ち着くと思ったのだ。

電車の振動と僅かに鼻腔をくすぐる真山の匂いで、やっと心が落ち着いた。

 

 

 

 

電車を降りて、真山は一軒の店に寄った。

そこで漸く柴田は今回の目的地を悟ったのだ。

 

店から出てきた真山は、花束とビニール袋を持っていた。

柴田は無言でその花束を受け取る。

ふわりと持ち上げると、花束の大半を占める菊の花が揺れる。

 

 

目的地は、小さな寺だった。

厳密に言えば、その中のお墓の一つ。

 

 

沢山の墓石の中、迷うことなくそこにたどり着く。

こういうのの作法なんて知らねーと呟きながら、墓に水をかける真山を柴田はぼんやりと見ていた。

お墓が少しきれいになって、真山は柴田を振り返った。

柴田は持っていた仏花を真山に手渡す。

花を供え、先ほど買ってきた線香に火をつける。

真山はそこだけがなんだか手馴れていて、それが少し寂しく感じた。

 

「…お盆には、来なかったんですか?」

柴田が久しぶりに口にした言葉だった。

「混むじゃん」

真山が柴田を振り返らずに答える。

 

「ここの寺のばーちゃんがさ、いつもきれいにしてくれるからね、大丈夫なの」

ゆっくりと立ち上がって、真山はやっと柴田を見た。

柴田は自分より背の高い真山を見上げる。

それだけなのに、何故かべしっと頭を叩かれて、鼻で笑われた。

 

「何?その顔」

 

それだけ言って、真山はまた墓の前で屈んだ。

家から持ってきたものらしい数珠を手にしている。

 

 

立ち上る線香の煙と、この季節には珍しい爽やかな風と、蝉の大合唱。

そして墓の前で屈む真山が、まるでフィルムの様に一瞬で柴田の頭に焼きついた。

 

 

柴田は無意識に肩にかけている鞄の取っ手を掴んでいた。

ぎゅうっと、指が白くなるほどに。

 

 

 

全てが一瞬のような、永遠のような不思議な感覚だった。

 

 

 

真山が立ち上がると、やっと柴田の時間も動き出す。

「…行くか」

小さく呟かれた言葉に、柴田は首を横に振る。

「真山さん・・・私も、手を合わせていいですか?」

柴田の言葉に真山は少し怪訝な表情をしたが、手にしていた数珠を渡してくれた。

「ありがとうございます」

慎重に受け取ると、柴田は軽く頭を下げた。

 

「沙織さんと・・・」

「親とか先祖とか」

「…はい」

 

短いやり取りをして、柴田は屈み、手を合わせた。

大きな数珠が、自分の手にまったく馴染まなかった。

 

 

 

 

 

真山の言う「ここの寺ばーちゃん」にお礼をして、ひとしきり引き止められ、

駅へ向かうころにはすっかり日が傾いていた。

 

柴田はまた、真山の後ろをついていった。

行きの不安と違和感はもう影を潜め、いつもの二人がそこにあった。

 

 

「真山さん」

信号待ちの時に、柴田が口を開いた。

「んー?」

「お寺のおばあさん、かわいらしい方でしたね」

「あのばーちゃんさあ、昔からずっとばーちゃんのままなんだよね。逆に怖いよ、逆に」

うひひと真山が笑う。

二人の目の前を、自転車に乗った女の子が通り過ぎる。

 

「何話したの?」

真山の問いかけに柴田が顔を上げる。

「さっき、墓で」

もう一度尋ねられて、珍しく柴田が言葉を詰まらせる。

「・・・あの、実は・・・」

「なんだよ」

「何も考えていませんでした」

「だろうと思った」

 

 

 

 

 

きっと、真山は墓参りに行くところにたまたま来た柴田を連れて来ただけなんだろう。

手を合わせたいといった時の表情で、柴田はなんとなくわかった。

 

 

 

柴田が何にも言わなくても、沙織さんも真山の両親も真山のことなんてきっと全部わかってる。

 

それに自分が真山について何か言うのはちょっと違う気がしていた

 

 

 

 

『真山さんのことを任せて』とか、『真山さんを幸せにします』などとは簡単に言えない。

真山にとっての幸せも、不幸せも、真山さんの自分の中の定義しかないものだから。

 

 

それでも、自分がこうして真山と一緒にいれることは紛れもなく事実で。

その事実はきっと真山の先祖が、両親が、妹があったからだと確信している。

 

 

だから手を合わせたかった。

けれど、『ありがとう』というのはおこがましい気がした。

 

 

ただ、なにも言わず、考えず、手を合わせたかったのだ。

 

 

 

 

さっきまでの違和感は、きっと真山が柴田の知らないころの真山に戻っていたからだった。

兄で、息子で、孫で。

家族とのつながりの中の真山。

真山は墓参りに行くことで無意識に自分の中にあった家族といたころの自分に変化していたのだ。

 

その真山は、きっと柴田の知らない真山だ。

けれど、柴田といる時の真山は、きっと他の誰も知らない。

 

 

 

他の真山も決して嫌いではないけど、きっと柴田がすきなのは自分といる時の真山だ。

今、目の前にいる真山。

 

 

 

 

 

柴田は微かに線香の匂いのするであろう真山の抱擁をそっと想像してみた。

ああ、はやくわたしのすきなまやまさんにあいたい。

 

 

「…真山さん」

柴田が後ろから声をかけると、真山はゆっくりと後ろを振り返った。

「早く、帰りましょう」

柴田は駆け寄りたい衝動を抑えて、噛み締めるように言った。

「誰かさんと違って迷子にならねぇよ」

呆れるように真山が言う。

「早く真山さんのお家に行きたいんです」

うずうずとした感情が表に出てしまったらしい。

真山はにやりと笑う。

「何だよ、一晩別に居ただけでしょ?そんなに俺が恋しいの?」

「はい」

からかうように真山は言ったのに、柴田は至極真面目な表情で答えてしまう。

面食らうのは真山の方だった。

 

「お前さぁー…」

「駄目ですか?」

「ダメじゃないけど…墓参りしたばっかで不謹慎だよ、不謹慎」

「お墓参りしたから、ですよ」

 

「・・・お前ってつくづくヘンな女だね」

呆れた真山の口調がやけに嬉しくて、柴田はやっと心から笑えた。