58:バレバレ

 

 

 

「おはようございます〜」

柴田が弐係に着いたのは、もう昼近かった。

それでも、彼女にとっては決して遅くない方だったのだが。

「あれ?柴田さん、おはようございます」

近藤が意外そうな声を上げた。

「すみません、明日は始業二十分前に・・・」

いつもの台詞を柴田が言い掛けると、そこに彩がヒールの音を響かせて入ってきた。

「あれ?柴田、どうしたん?」

不思議そうに聴いてくる彩に、柴田は生真面目に答える。

「どうしてって・・・仕事ですから」

「そうやなくって・・・今日は来ぉへんと思ったわ」

彩の言葉に、近藤も密かに頷いた。

「どうしてですか?」

柴田が聞くと、彩の視線が動き、一点で止まる。

視線の先にあるのは、空の灰皿がぽつんと置かれた真山のデスク。

「真山さんも来てへんから」

「えっ・・・?」

彩の一言に、柴田が短く声を上げる。

「アンタ、何にも聞いてへんの?」

柴田は黙って頷いた。

「無断欠勤なんて珍しいなぁ・・・変なとこ真面目やのに」

彩が頭を掻きながら、席に座る。

柴田はじっと何か考え込んだように見えた。

弐係には、能天気な金太郎のいびきが響いていた。

 

 

ガンガンガンガン

真山の部屋の重い扉が力いっぱい叩かれたのは、それから間もなくの事だった。

柴田は、祈るような気持ちで力いっぱいドアを叩く。

その姿は、傍から見ると痛々しささえ感じた。

がちゃり

内側から鍵をはずす音がして、柴田は漸く叩くのを止めた。

ゆっくりと開いた扉の中から出て来たのは、不機嫌そうな真山だった。

「・・・何だよ」

寝癖の付いた髪に、タンクトップとスエット。

だるそうに頭を回し、両手をポケットに突っ込んでいる。

柴田の頭の一部が、寝起きなんだなと判断した。

しかし、柴田の頭のその他大部分は冷静さを欠いていた。

 

 

「なんでこんなところにいるんですか?」

信じられない、といった風に柴田が真山に聞いた。

「・・・おまえこそ、なんでこんなところにいるんですか?まだ就業時間でしょ?」

真山が冷静に言い返す。

柴田はそれに答えずに、強い口調で繰り返した。

「どうしてこんなところにいるんですか!?」

真山は、柴田の様子がいつもと違うことに気づくと片眉をぴくりと上げ、壁に体重を預けた。

 

「自分の家だから」

柴田を諌める様に、真山が冷静に答えた。

「そうじゃなくって・・・・」

深呼吸の代わりに大きくため息をついた柴田は、どこかもどかしそうだ。

「どうして弐係にいないんですか?」

二十センチの身長の差を埋めるように柴田は真っ直ぐに真山を見上げる。

「どうしてって・・・お休みだから」

「お休み?」

「そう、有給。年次休暇?俺にだってそれくらいの権利あるでしょ?」

真山がため息とともに首を前にもたげた。

「年次休暇は、事前に連絡が必要なんですよ?」

「したよ。俺、今朝ちゃんと弐係に電話したんですけど?」

「でも、彩さんも近藤さんも・・・」

「京大が出たんだよ、電話。何?アイツちゃんとみんなに言ってないの?」

柴田がふるふると首を横に振る。

ちっと真山が舌打ちしたのが聞こえた。

「とにかくさ、俺はちゃんと連絡して、正規に休みを取ったの。文句言いたいなら、京大に言って?」

柴田が呆けたように真山を見上げている。

「昨日犯人わかっちゃって逮捕したでしょ?

お前、書類とか雑用たまってるって言ってたし。ちょうどいいと思ってお休みとったの、ね?」

「・・・はい」

腑抜けたような柴田の返事が聞こえて、真山は満足したように軽く頷いた。

 

「・・・で?」

真山が急に投げかけた言葉に、柴田はびくっとする。

「で、何でそんなに慌ててんの?」

真山特有の、探るような目つきが柴田を覗き込む。

「なにが、ですか?」

柴田はさり気なく真山から視線を逸らそうとした。

「ん?なんか変だよ、お前」

「・・・もともとですよ」

「そうじゃなくって」

「あの、私まだ仕事中なんで、帰らないと・・・」

「柴田」

「すみません、お休みのところ。年休の手続きは私がしておきますので・・・」

「なぁ」

「ゆっくりお休みになってくださいね」

「おいって」

「では、失礼します」

彼女にしてはすばやくお辞儀をして、柴田はドアノブに手をかけた。

そのまま扉を閉めようとしたその瞬間、真山の脚がガツンとドアを蹴ってそれを阻止する。

 

「・・・なに、するんですか?」

大きな音に驚いた柴田が、身をすくめながら言う。

「何があった?」

低いトーンで真山が尋ねる。

「何にもないです」

俯いたまま、無感情に柴田が答えた。

「言えって。気持ち悪いじゃん」

「ですから、何も・・・」

何とかして逃げようとする柴田を見て、真山がため息をつく。

「お前さ、自分が思ってるより隠し事すんのすっごい下手なんだよ?」

柴田が下唇を噛む。

真山は、屈んで柴田の顔を覗きこんだ。

まるで、小さな子供にするように。

 

俯いたまま、柴田はぽつりと呟いた。

「夢をね、見たんです」

「夢・・・?」

小さく頷くと、柴田は漸く顔を上げた。

「真山さんが、私を置いていなくなっちゃう夢・・・」

潤んだ瞳でそんな事を言う柴田は、本当に小さな女の子のようだ。

「なにそれ?」

真山は少し馬鹿にしたように言う。

「真山さんが、何にも言わずに、消えちゃうんです。本当に、怖かったんです」

「・・・うん」

一言一言噛み締めるような柴田の言い方に、真山はその恐怖を感じた。

「目が覚めて、怖くて怖くて、弐係に行ったら、本当に真山さんがいなくて」

「・・・で、本当に消えたと思ったわけ?」

柴田がこくりと頷く。

真山は頭を掻いて、もう一度ため息をつく。

 

「そんなわけないでしょ、馬鹿」

安心させようと真山が言ったその声に、柴田は首を横に振る。

「わかんないじゃないですか」

「あのねぇ・・・」

言葉を続けようとした真山を、柴田が遮った。

 

「いつもそうだったんです・・・大事な人は、いつも突然いなくなるんです。何も言わずに」

 

静かに、でもはっきりとそう言い切った柴田を、真山はじっと見つめた。

脳裏に過ぎるのは、彼女の言うとおり何も言わずに去って行った妹。

 

別れは、いつも突然で。

だから、一層悲しみが募る。

大事に出来なかった分だけ、素直に愛せなかった分だけ、

襲い掛かるは後悔の念。

 

そして、突然の大事な人との別れに何も出来なかったのは、柴田も一緒だ。

 

「・・・柴田」

さっきとは違った響きで真山の声が聞こえてくる。

柴田と目が合うと、真山はポケットに入れていた手をゆっくりと差し出した。

それは、いつになく優しい仕草で、

いつもと違う真山に柴田はためらいかけた。

けれど、真山の目が酷く悲しそうだったので、柴田はすぐにその手を取った。

遠慮がちに触れられた柴田の手を、真山は深く握り直す。

 

柴田はぎゅっと目をつぶる。

 

別れは、いつかはやってくる。

一時間後に喧嘩別れするかもしれないし、一生添い遂げるかもしれない。

けれど、その時が来ても、この手のひらの強さを、温度を、忘れたくないと思った。

 

一瞬一瞬を大事に出来たら、別れの時が来たとしても後悔しないですむかもしれない。

どう足掻いても、その時は悲しみから逃れられない事をちゃんと知っているから。

 

扉の内側に入ると、真山が柴田を抱きしめた。

それは痛いくらいの強さだったが、柴田はその強さを心地いいとさえ思えた。

 

きっと、愛するということはこういうことなんだとぼんやりと思いながら。