65:プレッシャー
その日、真山の眉間の皺は確かにいつもより多かった。
真山の部屋で、二人は床に並んで座っていて、 柴田は読書をし、真山はテレビを見ていた。
時々真山は顔を歪め、自分の腹を押さえている。 「あ〜、クソ」 真山が舌打ちをしながら呟いた。 すると、本に熱中していた柴田まで顔を歪めて、真山をじっと見た。 「・・・真山さん、下品です。お手洗い行きたいなら、黙って言って下さい」 勿論、彼女は真面目だ。真面目すぎる故、腹が立つ。 べしっ 真山からの制裁が下る。 「馬鹿。別に便所行きたい訳じゃないよ」 「え?違うんですか?」 「行きたいとしてもさ、クソ=便所っていう直接的な表現は使わないよ?いくら俺でも」 真山は呆れたように溜め息をついた。 「案外、真山さんにも常識はあるんですね?」 ばしっ 「お前がジョーシキを語るんじゃないよ。非常識オンナの癖に」 「ひっどーい!私のどこが非常識なんですか〜?」 「・・・だから、そういうとこ」 怒る柴田に、真山は冷めた目で見返す。 そしてこれ以上の議論は無駄だと悟っている風に、ゆっくりと立ち上がった。
真山は冷蔵庫に向かって歩いていった。 「真山さん、おなか空いてるんですか?」 柴田が真山の背中に声を掛けた。 「・・・逆だよ、逆」 開けた冷蔵庫から、オレンジ色の明かりが漏れる。 「逆、ですか?」 「うん」 真山は冷蔵庫の中にあった薬を手に取った。 「胃がね、痛いの」 真山は胃薬の袋の端を持ち、ぱたぱたと仰ぐようにしながら、柴田の方に歩いてきた。 「胃ですか?」 「うん・・・あれじゃない?誰かさんが世話ばっかりかけるから」 柴田の隣に真山が座る。 「その誰かさんというのはもしや…」 「誰でしょうねぇ?」 「…えーっと…金太郎さんとか?」 ばしっ 「お前だよ!」 「・・・やっぱり」 「何、人のせいにしようとしてんの?お前が定時過ぎまで捜査連れ回したり、余計な仕事増やすからでしょ?」 「余計なって…継続捜査は私たちの立派なお仕事ですよー?」 「あー、はいはい。わかってますよ、カカリチョー」 真山はおどけた風にそう言って、話を切り上げる。 その横で柴田がぷぅっと頬を膨らましていた。
「あー、ねえ…水ちょうだい、水」 「お水?」 「そう。さっきまで飲んでたでしょ?コンビニで買った…」 「あ、でもちょっとしか残っていませんけど」 「うん、それでいい」 柴田が近くにおいていた鞄を引き寄せ、中を探った。 「真山さん」 「ん〜?」 「胃が痛い、ってどんな感じなんですか?」 鞄を探りながら柴田が聞いた。 「…は?」 真山の動きが一瞬止まり、柴田の方を向く。 「やっぱりお水これだけしかないです…いいですか?」 柴田がすまなさそうにペットボトルを真山に手渡す。 「お前、胃が痛くなったことないの?」 呆然とした表情の真山が、ペットボトルを受取りながら真山に尋ねる。 「ないんですよ。なので、どういう感じかなーと思いまして…」 「マジでないの?一度も?」 「はい」 「・・・さすがだね」 真山は体から力がどっと抜ける感じがして、座りなおした。
「胃が痛いのと、お腹が痛いのって違うんですか?」 柴田が真山の方にずずずと寄った。 「違うよ。第一、痛くなる場所が違うじゃん」 真山の言葉に、柴田は自分のお腹と胃の部分を交互に触り、なるほどと頷いた。 「痛みは違いますか?」 「んー、キリキリって感じじゃない?胃痛は」 「・・・なるほど・・・そういえば本に書いてありました」 「で、なんか口ん中がすっぱいの。お前、なってみな?辛いよ?」 「すっぱい・・・レモンみたいな味なんですか?」 「そんなさわやかなもんじゃないって・・・ねぇ、なんでお前胃が痛くなんないの?」 「さぁ〜?私ストレスが違うところに現れるタイプなんでしょうねぇ」 「嘘付け!お前ストレスとか絶対溜まってないだろ?」 「溜まりますよ〜。私だって中間管理職としての苦労とか、周囲からのプレッシャーとか…」 「・・・・・・・」 「あ、疑ってますね?こう見えても私、いろいろ考えてるんですよ〜?」 「あーはいはい。キャリアは大変だねぇ、カカリチョー」 「同情して下さるんでしたら、捜査にご一緒してくださいね」 「やだよ」 「もー!!」
真山は柴田を適当にあしらって、もうすっかりぬるくなってしまっている水の入ったペットボトルを開けた。 柴田はその様子を観察するようにじっと見ていた。 「それって、粉薬ですか?」 「うん」 「すっごーい。真山さん粉薬飲めるんですか?」 「・・・フツーでしょ?」 「私、飲めませんよ?」 「なんで?」 「苦いし、おえってなるじゃないですか」 「・・・・・・・・・・お前さ」 「はい?」 何か言いかけた真山だったが、不思議そうにじっと見つめてくる柴田の顔を見て、言うのやめた。 そして、何か思いついたような顔をした。
「ね、柴田」 「はい?」 真山がちょいちょいと手招きをした。 柴田はその仕草に吸い込まれる様に、ずりずりと更に真山に近づいて行った。 すぐ隣に柴田が座ると、真山はにこりと作り笑いを浮かべた。 そして、ペットボトルを持った方の手で抱えるように柴田を抱き寄せた。 「・・・真山さん」 柴田が訳もわからずに、ややうっとりと目を閉じてそう呟く。
真山は胃薬の袋の端を噛んで、器用に片手だけで開けると、水を一口含み、薬を飲んだ。 そして、薬を飲み込まないまま、柴田にキスをした。
真山は舌を使って強引に柴田の口を開けさせた。 胃薬の苦い味が、柴田の口の中にも広がる。 「ん〜!!」 柴田は顔をしかめ、足をばたばたさせて抵抗する。 しかし、真山の腕の中ではそれも虚しい抵抗に過ぎず、逃れることは出来ない。 口の中に広がる苦さに、柴田の目が潤んだ頃、漸く真山の腕の力が緩められた。
意地悪そうに笑う真山と、今にも泣きそうな柴田の目が合った。 「・・・真山さん、ひどい・・・」 その表情を見て、真山がくっくと笑った。 「どう?胃薬の味は」 柴田がふるふると首を横に振って、真山が手にしていたペットボトルを手にした。 残り僅かな水をごくごくと飲む。 真山がその様子を可笑しそうに見物する。 「…胃薬飲んだ後は、絶対キスしませんからね!」 唇を尖らせて、柴田がそっぽを向く。 「誰かさんが俺の胃を痛まないようにしてくれればいいと思うけど?」 「・・・真山さんっていっつもそうですよね?」 「は?いっつも何だって?」 「そうやっていっつも私を上手く丸め込むというか…」 「丸め込む?誰が?」 「・・・真山さん以外に誰がいるんですか?」 恨めしそうに真山を見る柴田を見て、真山がフッと笑い、頭をくしゃくしゃと撫でた。 「ほら、またそうやって・・・」 柴田は拗ねたまま真山を睨んだが、真山の表情があまりにも嬉しそうなのでつられて笑ってしまった。
それから、真山の手が伸びてきたので、柴田はもう一度丸め込まれる事にした。 本日二回目のキスはやっぱり苦くて、もう一度柴田は顔をしかめる事になったのだけれど。
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