33:無理強い
真山さんは、私に何かを強制させる事を決して、しない。 捜査の時、「早く帰りたい」とか「もう帰ろう」とか言う割に、本当に帰ったりは決してしない。
真山さんは優しいのだ。
そう思う一方で、私は何故かとても不安になる。
「真山さんは私に何も強制しない」 それはつまり、「私に何も求めない」そういうことだから。
真山さんは意地悪だけれど、私に優しいし、私をとても大切にしてくれている。 それは、とてもよくわかるけれど。 どこか物足りない。
こんな私は、強欲だろうか。 ないものねだりの、愚か者だろうか。
「柴田、お前今日どうすんの?」 二人、なんとなく過ごしていた真山の部屋で、金魚をじっと見つめていた柴田に真山が訊いた。 「泊まっていったらダメですか?」 柴田がくるりと振り向いて伺うように真山に尋ねた。 「どうぞ?」 真山はそう言って、バスルームに向かった。風呂を入れるためだろう。 柴田はもう一度、金魚を見つめた。 いつものやり取りなのに、泣きそうになっている自分に、柴田は驚く。 馬鹿みたいだ。 どうして、何気ないやり取りにこんなにも心が動かされてしまうのか。 けれども、こんなことは真山には言えない。 もし、真山に言ったらどんな顔をされるのかさえ、怖い。 あきれられるだろうか、怒られるだろうか、嫌われるだろうか。 いや、きっと真山は無関心に「そう」と答えるだけだろう。 それが一番怖い。
赤い金魚が目の前をひらひらと泳いでいる。 いつもは愛らしく思えるその存在が、今日は何故か少し恨めしかった。
何があっても餌を与えて、水を替える。 真山は、いつもこの金魚たちを考えているのだ。
そう、柴田よりもずっと。
柴田はそろりと立ち上がって、水槽の中に手を入れようとする。 指が水面について、その冷たさにひるんでしまう。
無言の拒絶。 まるで真山からのそれのようで。
水面に、一滴雫が落ちた。
本当は、居場所なんてないんじゃないかと思った。 この部屋にも、真山の心の中にも。
ただ、真山は優しいから自分を追い出さないだけじゃないのかと。
本当は、自分はこの部屋にただいるだけ。 道端の小石のように、意味もなく。
ぺしん。 慣れた感触が、柴田の頭を襲う。 泣き顔を見られるのが嫌で、柴田はうつむいたまま静かに頭をさする。 「柴田」 この部屋にいるときの、この人の声はどうしてこんなに優しいのかと思う。 勘違いしてしまいそうになる。 その前に、拒絶されたほうがいいのかもしれない。
こんな、水のような拒絶ではなく、はっきりとした拒絶を。
「柴田」 二度名前を呼ばれて、それでも柴田は振り向かない。 「どうした?」 少し強張った、真山の声。 柴田は目をぎゅっとつぶる。 こんな時すら優しく問いただすような声に、少し絶望に似た気持ちを感じた。
息を整えて、ゆっくりと真山の方に振り向いた。 困ったようにも、無感情にも見える真山の表情を、柴田はじっと見つめた。
「いやなことでも思い出した?」 真山の手が、柴田のほうに伸びてくる。 その手が柴田に触れる前に、柴田が真山の体にしがみつく。 「柴田?」 真山の手が迷っていた。柴田を抱きとめようとしない。
ぎゅうぎゅうと力いっぱい柴田は、真山を抱きしめた。 「柴田、痛ぇよ」 ぎゅう。 柴田はますます腕に力を入れていく。 「ちょ、ちょっと・・・痛いって」 ぎゅーう。 「柴田、離して?ね、痛いから」 ぎゅーーーーう。 「痛いって!離せって!!」 真山が強い口調でそう言うと、柴田はようやく手を離した。 「・・・どうしたんだよ?」 やっと離れた柴田の体を、今度は真山のてのひらが捕らえた。 柴田の顔を覗き込もうと、真山は姿勢を低くした。 髪に隠れた柴田の表情は、伺うことは出来なかった。
「・・・ってください」 すぐに、柴田のかすれた声が聞こえてきた。 少し震えた、涙声。 「聞こえないよ」 真山はなるべくやわらかい言い方で柴田に言った。
「・・・ちゃんと、言ってください」
ようやく聞き取れるようなか細い声で、柴田は言った。
「・・・何を?」 いつもは優しいはずの真山の声は、今日の柴田にとってとても痛い。 「嫌なら嫌って、ちゃんと言ってください」 真山の予想通り、柴田は泣いていた。
「どういう意味だよ」 「・・・そのままの意味です」 意固地になっているような柴田に、真山は戸惑う事しか出来ない。 「言ってんじゃん。いっつも」 真山の声にぶんぶんと柴田は首を振る。 「言ってください。私が嫌なら、邪魔なら、ちゃんと言ってください」 追い詰められたような柴田の言葉に、真山は小さなため息をついた。 「・・・また変な事で悩んでんの?」 「変な事じゃ、ないです」 ぐすぐずと柴田の鼻をすする音が聞こえて、真山は軽く笑う。 「お前は、いつも考えすぎなんだよ。馬鹿」 真山がぽんぽんと柴田の頭を撫でる。 柴田はその手を振り払いたい気持ちを我慢した。 「・・・真山さん」 「ん?」 柴田が息を静めて、ゆっくりと真山を見上げた。
「私のこと、邪魔じゃないですか?」 「なんで?」
いつもの、否定も肯定もしない真山の言葉。 けれども、質問から一呼吸も置かない返事に、柴田は少し驚いた。
「俺がいつお前を邪魔だって言った?」
柴田は逆に、真山に問い詰められる。 胸が、さっきとは違う悲鳴を上げた。
「だって・・・」 やっと、それだけ言った。 決定的な拒絶の言葉がない事こそが、柴田にとっての悩みだったからだ。 でしょ?と言いた気な真山の顔をもう一度見上げる。
「俺、思ってもないこと言った覚えねえもん」
一瞬で、柴田の頭は真っ白になる。 どう返したらいいのか分からなくてきっと間抜けな顔をしているはずだ。 間抜けなはずの顔を見て、真山はやっぱり馬鹿にしたように笑う。
本当は、拒絶の言葉を欲しかったわけではない。 欲しかったのは、きっとこんな言葉。
素直にそれが言えたら、きっとずっともっとラクなのに。 不器用で不慣れな柴田は、きっとそんなのどう足掻いても出来はしない。
真山がどうしても、素直に柴田に優しい言葉をかけられないように。
「・・・邪魔じゃ、ないんですか?」 もう一度、震える声で聞いてみる。 「俺、邪魔な人間を狭い部屋に泊めるほど、余裕ないよ?」 きっちりいつもと同じ言い方で言ってくれる真山は、嘘をついているようには思えない。
「じゃあ、ここにいていいんですか?」 真山さんの部屋に、真山さんの隣に、いていいんですか?
思い切って、聞きたくても聞けなかった事を聞いてみる。
すると、真山は一瞬辛そうな顔をして、それから軽く目をつぶった。 「・・・お前が、嫌じゃなければね」 いつもよりも、僅かだけれど低い真山の声。 それは、染み入るように柴田の心深くに落ちていく。
真山は、きっと恐れているんだ。 柴田に無理強いをして、嫌がられてしまうことを。 だから答えを全て相手に委ねてしまうんじゃないかと、柴田は思った。
恋愛と他人との関わりが下手なのは、きっとこの人のほうなんだ。
「・・・嫌なわけ、ないじゃないですか」 真山も感じていたのだろうか。 優しい拒絶を。自分の頭だけで作り上げた幻の拒絶を。 「私は、いたいからここにいるんです」 もう一度、柴田は優しく腕を真山に回した。 今度は真山の手も迷いなく柴田の体に添えられる。
体温と、吐息が相手の体に吸収される。 それだけで、落ち着ける私たちはとても単純で平和だ。 不安な時は、抱き合えばいい。 そう教えてくれたのは、やっぱり真山だった。 それも言葉ではなく、態度で。
いつも、いつもそうだったのに。 真山は言葉ではなく、態度で、体で教えてくれたのに。 どうして今頃こんなに不安になったんだろう。
真山を信じていれば、それでいいのに。 真山に信じてもらえれば、それでいいのに。
ぎゅっと少し力を入れて抱きしめる。 頭の上で真山が少し笑った、気がした。 「痛いって」 言葉とはうらはらに、強く抱き返す真山の腕。 柴田は何も言わず、真山の腕に包まれた。
不安は全て、ここにいれば忘れられるから。
「・・・あ」 「どうしたんですか?」 「風呂のお湯・・・出しっぱなしだよ!」 「え?あふれちゃってるんじゃないですか〜?」 「お前のせいだよ!お前の!!」 「ひっどーい!!真山さんが抜けてるからじゃないですかー」 「お前ねー・・・邪魔だよ!帰れ!家帰れ!!しっしっ!!」 「さっきといってること違うじゃないですかー」 「気が変わったの!帰って、ね?」 「帰りませんよーだ」
大切なのは、言葉じゃなくて、気持ち。 信じていれば、きっと大丈夫。
ね?真山さん。
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