44:忘れ物
きっかけは、すごく些細なこと。 取るに足らない、くだらない。そんなこと。
夜の街を、柴田は一人歩いていた。 その足取りは、いつもより荒い。 どすどすと音を立てながら、柴田は駅までの道を歩いた。
また、やってしまった。 真山との口げんか。 もちろん、好きでやっていることではないし、悪いのは自分だけではない。 それでも、いつもこうなってしまう。真山さんといるといつでも。
柴田は歩みを止めて、その場に立ち尽くした。 頭をぽりぽりと掻いて、考え込む。 「・・・相性、悪いのかなぁ・・・」 この間、二人の相性を占った時も、35.8%だったし。 そろそろ、ちゃんと覚悟をしなければいけないのかもしれない。 いくら好きでも、相性が悪ければダメになるといくつかの本や雑誌には書いてあった。 大切なのは愛情の深さではなく、上手くやっていけるかどうかなんだそうだ。
頭や想像で描いていたよりも、現実のレンアイというものはずっと難しい。 何しろ、相手がいるものだ。 しかも、あの真山だ。 初心者の柴田に適う相手ではなかったのかもしれない。もしかすると初めから。
柴田は大きくため息をついて、空を仰いだ。
雲に覆われた、深い夜のいろ。 「いくら好きでも、相性が悪ければダメになる、かぁ」 泣きたいのをこらえる為に、肩にかけた鞄の取っ手を握り締めた。
もう、原因なんて忘れてしまった。それぐらい些細なこと。 それのせいで、もしかしたらダメになってしまうのかもしれない。
大きく息を吸い込む。 唇を噛み締めて、鞄を握り締める手に一層力を込めた。
その時、力を込めていた指先に何か振動を感じた。 かすかに電子音も聞こえる。 「電話・・・?」 ごそごそと鞄を探ると、意外とすぐに携帯電話は見つかった。 電話に出ようとして、柴田の目線はディスプレーで釘付けになった。
『警視庁 弐係 真山徹』
「真山さん・・・?」 その文字列を見るだけで、胸が高まる。 一回息を飲んだ後、慌てて通話ボタンを押して、電話に出た。
「・・・もしもし」
もう、さっき喧嘩したときのとげとげした心はどこかに行っていた。 あるのは、真山に対する思慕だけ。 真山が答えるまでの数秒がとてつもなく長く感じた。 早く声を聞かせて欲しい。それだけを柴田は思った。
「お前、馬鹿?」
耳に届いたのは、まだ少し棘のある真山の声。 それを聞いただけで、柴田は泣きそうになった。
「財布」
何も返事をしない柴田を気にも留める様子も無く、真山は続けた。
「・・・財布?」 「机の上に置いてあるけど、いいの?もらっちゃうよ?」 「え!?」
そういえば、お財布をお昼にジュースを買いに行った時に出しっぱなしにしたままだった。
「お前、定期とかも財布に入れてなかったっけ?帰れないんじゃないの?」 「・・・そうみたいです・・・」
受話器の向こうから真山のため息が聞こえた。 呆れているのだろう。
「あの・・・私、今から取りに帰りますから・・・」 「ふーん」 「だから、あの・・・真山さん」 「・・・何だよ」 「待ってて下さい」 「何で?」 「・・・どうしてもです」 「やだね」 「絶対待ってて下さいね!!」
柴田はそこで電話を切った。 携帯電話を鞄の中に乱暴にしまうと、くるりと方向を変えて、一気に走り出した。 絡みつくスカートをもろともせずに。
警視庁に付く頃には、柴田の息はすっかり上がっていた。 少し蒸し暑い季節にはなったが、柴田のように汗をかいているのは、他にはいない。 エレベーターを使うのももどかしくて、柴田は階段を使った。 地下三階。階段を使って降りるのはごくまれだ。 それでも、すごい方向音痴のはずの柴田が迷わずに階段までいけたことは奇跡に近かった。 珍しく閉じている重いドアを開け、柴田は弐係に到着した。 はあはあと肩で息をしながら、部屋を見回す。 しかし、真山の姿はない。 柴田は物凄く気が抜けて、とぼとぼと自分の席に歩いていった。 デスクの真ん中にはちゃんと財布が置いてある。 椅子に座ると、ぎしっと音が響いた。 「・・・どうせなら、持って帰ってくれればいいのに・・・」 そうすれば、真山の家に取りに行けるのに。 柴田は机に突っ伏して大きくため息をついた。
「ものすごく、会いたかったのになー・・・」 怒られても、叩かれてもいいから。 真山の声を聞いていたかったのに。 それも、今すぐ。
その時だった。 柴田の頭がぱしんと叩かれた。 慌てて振り向くと、そこには真山がいた。
「遅いよ」 真山が不機嫌そうに柴田を見下ろしている。 「どうして・・・いるんですか?」 「は!?」 真山はもう一度ぱしんと柴田の頭を叩いた。 「お前が言ったんでしょ?待ってろって」 「そうですけど・・・」 真山が柴田の隣の席に座った。 「それに、一割貰ってないしね?」 「一割ですか?」 「そ。財布拾ったらもらえるんでしょ?一割。しっかりいただかないと」 「一割・・・」 柴田は財布の中を見た。 「でも1236円の一割じゃあ、大した事無いけどね」 「中、見たんですか!?」 「うるせえな。いいじゃん、抜き取ってないだけ感謝しな」 「でも・・・」 「その上、俺はわざわざ電話してやったんだよ?何か言うことない?」 「あ、どうもありがとうございました」 柴田は真山の方に向かってぺこりとお辞儀をした。 「よく出来ました」 真山は満足そうに頷いた。
さっきまで、喧嘩していたはずなのに。 なんだろう、この空気。 喧嘩してもすぐに元に戻れるのは、相性のよさには含まれないのかな。 もし、そうなら35.8%の相性も、もうちょっと良くなるのかもしれない。
「満足した?」 急に、真山が意地悪な顔で訊いてきた。 「え?何がですか?」 「『ものすごく会いたかった』んでしょう?俺に」 さっきの柴田のつぶやきはしっかりと聞かれていたようだ。 柴田は顔を赤くしてこくりと頷いた。 「あ、そ。じゃあ帰るよ」 「はい」 二人同時に立ち上がって、仲良くエレベーターに向かう。 「・・・おい」 「はい?」 「お前また忘れてない?財布」 「あ、そうだった・・・失礼しました」 「馬鹿・・・」 ぱたぱたともう一度柴田は財布を取りに戻った。 「馬鹿じゃない?お前さ、何しに戻ってきたの?」 「えーっと、真山さんに会いに戻ってきました」 柴田がにこりと笑う。 それを見て、真山は呆れたような顔をした。 「ケンカしてなかったけ?俺達」 「そうでしたっけ?」 「・・・まあ、いいけど」 「『喧嘩するほど仲が良い』って言いますし」 「自分で言うなよ・・・」 「照れてますね?」 「あーあ。とっとと帰ればよかった」 「照れ隠しですね?」 「心底嫌がってんの。判って?ね?」 「真山さん」 「何だよ」
「キスしても、いいですか?」
きっかけは、すごく些細なこと。 きっと、他の人にとっては取るに足らない、くだらないこと。 それでも、私にとってこの恋は何よりも大事で、大切なものだから。
例え、相性が悪くても。 例え、ケンカばかりでも。 頑張って、守ります。 だから、手加減して下さいね?真山さん
「・・・あ」 「はい?」 「まさか、このキスが一割じゃないだろうね?」 「・・・・・・」 「ちゃんと現金で払えよ?」 「・・・真山さんって・・・」
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