32:夕暮れ

 

 

 

午後4時。空一面を紅く染める太陽を、私は一人見つめていた。

真っ赤な夕焼けは、綺麗で、あたたかくって、それでいてどこか、恐い。

理由なんてない。ただ、夕暮れの空を見ていると、泣きたくなる。

大人になった今でも。

 

夕日に手をかざす。

すぐ近くにありそうで、決して届かない太陽。

手を握る。まるで何かを掴むように。

しかし、何もつかめない。

こんな空しさを、私は知っている。

 

 

ぱしん

いつもの衝撃が、頭を直撃する。

振り返ると、そこにいるのは、真山さん。

 

「何してんの?宗教?」

興味なさそうに真山さんが聞いてくる。

「違いますよ」

私は頭をさすりながら、空を見上げる。

「じゃあ何?」

真山さんが煙草に火をつけるライターの音がする。

 

「ただ・・・太陽に手が届かないかなぁと思いまして」

それは独り言の様に、小さな声で。

真山さんには届かなかったのかもしれない。

それでも、私はただ夕日を見つめ続けた。

 

「子供だね」

煙草の煙にまぎれて、真山さんの声がした。

私が振り向くと、あきれたような真山さんの顔。

「太陽までどのくらいの距離があると思ってんの?届くわけないじゃん。常識でしょ?ジョーシキ」

「でも!・・・真山さんは、思ったことないですか?太陽に手が届いたらなぁとか、月が欲しいなぁとか」

「あるわけないじゃん。無理だもん。そんな事。東大で教えてくんなかったの?」

「無理だとかそんなことは置いておいて・・・夢だけでも、みたことないですか?」

「ない」

きっぱりと言い切る真山さんに二の句がつなげない。

 

真山さんが煙草の灰を地面に落とす。

「かなわない夢は見ない主義でね」

「冷めてるんですね」

「現実を見つめてるって言えよ」

「寂しくないですか?」

「どこが?」

「かなわない夢でも、それに向かってひた走ることが人生において張り合いだったりするんじゃないでしょうか?」

「・・・お前さ」

「何ですか?」

真山さんが、じりりと私のほうに一歩近づく。

少し、顔が熱くなる。・・・どうしてかは、わからない振りをするけれど。

 

真山さんの手が、私のほうに伸びてくる。

そして私の頭を、ぽんぽんと撫でているでもなく、叩いているでもなく、微妙な力加減で触る。

すこし怯えながら、真山さんの顔を見ると悲しそうな、嬉しそうな複雑な表情を浮べていた。

「お前、きっと幸せに生きてきたんだね」

「え?」

「きっとさ、大事に育てられてきたんだろうね」

「・・・そんなこと・・・」

急に、真山さんが私の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。

「なにするんですか〜?やめてください〜!!」

私は、必死に真山さんの手から逃れようとする。

うひゃひゃと、真山さんが楽しそうに笑っている。

 

「やめてくださいってば!!」

今度は、すこし強く真山さんに言う。

すると、意外なほどに簡単に、真山さんが手を離した。

その時、真山さんは一瞬、すごく泣きそうな顔をした。

「・・・真山さん?」

私が声をかけると、真山さんは一瞬でいつもの顔に戻った。

 

「お前はさ、幸せになれよ」

 

かすれたような声で、真山さんが呟く。

それは、真山さん自身と比べて言ったのか、それとも沙織さんと私を重ね合わせて言ったのか、よくわからない。

けれども、その言葉にどこか切なく、胸を締め付けられるような感じがした。

 

真山さんの顔を見ることも、私の顔を見られることも恥ずかしくて、また夕日を見上げた。

 

 

真っ赤な夕焼けは、綺麗で、あたたかくって、それでいてどこか、悲しい。

まるで、あなたのようで。

それにいくら伸ばしても届かない、私の手はとても小さくて非力だ。

けれども、真っ赤な夕日は、私にも光を照らしてくれるから。

もう少し、頑張ってみよう。

手を伸ばせば、あなたに届くかもしれない。