April

 

 

まだ少し肌寒い。

私は、隣で眠る男を起こさないように、ゆっくりと体を起こす。

温もりが名残惜しい。

 

冷たい風を感じて、視線を上げる。

 

開け放たれた窓。

隙間からの風で、素っ気無いカーテンが揺れていた。

 

薄暗い部屋と、白いカーテン。

どこからかふわりと薄紅色の花びらが部屋に入ってきた。

 

たった数枚、忘れ物のように。

 

 

「きれー…」

 

私は小さな声で呟く。

そういえば今年は桜を見に行っていない。

それなのに、もう散ってしまっていると聞いた。

 

見たかったのに、と拗ねる権利は私にはない。

ここ数日、脇目も振らず捜査に夢中だったのは私だからだ。

 

真山さんは、ああ見えて景色だとか自然だとかが好きだ。

下らないとか言いつつ、目を細める横顔を何度か盗み見た事があるからだ。

 

 

そーっとベッドを抜け出す。

大きいTシャツの裾を伸ばして、冷える足を覆った。

 

窓際で屈んで、花びらを拾った。

全部で三枚。自分の手のひらに乗せる。

 

少し痛んだ花びらは透けるような色で、なんだか儚い。

また少し風が吹いて、手のひらから花びらが舞う。

 

私はまたぼんやりと窓を見上げる。

欠けた月がいやに明るい。

 

 

「…柴田」

暗闇で聞く声は、低くて甘い。

振り向くと上半身だけ体を起こした男がこちらを見てた。

「閉めて、窓。寒いから」

短くそう言うと、またぱたりとベッドに沈んでいった。

 

私は黙って、窓を閉めた。

古くて重い窓は、力を込めないと閉めれない。

がちゃんと重いロックを降ろして、ぺたぺたと歩きベッドに潜り込む。

 

「…脚冷て。お前さ、こっち来ないでね」

小さな声で言い、男が少し笑った。

「真山さんは心が冷たいですよね」

私が拗ねた様に言い返すと、男の腕が私を柔らかく抱きしめた。

視線だけ動かして男の顔見ると、眠そうに目を閉じたままだった。

 

ゆっくりと背中を撫でられ、私もだんだん瞼が重くなってくる。

 

 

 

「…お花見、行きたかったですか?」

隣の男にしか聞こえない音量で尋ねる。

「別に。花見なくても酒は飲めるしね」

男の手のひらが私の冷えた脚を撫でてくれる。

 

「来年は行きましょうね」

なんだか、祈るような声になってしまった。

瞼の奥で、儚い花びらがゆっくりと舞う。

 

 

綺麗なものは、いつも儚くて。

いつも、掴めずに攫われてしまう。

 

今は確かにある、この幸せは

いつまでここにあるのだろう

 

 

頭を撫でられて、瞼を開く。

無骨な指が私の頬をなぞっている。

いつの間にか私は涙を流していたようだ。

 

 

「…お前さ」

その声に顔を上げる。

男が酷く優しい顔をしていて、なんだか抱きしめたくなってしまった。

 

「そんなに花見行きたかったワケ?」

 

なんだか見当違いの言葉に、頭が妙にクリアになっていく。

さっきの幸福感も、儚さも、そして男に対する愛おしさまでが急に潮が引くように消えていく。

 

 

「花見ってさ、そんなにいいモンじゃないと思うけど」

「…真山さん」

「知ってる?桜とかすっげぇ虫たかるんだぜ?毛虫だよ、毛虫」

可笑しくなってつい噴出してしまう。

「あー、お前虫とか全然平気そうだもんね。俺は毛虫嫌だよ。気持ち悪ぃもん」

「…もういいです」

私はなんだか馬鹿馬鹿しくなってしまって、眠りにつこうと瞼を閉じた。

 

すると、もう一度男の手のひらが私の頭を撫でた。

そしてまた、優しく抱きしめられる。

 

「じゃあ、来年は春先に捜査するの禁止ね」

頭の上で男の声が響く。

「…はい」

小さく答えるとまた頭が撫でられた。小さい子をあやす様だ。

「デパ地下とかで弁当買えよ。作るとか言うなよ、な?」

「ああ、手作りのお弁当もいいですね。真山さんいなり寿司とおにぎり、どっちがいいですか?」

「人の話聞いて?ね。お願いだから」

 

 

ため息をつく男をよそに、小さく笑って身を寄せる。

桜は、来年までお預けだ。

 

瞼の裏に浮かぶのは、来年の桜。

二人で花を見て、お弁当食べて、お酒を飲んで。

虫が落ちてきたら、私が退治してあげよう。

 

儚さも、愛おしさも関係なくのん気に笑って。

そんな約束を臆することなくしてくれる男が、となりにいるから。

 

 

ゆっくりとやってきた睡魔に身を委ねる。

頭の上の男の呼吸が規則正しくて、なんだか微笑ましくなる。

 

明日起きたら、あの花びらを拾おう。

なんだかあれが来年の約束の証のような気がしてしまう。

 

 

先に眠っている男に、「おやすみなさい」と呟くと、私は眠りについた。

 

 

欠けた月は明るく私たちを包んでいる。