66:ポケット
月の出ていない夜。 すべてが寝静まったような静かな夜に、俺は目を覚ました。 ゆっくりと起き上がり、ベッドを出て冷たい空気に晒される。 月明かりさえない部屋の中で、感覚を頼りにベッドの淵に腰を掛ける。 目を瞑り、深いため息をひとつ。 いつものように煙草を吸いたかったが、暗闇の中で見つかるわけもなさそうであきらめる。 なんとなくぼんやりとしていると、そのうちに暗闇に目が慣れてくる。 人間は、いつもそうだ。 どんな状況に置かれても外界に対応していく。 それが良いのか悪いのか、誰にも答えは分からないだろうけど。 この程度、目が慣れたなら煙草も探して吸えそうだ。 そう思って、辺りを見回した。 寝る前に煙草を置いた場所をすっかり忘れていたからだ。
しかし、俺の心を捉えたのは探していた煙草ではなく、女の寝顔。 それが視界に入った瞬間、動きを止めてしまうほど。
いくら暗闇に目が慣れたといっても、この位置からは彼女の寝顔の表情までは伺う事が出来ない。 けれども暗闇の中、独特の研ぎ澄まされた感覚によって、規則正しい寝息が聞こえてきた。 その寝息の穏やかさに、ほっと胸をなでおろす。 彼女に触れて、そのぬくもりを確かめようとも思ったが、かすかに聞こえるその寝息だけで充分だと思った。 触れてしまえば、彼女が目を覚ますかもしれない。 その事をためらったのだ。
ニコチン切れのこの身にとってさえ、煙草より安心できる女の呼吸。 生きていればそれでいいと思えるほど大事な存在が、ここにある。
けれど。 「生きていてくれれば、それでいい」 それは、彼女が生死の狭間を彷徨ったから言えることだ。
時として、その言葉は奇麗事に思えてしまう。 本当に心から望んでいることは、多分何よりも俗物的だ。
「純愛」な訳がない。 「無償の愛」なんてありえない。 だって、俺は神でも仏でもない。 ただの男だ。
でもだからこそ、彼女をここまで大切に思えるのだ。 そして彼女を愛するだけではなく、彼女に誰よりも愛されたいと思う。
自分を誰よりも頼りにして欲しい。 弱音を吐くのも、涙を流すのも、一番の幸せを感じるのも、女として欲情するのも自分の前だけにして欲しい。
「生きて、そばにいて、俺を一番愛して。」
時々吐き出したいこんな気分を、胸にむりやり仕舞い込んで。 俺は彼女のあとをついていく。 ふらふらと方向違いを歩く彼女の行く少し後で、きっとその気のないそぶりで、ポケットに手を突っ込みながら。 何かにぶつかり、痛みを知って成長して行く彼女を見守っていく。 前じゃなく、横でもなく、少し後ろで。
行き先は、きっと彼女が知っているから。
|