33:夜這い
深夜の弐係。 にもかかわらず、あたりを照らす照明、調書が散乱する床。 そしてその調書にまみれて眠る女が、一人。 「ううん・・・」 女は、気持ちよさそうに眠っている。 彼女に忍び寄る影があるとも知らずに。
べちん。
彼女に忍び寄る影は、彼女の頭を叩いた。 しかし、彼女は尚も気持ちよさそうに眠り続ける。 「おい」 静かな弐係に低い声が響く。 「・・・えへへ・・・」 その声に反応するかのように、彼女がご機嫌な寝言を発した。
ばちん。
先ほどよりも大きな音が響く。相当痛そうなその攻撃にも、彼女は目覚めない。 彼女の前にしゃがみこんでいる男は、あきれたようにため息をひとつついた。 そして、ゆっくりと立ち上がり、彼女を見下ろした。
「おい」 男は、げしげしと彼女を足蹴りをする。 「し〜ば〜た〜」 つま先で彼女を弄ぶように、彼女を蹴り続ける。 それでも起きない彼女に、男は舌打ちをした。 もういちどしゃがみこんだ男が、今度は彼女の鼻に指を入れた。 「ふが」 「変な顔」 楽しそうに男が笑う。 次に、男は女の両頬を抓った。 綺麗な形をした女の唇が、少し歪んだ。 「・・・ん〜・・・」 うひゃひゃと男が笑う。 どんどんと伸びていく両頬の痛みに、漸く女が目を覚ました。 「・・・いひゃい・・・」 ゆっくりと女が目を開けると、男がその瞳に映る。 「・・・まやまひゃん〜?ほうりれ・・・」 「何言ってるかわかんねえよ」 男が意地悪く笑う。 女がもどかしそうに自分の両頬を抓っている男の手を指した。 「ああ、これね。痛い?」 男の問いかけに女がこくこくと頷く。 しょうがねぇなぁと呟いて男が漸く手を離す。 男は、軽く笑って立ち上がり、女は恨めしそうに男を見上げる。
「どうしてこんなところにいるんですか?」 女がよいしょと上半身を起こす。 「今日は、数少ないお友達との呑み会だって・・・あいた!」 男の平手が女の頭を三度、襲う。 「お前に言われたくねぇよ」 「・・・すみません」 「終ったの、呑み会。時計見てみな?もう12時すぎてるよ?」 「あ、本当だ。考えすぎて気絶してました」 「寝てたんだよ、馬鹿」 おんながあれぇとつぶやきながら頭をさすった。
「あ、もしかして・・・」 「ん?」 「・・・迎えに来てくださったんですか?」 「んなわけないでしょ?」 「・・・じゃあ、どうしてここに?」 「夜這いしに」 「えっ!?夜ば・・・」 女が、両腕で体を隠した。 「冗談だよ。・・・期待した?」 男がいたずらっぽい顔で笑った。 「してません!!」 そう叫んだ女の顔の赤さに男がまたクスリと笑う。
「一回ウチに帰ったんだけどさ、今日鍵家ん中に置いてきたみたいでさ」 「あ、そういえば今朝は私が鍵かけました」 「そ。お前の鍵借りようと思って」 「ちょっと待ってて下さいね。確かカバンの中に・・・」 柴田が立ち上がり、カバンを漁りに行った。 コツコツという靴の音が、静かな弐係に響く。
「あ、あった。ありました。真山さん・・・あれ?」 女が振り返ると、男は来客用のソファで横になっていた。 かちゃりと鍵の音をさせて、女がソファに近づいた。 今度は女が男を見下ろすような格好になった。 「真山さん?」 「・・・」 「眠いんですか?」 「昨日誰かさんが寝かせてくれなかったんでね」 「え?誰かさんって・・・」 「誰かさんが昨夜ず〜と隣で事件がどうの、殺害方法がどうの、アリバイがどうのって言ったら眠れなかったの!!」 「ああ・・・だって、真山さんがいいアドバイスくださるから止まらなくって・・・つい・・・」 「アドバイスじゃないよ。ツッコミ」 「あ、なるほど・・・」 「そのお陰で、お前も眠いんでしょ?」 「なるほど・・・」 「なるほどじゃねぇよ!!」 はぁ、男が大袈裟にため息をつく。 女が不思議そうに男を見つめていた。
男がチラリと女を見た。 純真そうな女と目が合う。 「柴田・・・」 「なんですか?」 「さっきの、やっぱ嘘」 「何がですか?」 「夜這いしに来たってことで」 「え?え?」 混乱する女を前に、男の行動は素早かった。 すっと立ち上がり、ソファの前においてあるテーブルに女を押し倒した。 そして、女の両手を頭の上で一括りにし、女の両足の間に、自分の脚を挟む。 女が身じろぎを一つする間に、その唇にキスを落とす。 抵抗をする前に、口付け一つで女をその気にさせる。 それは、この女の体を知り尽くしたこの男ならではの技、だった。 女の肌が、紅く染まっていく。 長いスカートをたくし上げて、腿を優しく撫でた。 女の呻き声に、何とも言えない色気が混じる。 そこで漸く男が唇を離す。
「真山さん・・・」 「何だよ」 「ここ、警視庁ですよ?」 「だから?」 「・・・それに、私お風呂入ってないし・・・」 「今更でしょ?」 「だって・・・お風呂入ってないといつも・・・してくださらないじゃないですか・・・」 「時と場合でしょ?誰もいない職場、いるのはお前と俺だけ。それにお前の肌の匂い。そこがいいんだよね〜、今は」 「・・・よくわかんないですけど」 「興奮しない?ケダモノみたいで」 「ケダモノ・・・と言うよりは、まるで陵辱ですよね」 「・・・いやなわけ?」 「いえ、ただ職場でこういうことはどうかなって思っただけで・・・」 ふっと、男が女から離れた。 「真山さん?」 女が起き上がると、男はソファに座っていた。
女と目が合うと、男はバツが悪そうに下を向く。 「悪かったよ」 「え・・・?」 「お前が嫌ならやらねぇよ」 「真山さん・・・」 いつも、そうだ。 この男は強引なくせに、いつでも自分の気持ちを大事にしてくれる。 普段は酷いし、厳しいのに。 そんな不器用な優しさに女は胸が締め付けられた。
「真山さん」 女が男の隣に座った。 「こっち向いて下さいよ〜」 「な・・・」 男が女のほうを向いた瞬間、男の唇を女の唇が塞いだ。 だけど女のキスは不器用で、すぐに唇が離された。 「何してんの?」 「夜這いです」 「は?」 「だって・・・その気にさせといて・・・ずるいですよ、真山さん」 頬を一段と赤らめて言う女の顔を見て、男がとても嬉しそうに笑った。
「職場ですよ?カカリチョー」 「・・・はい」 「俺、シャワー浴びてないし、酒臭いんですけど?」 「そんなところに、興奮します」 精一杯の女の強がりに、男はまた笑った。
「おはようございます」 近藤の朝は早い。 毎日弐係に一番乗りに来て、電気を付け、空調を入れて、パソコンを立ち上げるのが近藤の仕事でもある。 …はずなのだが。 「おはようございます。柴田さんと・・・真山さん」 朝一番であるはずの近藤を出迎えたのは、元気な柴田の第一声であった。 そして、相変わらず眉間に皺を寄せて新聞を読む真山の姿。 聞きたい。 どうしてここに、こんな時間から二人そろっているのか、その真実を近藤は物凄く知りたかった。 しかし、これは触れてはいけない地雷のような気がする・・・でも・・・
「柴田ぁ」 「どうしました?真山さん」 「お前さ、なんでコーヒーくらい美味く淹れられないの?なんか酸っぱいんですけど、これ」 「え〜?ちゃんと説明書どうりに入れたんですけどねぇ・・・」 「ちゃんと味見しろよ!お願いだからさぁ〜」 「・・・私、コーヒーよりハーブティ派なんで・・・。あ、じゃあ柴田スペシャル飲みます?」 「ぜっったいいらない。例え、世界中で水分の最後の一滴がそれでも俺は絶対飲まないね」 「ひっど〜〜い」 朝からじゃれ合う二人に、近藤は真山家の未来予想図を見た気がした。 ほんの少しだけ、先の未来を。
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