59:美人

 

 

 

 

柴田が、よく見ると美人だという事に気づいたのは出会いから暫く経ってからだった。

 

詳しく言えば、柴田が係長になって、あの島に行って、帰ってきて、それから。

それは、俺がアイツの顔をよく見ていないというよりは、アイツの顔をじっくり見る機会がなかったからだ。

 

 

あの島から帰ってきて、数日が経って。

長かったような、短かったような期間の後、俺はいつもの日常に戻った。

柴田に振り回されるという、まったくもって平和な日常に。

 

「真山さん、あの〜」

「うん、でももう定時だから」

「・・・私、まだ何も言ってないと思うんですけど・・・」

「どーせ、『犯人わかっちゃったんですけど〜』か『もう一箇所調べたい事があるんですけど〜』でしょ?」

「すっごーい!どうしてわかるんですか〜?」

「・・・どうしてだろうね?」

「あ、もしかして・・・」

「何?」

「・・・真山さん、私のことが好き・・・あいたっ!!」

「縁起悪い事言わないでくれる?気持ち悪ぃから」

「すみません、次回はもっとオブラートに包んで言いますね?」

「そう言う問題じゃないの。わかって?ね」

俺に殴られた頭をさすりながら、柴田は首を傾げている。

 

三年前の事件現場。

もうその痕跡が残っていないとはいえ、一組の男女が息絶えたという地でのんびりするのは、そんなにいい気分ではない。

 

「なぁ、もう定時だからさぁ、帰ろうよ」

もう一度しゃがみこんで、現場の床を調べ始めた柴田に言う。

「もうちょっと待ってください・・・今ちょっと思い出した事がありまして・・・」

こちらを見ずに柴田が答えた。

「思い出すなよな〜!時間外労働だよ?」

盛大に文句をぶつけると俺は舌打ちをして、さっきまでいた隅の方に戻った。

 

壁に寄りかかると、目の前に柴田が見えた。

うずくまるように、床をルーペで凝視している。

ああいうのが始まると柴田はテコでも動かないのだ。

腕時計を見て定時を過ぎているのを確認すると、俺はまた舌打ちをする。

ここの現場はもう使われなくなった廃ビルで、電気などが通っていない。

そのために、日没までにここを引き上げなければいけないというのに、アイツはわかっているのだろうか。

・・・いいや、きっとわかってない。

今度はため息をついて、窓の外を眺める。

日が長い夏のせいで、まだ夕方にもなっていない。

別にこのまま柴田を置いて帰ってもいいのだが、きっとそれがバレたら弐係の連中に嫌味を言われる。

それもなんだか気に食わない。

ずずずと何かに引きずられるようにしてしゃがみ込む。

背中に当たる壁の冷たさが、少し心地よかった。

 

スーツ越しに胸ポケットを探るけれど、煙草はさっき最後の一本を吸ってしまったので、もうなさそうだ。

もっとも、携帯灰皿を持ち合わせていないので、室内の現場に吸殻を捨てることになるが、さすがの俺でもそこまでは出来ない。

さっきまでもそうだった事を思い出して、俺は一瞬にして帰りたくなった。

 

仕方がないので、視線をあちこちに彷徨わせてみる。

すっからかんの廃ビル。

目に入るのは、当然もぞもぞと捜査している小汚い女だけ。

その柴田も背中しか見えない。

 

見慣れた背中だなと思う。

思えば、仕事でいつも一緒にいるとは言え、俺の見ている柴田のほとんどがこの姿なんじゃないかと思うくらいだ。

あとは、少し上から見下ろすフケだらけの頭と。

柴田は人の目を見て話す癖はあるのだけれど、俺にはその習慣もないし、第一柴田の顔をしげしげ見ようなんて鬼畜なことは思わない。

たとえば、柴田が失踪とかなんかしたりしたとして、似顔絵を描けとか言われても絶対かけない自信がある。

まぁ、自慢できる事じゃあないんだけどね。

 

暇つぶしに、俺がどのくらい柴田のことを知っているか検証でもしてみるか。

身長は・・・160ちょい?

中肉中背よりはちょっと痩せ型か?

70のBかC。実は結構あるよね。

えーっと、髪は肩くらいで、風呂に何日も平気で入らない。

とにかく、服装はダサい。いつの時代だよ、それ。

趣味は捜査。

所持品は常に膨大。

とりあえず処女。

ファーストキスは・・・省略するとして。

家族は、母親?親父は有名なお偉いさんで、でも養女だったんだっけ。

 

柴田の背格好やプライベートはそれなりに理解しているつもりだけど、顔がどうしても思い出せない。

たしか、どっかにホクロがあった。

思い出せるのはそれくらいだ。

一重とか二重とか、唇の厚さとか・・・まったく思い出せない事に、小さく苦笑した。

 

体育座りをしている脚を抱えるような格好で、もう一度柴田を見た。

見慣れた背中は、やっぱり小汚い。

その時、柴田が調べる位置を変えた。

黒髪の間から、柴田の横顔が見える。

なんとなく、その横顔を見てみると、そこで初めて彼女が二重瞼であることがわかった。

長い睫毛が、その表情に影を落としていた。

唇は厚くもなく、薄くもなく。

ホクロはその上唇の横にあった。

 

ふと、目前にあの日の映像が浮かぶ。

成り行きで、柴田にキスをしてしまったあの日。

あの時に触れた唇なんだと急に思った。

 

生まれて今までで、キスなんて何度もしてて。

彼女と呼ばれた女たちとも、お金を払って行為をした女たちとも、それこそ数え切れないくらいに。

 

でも、それでも

あのキスは、なんだか強烈で強く心に残っている。

それは相手がどうこうというわけではなく、あまりにも俺が必死だったからだ。

「大人をからかうんじゃない」

俺はあの時そう言ったけど、あんな拙いキスは大人のすることじゃないよと、今は思う。

あんなに必死で一生懸命で、精一杯のキス。

大人が、聞いてあきれる。

 

柴田は、あの時の事を憶えているのだろうか。

一回記憶をなくして、その後戻ったらしいけれど、どこまでの記憶を取り戻したかまでは、俺は知らない。

憶えていて欲しくないと思った。

あんなにかっこ悪い自分は、いっそ忘れていてくれればいいと。

でも、アイツはきっと言うんだろう。

「かっこ悪くなんてなかったですよ?」

さらりと、そう言うのだろう。

 

 

「まーやまさん」

弾んだような柴田の声がして、俺は顔を上げた。

「ありがとうございました。おかげ様で、犯人わかっちゃいました」

にこりと微笑む柴田の顔をまじまじと見る。

 

・・・なんだ、こいつ美人なんじゃん。

 

「え?なんですか?」

「何も言ってないじゃん」

「だって、今ニヤっと笑いましたよね?真山さん」

一瞬、ぎくりとしたが、気づかれないようにいつもどおりの表情を作る。

「これで帰れると思っただけだよ。定時過ぎてるし、ね?」

「え・・・?」

柴田が戸惑ったような表情を見せる。

こいつにとって犯人がわかる=すぐに捕まえに行くという構図が出来上がっているからだ。

「よーし、じゃあ逮捕は明日にして今日は解散ー」

いちいち嫌味ったらしく言って、立ち上がる。

柴田の視線が俺の動きにあわせてゆっくりと動いたのがわかった。

 

「まやまさぁん?」

上目遣いに、柴田が覗いてくる。

さっき、俺の中で一応美人だという鑑定結果を出したばかりなので、悪い気はしない。

その視線を振り切るようにして、俺は歩き出す。

「ねー、真山さーん」

「知りません」

「お願いします〜」

「いやです〜」

「言い方、真似しないで下さい」

拗ねたような口調が聞こえたので、振り返ってみる。

 

部屋の真ん中で、駄々っ子のような柴田がぽつんと立っていた。

「置いてくよー」

声を掛けると、柴田がぺたぺたとついてきた。

 

いつものように、柴田が右隣に来る。

そのフケだらけの頭を見下ろしながら、もう一度キスをねだられたら今度はどうしようかとありえない想像を巡らしてみる。

今度こそはちゃんと大人な男であることを見せ付けてやれるのにな。

 

腐っても美人なんだから俺の名誉に傷はつかないだろう。

自分へ言い訳を言い聞かすようにそう思って、俺は歩き出した。