42:連絡  

 

 

 

3日。

・・・もう3日だ。

はじめはいつものことだとタカをくくっていたが、さすがに3日は長い。

彩はため息をついて、男の方を見た。

いつものように、新聞を読んでいる男。

少し苛つきを感じ、ヒールの音を響かせながら近づいて行く。

 

「なあ、今日も柴田来てへんの?」

「・・・俺に聞くなよ」

「あの子が無断欠勤…しかももう3日やで?ホンマにアンタのとこにも全然連絡ないの?」

「何でお前、いっつも俺に聞くの?ねえ」

「どっかで死んでるんちゃうの?なあ、アンタ心配やないの?」

「だから、なんで俺?」

訝しげな真山の顔を見て、彩は一呼吸おいた後トーンを低くして呟いた。

「・・・アンタが一番心配せなあかん立場やからやん」

彩はもう一度真山の方を睨んで、それから柴田の机の上の受話器を取った。

「木戸さん?」

二人のやり取りを聞いていたに違いない近藤が、彩の方を心配そうに伺った。

「柴田にもう一回電話するだけや。どっかで充電してるかも知れへんしな」

こうして彩が柴田の携帯に電話するのは何回目だろう。

 

電話をかけるたびに、

「この電話は電源が入っていないか、電波の届かない所に・・・」という女のナレーションを聞くだけに過ぎなかったが。

彩が腹を立てているのは、いつまでも連絡を寄越さず、パッテリーが切れたままの電話を持ち歩いている間抜けな女ではなく、

その女がいないことに何も感じていなさそうな、薄情な彼女の恋人の方だった。

 

受話器から、案の定同じナレーションが聞こえてきて彩は小さく舌打ちをして受話器を乱暴に置いた。

様子を察した近藤が心配そうに言った。

「・・・本当にどこに行っちゃったんでしょうねぇ、柴田さん」

「ホンマになぁ・・・」

ため息をつきながら彩は返事をした。

「捜索願いでも出しましょか?」

いつの間にか話に加わっていた金太郎だ。

「でも、柴田ん家のおばちゃんが心配せんでもええって言うてるしなー」

「さすがですね。柴田さんのお母様。慣れていると言うか・・・」

「まあ、あの子育ててりゃ、そら失踪にも慣れるわな」

半ばあきれながら近藤と彩が口々に言う。

「・・・あ、せやから真山さんも慣れてはるんですか?」

突然金太郎が真山に向かって口を開いた。

「あ?」

新聞の向こう側から低く、くぐもった声がした。

「真山さん、いっつも東大ちゃんと一緒におるからなー。東大ちゃんが突然いなくなるのとか慣れてはるんとちゃいます?」

金太郎がさらりと勇気のある事を言う。真の勇者は意外なところに潜んでいるものだ。

「・・・変な言い方やめてくれる?」

真山が新聞を畳んだ。ここぞとばかりに彩がもう一度真山に詰め寄った。

「何がヘンな言い方なん?アンタ柴田とやることやってんのやろ?もーちょっと心配してもええんちゃうの!?」

「・・・してんじゃん。心配」

「どこが?」

「心配で、心配で、繊細な俺のハートは壊れる寸前よ?」

ふざけてるとしか思えない真山の言動に、彩の怒りは増長される。

「そんな風には見えへんけどな」

吐き捨てるように彩がそう言うと、真山は彩の苛つきを見透かしているかのように憎たらしく笑った。

 

異種格闘技戦を見守っているかのような近藤と金太郎がごくりと息を飲んだその時、真山は立ち上がった。

「・・・逃げるん?」

彩が睨むと、その視線をかわす様に飄々と真山は言い返した。

「煙草。なくなったから」

彩が視線を真山のデスクの上に落すと、灰皿にはぎゅうぎゅうに吸殻が詰まっていた。

喫煙者にとって、煙草が手元にないのは何よりもツライ。

真山ほどのヘビースモーカーになったら尚更だ。

その気持ちが理解できるので、彩はそれ以上真山を引き止めるのをやめた。

片手をポケットに突っ込んだままの真山は、エレベーターに乗って行った。

 

彩は近くにあった柴田の椅子にどかりと座った。

安っぽい薄っぺらのクッションが敷いてある、どこか柴田らしい椅子。

「なんや、ちょっとご機嫌やったなぁ、真山さん」

金太郎が独り言のように言った。

「ホンマ、ムカつくわぁ・・・」

彩がくるくると廻ると、古い椅子がぎしぎしと悲鳴を上げる。

 

「・・・やっぱり、心配なんでしょうね。真山さんも」

突然、近藤が言った。彩と金太郎が一斉に近藤のほうを見る。

「どこが?」

「煙草、いつもよりも本数多いみたいなので・・・」

「煙草?」

「今日の真山さん、いつもの倍くらい吸ってますよ」

「ただの偶然ちゃうの?」

金太郎も頷く。

「・・・でも、真山さんはああいう人ですから。僕は、あれも照れ隠しだと思いますけどね」

そう言って、近藤はいっぱいになった真山の灰皿を持って立ち上がった。

「照れ隠し、かぁ?」

「一番寂しいのは真山さんでしょうから」

近藤は彩を見てにこりと笑い、吸殻を捨てに出て行った。

 

 

自販機でいつもの銘柄を買い、真山は一服していた。

首をまわすとばきばきと音がする。

柴田がいない間、捜査に出ることはない。

ずっとあの地下室で、体がなまってしまう気がした。

昔はそれが当たり前だったはずなのに。

 

「・・・心配ねぇ・・・」

彩に言われた言葉を反芻する。

本当の事を言えば、自分でも不思議なほど真山は柴田を心配していなかった。

どこかに行ってもいつかは帰ってくるような気がしていた。

彼女は、自分の元に。

根拠のない自信。

彼女が無事だという証拠なんてどこにもないのに。

 

柴田を育てたという母親もそうなのだろうかとちょっとだけ思う。

危なっかしいくせに、アイツには妙な生命力がある。

何かに守られているような・・・それは時として自分が守っているのだが。

もしかしたら、亡くなったという彼女の父親がいつでも守っているのかもしれない。

 

「・・・まるでSFだな」

いや、お伽噺か怪談か。

どっちにしろ、上手く説明できない、妙な感覚だ。

願わくば、泣いてなければいいけれど。

真山は肺に思いっきり濁った煙を吸い込んで、短くなった煙草を灰皿に投げ入れた。

 

「真山さぁ〜ん!!」

空耳にしては大きすぎる声が聞こえて、真山は振り返った。

すると目に飛び込んできたのは、いつもよりも小汚い柴田がこちらに向かってどたどたと走ってくる姿だった。

「ああ、よかった。こんなに広い警視庁の中で出会えるなんて運命的ですね」

息を切らして、でも柴田は満面の笑みで言った。

「・・・まだ職場で迷ってんの?」

真山の指摘に柴田はえへへと曖昧に笑って誤魔化した。

とりあえず一発殴る。

「いったーい。何するんですかぁー」

「もう、いい加減慣れろよな〜。お前何年目?ここで働いて」

半ばあきれながら真山が言うと、柴田はうふふともう一度気持ちの悪い笑顔を浮べる。

「何がおかしいの?」

ムカつきながら真山が聞くと、柴田は幸せそうな笑みを浮べてうっとりと言った。

「ひさしぶりですねぇ、真山さんの軽口聞くのも」

真山は眉をひそめて、今更ながらの質問をする。

「お前さ、どこ行ってたの?」

「えーっとですね、ちょっとそこまでのつもりがいつの間にかピョンヤンにいまして・・・」

「は?」

「いやー、もうちょっとでスパイ容疑で逮捕される所でした」

 

ほら、やっぱり。

ちゃんと戻ってきた。

 

ばしん。もう一発。

「も〜、どうして叩くんですか〜?」

「お前さ、連絡ぐらいしろよ。みんな心配してたよ?」

「・・・すみません」

柴田は素直に謝る。

「ま、いいけど?」

真山はため息をついて、「行くぞ」と声を掛けた。

「どうせお前一人じゃ、帰れないんでしょ?」

柴田はそれに答えずに、真山の顔を見上げている。

「・・・何だよ?」

憮然と真山が聞くと、柴田は伺うように尋ねた。

「真山さんは、心配してくださらなかったんですか?」

お前もかと真山は心の中で呟いて、それから面倒臭そうに顔をしかめた。

「してねえよ」

「えー?冷たいですねー、真山さん」

「・・・お前の保護者やってたらね、いちいちこんなことで心配してられないの」

真山は柴田の頭に手をやって、自分から遠ざけた。

「・・・保護者・・・」

柴田が真山の台詞を繰り返した。

「お前さ、そんなことよりもお袋さんに連絡した?」

「いえ・・・弐係に帰ったら電話しようと思いまして。今携帯のバッテリー切れちゃってるんです」

「ふーん。ちゃんと電話しとけよ」

「はい。今日はちゃんと家にも帰って・・・」

本日早くも三度目の鉄拳が柴田を襲う。

「今のは叩かれる所じゃないと思いますけど・・・」

柴田が恨めしそうに真山を見上げる。

「お前さ、3日も連絡してこなかったあげく、今日家に帰る?ふざけてんじゃないよ?」

「え?真山さん・・・?」

「俺に今日もまた一人わびしく寝ろっての?」

「・・・それって今夜のお誘いですか?」

もう一回鉄拳が飛んでくるのを覚悟して、びくびくと柴田が尋ねた。

すると鉄拳の代わりに、真山の手が柴田の頭を優しく撫でる。

「・・・夜まで我慢できればいいけどね?」

憎らしくなるほどの笑顔で真山は答えた。

 

よく見ると、真山の目の下には隈があった。

それだけで柴田は充分だと思った。

 

「・・・ではまず、弐係に帰りましょうか?」

「『帰りましょう』じゃなくって、『連れてってください』でしょ?」

「・・・はい」