37:誘拐
「何読んでんの?」 簡単な掃除を済ませ、手持ち無沙汰になった真山が、寝転んで本を読む柴田に尋ねた。 柴田が頭だけを真山の方に振り返って答えた。 「調書です。・・・真山さんも読まれますか?」 「読みません。あのさ、俺のうちにまで仕事持ち込まないでくれる?」 「え〜・・・でも・・・」 「でもじゃないよ。・・・ってか、なんか俺ワガママなオネーチャンみたいじゃん」 「え?どういう意味ですか?」 「よくドラマとかでいるじゃん。『私と仕事、どっちが大事なの〜?』ってヒステリー起こすオネーチャン」 ただの例えなのに、自分に問いかけられたと思った柴田は、真剣な顔をして考え込んだ。 「・・・私は・・・」 少しの間を空けて、柴田は答えた。 「・・・どっちも大切です」 「言うと思った」 「真山さんは?」 「ん?」
「真山さんは私と仕事、どっちが大切ですか?」
一般人が恥ずかしすぎておふざけでしか言えない台詞を、柴田は至極真面目な顔で言い放つ。 真山は困るとか照れるとかいうよりも、あきれてしまう。 「馬鹿なこと聞くんじゃないよ」 そう言って、冷めた顔で煙草を手に取る。 柴田はそれでも真山の顔をじっと見る。 真山はその視線にため息をついて柴田の方を見るとやれやれといった感じで付け加えるように言った。 「そんなこといちいち考えて生きてないって、普通。ね?」 別に仕事が大事なわけでもないけれど、そんなに疎かにした覚えはない。 柴田のことは大事だが、それについて別に深く考えた事はない。 きっとどっちも自分にとって必要なものだと真山はぼんやりと思っていた。
柴田は「そうですか」と呟いて、また調書の方に顔を戻した。 そして、また難しい顔で何かを考え始める。 真山は煙草に火をつけた。
以前柴田が読んだ本に、「人は、香りによって集中力や思考能力が増徴される」と書いてあった。 もし、それが事実であるならば、柴田のとってのその香りは、真山の吸う煙草の匂いなのかもしれない。 だってそれは、弐係でも、事件現場でも、この部屋でも、柴田が物事を考えるときにいつも漂っている香りであるから。 一人でいるよりも、真山といたほうが考えがまとまる。 その事実に理屈をつけるのだとしたら、そう結論付けるしか道はない。
つまり、柴田にとって真山が傍にいてこその仕事なのである。 どちらも大切。 でも優劣をつけるとしたら、きっと真山の方が大切。 ちゃんと、柴田は自分でそうわかったのに、真山はちゃんと答えを出してくれない。 真山らしいけれど、柴田にとってはすこし不満で。 ぱたんと調書を閉じると、むくりと起き上がり、そして真山の正面に正座をした。 「真山さん」 真剣というよりは思いつめた顔でそう切り出す柴田を見て、真山は眉間に皺を寄せた。 「何だよ」 真山の返事を聞いて、柴田はずいっと少しだけ前に身を乗り出して、続けた。
「想像してみてください」 「何?心理テスト?ココロジー?」 「私が誘拐されました」 「は?」 「当然、真山さんは一刻も早く助け出したくてうずうずしてます」 「何だよ、その決め付け」 「でも、上司はそれを許してくれません。助けに行ったらクビだと言われてしまいます」 「・・・ってかさ、俺の上司ってお前じゃん」 「さあ、真山さんどうしますか?私を助けに行ってクビになるか、助けに行かなくて私を見殺しにするか」 「・・・へんな例え」 「そうですか?自分では結構上手い例えだと思ったんですけどね?」 柴田は息を呑んで真山を見つめ、答えをじっと待った。 考えているのかどうかわからない、いつもの表情で煙草を吸う真山。 「あのさ」 突然の真山の呼びかけに、柴田の体がびくっと反応した。 その反応にすこし笑いながら、真山は柴田に言う。 「想像してみてください」 「え?」 「柴田さん、あなたは誘拐されました」 「・・・ですから、それは私が真山さんに聞いて・・・」 柴田がそう言ったが、途中で「黙ってろ」という真山のジェスチャーに遮られた。 「いいから考えてみな?お前、誘拐されたんだって。どうする?」 「どうするって・・・」 柴田は部屋中に充満した煙草の匂いの中で、少し考える。 誘拐された自分。何処ともわからない場所に監禁されている自分。 「・・・多分、考えると思います」 「何を?」 灰皿に煙草を押し付ける真山。 「そこから脱出する方法・・・です」 「でしょ?」 まるでその答えを予想していたかのような真山の反応に、柴田はもう一度真山の顔をじっと見つめた。 「お前どうせ自分でどうにかするでしょ?俺が助けに行くまでもないじゃん」 「・・・なるほど」 「ね?」
柴田は納得しながらも、なんだか悲しくなった。 「・・・助けに来てくれないんですか?」 「お前頭いーじゃん。俺なんてね、行くだけ無駄足だよ?無駄足」 「そんなことないですよー。ねー、来て下さいよ〜」 「何だよ、ただの例えだろ?想像だろ?ムキになるなよ」 「ただの例えなら、口だけでも言ってくれていいじゃないですか〜。『命がけで助けに行くよ』とか」 「は?なんだそれ。絶対言わねー。死んでも言わねー」 「え〜?ひどーい。真山さんのおたんこなす!!魚の目ー!!」 「俺は魚の目じゃねぇよ、馬鹿」 「えーっとじゃあ・・・『インポテンツ』でお願いします」 「お願いすんなよ!っていうか、人をインポ呼ばわりすんな。訴えるよ?」 「でも、真山さんもお年ですし・・・そろそろ?ねえ?」 「・・・絶っ対行かない。お前なんか誘拐されようが、人質にされようが、絶対助けになんか行かねぇよ。馬鹿」 「えー?じゃあ私だって真山さんが誘拐されても助けになんか行きませんからねー?」 「別にお前になんか助けてもらおうなんて思わねえよ」 「知りませんからね?いいんですね?本当に」 「だからいいって言ってるじゃん。しつこいよ?お前」
でも真山も柴田も、本当は知っている。 自分に危険が及んだ時は真っ先に駆けつけてくれる事を。 体に沢山の傷をつけても、それでも。 己の命なんて振り返らずに助けに来てくれる。
『それは、必ずしも嬉しい事ではない』 相手のそういった気持ちをわかっていながらも、体が自然と動いてしまう。
理屈ではない。頭で考える事なんて出来ない。 何よりも大切な人だから。
「・・・私、真山さんが大事です」 独り言のように柴田が呟く。 聞こえているのか聞こえていないのか、真山は何も反応をしない。 「何があっても、きっとここに帰ってきますから、ちゃんと待ってて下さいね?」 柴田がそう言って、やっと真山がこちらを向いた。わずかな苦笑を浮べて。 「なんか、別れの挨拶みたいだな」 そう言って、柴田の肩を抱いた。 「・・・真山さんの傍からは離れませんよ?何があっても」 真山は少しだけ笑ったみたいだった。 「執念深そうだよね、お前」 「・・・はい。私、しつこいですよ?」 柴田は笑って真山の顔を見た。 真山は一瞬、真剣な顔で柴田を見下ろし、それから勝ち誇ったように笑った。
「・・・俺にはかなわないと思うけどね」
手放したくない大切なものは、はっきりとここにある。
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