28:不思議
真山が風呂を終えて部屋に戻ると、柴田はいつものように真剣に本を読んでいた。 そんな姿を横目で見て、真山は冷蔵庫から持ってきたビールを片手に、ベッドに座る。 ぷしゅっと旨そうな音を立てて缶を空けると、それを一口喉に流し込んだ。 まだ本格的なビールの旨い季節ではないのに、こんなに旨くていいもんかねー? 一人頷いて、真山はまたビールを飲んだ。 それから、足元に一旦ビールを置き、代わりに煙草を手にした。 一本取り出し、火をつけ、肺に吸い込む。 下唇を少し突き出すようにして天井に向けて煙を吐く。 どうしてビールといい、煙草といい、体に悪いものはやめられないくらい旨いんだろう。 真山はゆっくりと昇っていく紫煙を見ながら、そんな事を考えていた。
「・・・何だよ」 「え?」 少し前から、柴田の視線を感じていた。 いつの間にか小説を読むのをやめ、自分を観察でもするような柴田の視線に真山は少し苛ついていた。 「何見てるんだよ、さっきから。俺なんか見てて面白い?」 真山は少し皮肉で言ったつもりだったが、柴田はその言葉に締まりなく笑うと元気よく答えた。 「はい!面白いです!」 もはや怒る気にもなれず、真山は力なく尋ねた。 「・・・どこが?」 「えーっと、見てて飽きないと言いますか」 「・・・は?」 「何を考えてるのか、次に何をするのか全然予想がつかなくって、不思議だなーって」 「・・・それはお前でしょ?」 呆れている様に真山が答えた。 「私ですか?ごく普通で単純じゃないですか?」 「・・・お前が『ごく普通』?本気で言ってんの?それ」 真山の眉間には思いっきり皺が寄っている。 「普通・・・のつもりなんですが・・・」 柴田が気まずそうに真山を見上げた。 「全然ちっとも全く普通じゃないよ?キミ」 「・・・そこまで言わなくてもいいじゃないですかー。なんか私が何処か欠落してる人間みたい・・・」 「そのとおりじゃん。お前は欠落だらけなの。気付いてなかった?」
真山は涼しい顔で酷い事を言う。 いくら鈍い柴田でもさすがにむっとして軽く睨みながら、真山に言った。 「ひっどーい。私のどこが欠落してるっていうんですかー?」 「ん?常識とか清潔感とか思いやりとか。な?」 「・・・・」 柴田は反論したかったけれど、どれも外れてるわけでもない気がして返す言葉がなかった。 そんな柴田を見て、真山はもう一服煙草を吸う。 「ま、気にすんなって。人間なんてさ、どっか欠落してるもんなんだからさ」 もう煙草はいいとばかりに、灰皿に押し付けて真山はまたビールを手にする。 「・・・そうなんですか?」 その動きを目で追いながら柴田は訊いた。 「そうじゃない?多かれ少なかれ、人なんてもんは完璧じゃないでしょ?みんなが完璧だったら、世の中つまんないし」 「・・・はあ」 柴田はよくわかったようなわからないような返事をする。 「問題なのは、欠落してることじゃなくて、欠落してる事を気付かない奴らだよ。 ・・・そうヤツばっかりだから、俺たちの仕事が増えるの。・・・わかる?」 真山が柴田の方を見ると、柴田は真剣な表情で頷いていた。 その姿がおかしくて、真山はふっと笑い、ビールをまた一口飲んだ。
「・・・やっぱり、真山さんは不思議ですね」 「は?どこが?」 「だって、何も考えてなさそうで難しい事考えて・・・いたっ」 柴田が言い終わる前に、真山の手刀が柴田の頭を襲った。 「何も考えてなさそうは余計だよ。馬鹿」 「褒めたんじゃないですか〜・・・」 柴田はまだいててと叩かれた場所を撫でている。 真山は憮然して、またビールを煽った。 缶はもう軽くて、真山は小さく舌打ちをする。
「・・・ねえ、真山さん」 「何?」 不機嫌な顔のまま、柴田のほうを見る。 「真山さんは、どこなんですか?」 「何が?」 真山は空になった缶をべこんと握り締めた。 「真山さんの欠落してる部分。どこですか?」 缶を捨てるためにベッドから立ち上がった真山は、柴田の方さえ見ずに答える。 「ないに決まってんじゃん」 「え?・・・だって真山さんがさっき言ったんじゃないですか・・・『人間は何処か欠落してる』って」 「あー、普通のヤツはね。残念だけど、俺は君とは違うの」 几帳面に分別されているゴミ袋に、真山は空き缶を捨てた。 「そういうところが欠落してると思うんですが・・・」 「・・・なんか言った?」 「いえ」
ゆっくりと真山はベッドの方に戻ってくる。 「えー?でもそれってなんかずるくないですか?」 「何だよ。文句ある?」 「私だけ欠陥だらけで、真山さんは完璧だなんて・・・なんか私惨めです・・・」 柴田は本気で落ち込んでいるらしく、しゅんとうなだれている。
他愛のない冗談でも一喜一憂する柴田を、馬鹿馬鹿しいと思いながら、たまに羨ましく思う。 自分の中の欠落した部分を、柴田にいつも見出す。 俺がどうやっても取り戻せないものを、柴田はすべて持っている気がする。 それは決して取り戻したいものばかりではないけれど。 出来れば、柴田には失って欲しくはないと勝手に思う。
そのままでいい。 これ以上綺麗になる必要も、これ以上汚れる必要もない。
彼女を汚してるのは、他でもない自分だとわかっている。 それでもそのままでいて欲しいと、夢みたいな事を願ってしまう。
「・・・あ、あった。俺の欠落してるっていうか、欠点」 「なんですか?」
「女の趣味。もう、サイアク」 真山はそう言って意地悪く笑うと、手を伸ばして柴田を引き寄せた。 柴田は当然いい気がしなくって、ぷいと横を向く。 「・・・じゃあ、私も最悪ですね。男の人の趣味」 「そう?お前の男の趣味だけは最高だと思うけどね〜」 「真山さんっていっつも自分だけよく言うんですよね」 柴田の指摘がとても的確な気がして、真山は笑った。
「冗談だよ、冗談」 「どのあたりがですか?」 「そこはお前の想像に任せるよ」 柴田はちょっと腑に落ちなかったが、肩に置かれた真山の手が優しいので、もうどうでもよくなってしまった。 ゆっくりと向きを変えて、柴田は自分から真山の首に腕を回した。 真山も柴田をしっかりと抱きしめる。
「・・・私も、自分の男の趣味はいいと思います」 悔しそうに柴田が呟いた。
素直な所、純粋な所、綺麗な所。 俺にはもう、そんなところはないけれど。 柴田がいつも補ってくれる。
欠けた部分をただ埋めるんじゃなくて、その部分に入りこむように、染み込むように。 心の奥まで、満たすように。
柴田が「いい女」だとは死んでも言いたくないけど、 「俺にぴったりな女」とだったら言ってもいいよ。
俺に合う、この世で一人だけの女。
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