57:馬鹿
「・・・馬っ鹿じゃない?」 今日三度目だ。 真山さんが私に「馬鹿」って言ったのは。
・・・どうしてこの人はいつもこうなんだろう?
「・・・真山さん」 「何?」 「言いすぎですよ?」 「だから何を?」 「『馬鹿』って言いすぎです。私に」 「そ?」
とぼけているのか、自覚がないのか、真山は大して気にしてなさそうに見えた。
「・・・わかりました。私にも考えがあります」
そう言い切った柴田は、私生活にしては珍しく凛々しい姿であった。 真山は物珍しそうにその姿を見る。 すると、柴田は真山の方を見て、にたりと気味悪い笑みを浮べた。
「いい事思いついちゃいました〜」 「気持ち悪いんだよ、お前」 心の底から気分を害したらしい真山が野次を飛ばす。
「私、これから真山さんに『馬鹿』って言われたら、『好きだよ』って言う意味でとりますね」 「・・・は?」 「あ、気になさらないで下さいね。私が勝手に思ってるだけですから」 「気になるんですけど?」 「気にしないで下さい」
「真山さんが私を罵るたびに、私はいい気持ちになれるんですよ〜。いいアイディアだと思いません?」 「なんかマゾ的発言だけどね」 「はい?」 「・・・なんでもない」
「さぁ、『馬鹿』って言ってください〜」 「やだよ」 「えー?どうしてですか?」 「だってお前の中では『好きだ』って意味になるんでしょ?」 「はい!」 「じゃあ絶対言わない。死んでも言わない」 「真山さんってば照れ屋さんですね〜。ふふふ」 「ば・・・っと。危ねー。言いそうになっちゃった」 「ああ〜。惜しい・・・」
「あ、じゃあ私に『馬鹿』って言いたかったら、『好き』って言ってください」 「何だよ?余計妙なことになってるじゃん」 「さぁ、どうします?真山さん」
「・・・あほ」 「え?」 「お前を罵る言葉なんてね、他にい〜っぱいあるんだよ」 「ええ〜?真山さんズルーイ」 「お前の頭が足りないだけ」 真山はそう言って、勝ち誇ったように柴田の額をぺちんと叩いた。
「・・・いいアイディアだと思ったんだけどなー」 柴田が残念そうに呟いた。 「お前が俺に勝とうなんてさ、10年早いよ。10年」 そう言って片方の唇の端をひょいと上げる真山の表情を、柴田はとても好きだったので、まあいいやと納得をした。
「・・・真山さんには一生敵わない気がします」 「当たり前でしょ、まぬけ」 真山の軽口を、柴田はにへらとまたしまりのない不気味な笑顔で聞いた。
「何だよ。『まぬけ』も違う意味でとってんの?」 真山が怪訝な顔になった。 「いいえ。・・・なんとなく、いいなぁって」 「何が?」 「真山さんの言う悪口、私やっぱり好きなのかもしれません」 「・・・変態」 「えへへ・・・」 『変態』と言われて嬉しそうな柴田を見て、真山も自然と笑顔になった。
「柴田、コーヒー飲む?」 「あ、結構です。今日は柴田スペシャル持ってきてるんで」 「あっそ」 真山がコーヒーを沸かすためにキッチンに向かった。 柴田は、自分の鞄をごそごそと漁り、読みかけで止まっていた小説を取り出した。 床にぺたんと横になってそれを読み始めた。
温かいコーヒーが淹れられたコップを持って、真山が戻ってきた。 まるで小さな子供のように熱中して小説を読む柴田を見て、真山は少し笑った。
「柴田」 真山が名前を呼んだ。 「はいー?」 柴田は顔も上げずにその声に応える。
「・・・好きだよ」
「へ!?」 柴田は驚いて真山の方を振り返った。 「・・・真山さん、い、今・・・」 顔中を真っ赤にしている柴田を見て、真山はまた意地悪く笑った。
「もう忘れたの?お前が言ったんじゃん。罵りたかったらこう言えって」 涼しい顔で応える真山に、柴田はまた負けたと思った。 「・・・もう・・・」 腹は立つけど、決して憎めないのはきっと心の底からこの人が好きだから。 あんな冗談にも心が躍るほど。
「柴田」 もう一度、真山が柴田を呼んだ。 「何ですか!?」 今度は荒っぽい柴田の返事。
「ばーか」
「・・・え?それって・・・」
・・・ほらね、やっぱりあなたには敵わないでしょ?
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