26:ハンカチ
「・・・あれ?ハンカチどこだっけ?・・・ま、いっか」
トイレから出た後、真山は自分のハンカチを探したが、見つけられなかった。 しょうがないので、洗った手の水分をぴっぴと飛ばしながら歩いていた。
「あ、真山さ〜ん」 廊下の向こうから、見慣れた馬鹿がやってきた。 「おまえ、こんなところで何やってんの?」 ここは、弐係のある地下三階だがこの方向には男子トイレとあとはボイラー室しかない。 どちらも、柴田には関係のない場所だった。 柴田が視線を微妙にずらした。 「・・・散歩です」 「迷子か」 「・・・」 「どうやったらそんなに迷えるの?ねぇ、柴田サン」 真山が意地悪く言うと、柴田は軽く真山を睨んだ。 「・・・真山さんにはわかんないんですよ。方向音痴の気持ちなんて」 「わかりたくもないね〜」
真山はふざけるようにへらへらと笑ってそう答えると、まだ手に残っていた水を柴田に向かって飛ばした。 「冷たっ!なにするんですか〜!!」 うひゃうひゃと楽しそうに真山は楽しそうに笑っている。 「あれ?真山さん今、トイレから出てきましたよね?・・・まさか、これって水じゃなくって・・・」 「は?何言ってんの?ちゃんと手洗ったに決まってんじゃん。おまえじゃあるまいし」 「そう言って否定する事が怪しい・・・」 「違うって言ってんでしょ?何だよ、その目は」
そう言って真山は柴田を一睨みしながら、さり気なく柴田のコートの肩口で手を拭いた。
「ちょっと真山さん、今私の肩で手を拭きましたよね?」 「え?何のこと?」 「も〜、やめて下さいよー!湿ってるじゃないですかー」 「気にすんなよ。どうせ汚いんだからさ。ね?」 「ひっどーい!!トイレから出て、洗ったか洗ってないかわからない手を拭くなんて・・・」 「だから、洗ったって言ってんじゃん」 「・・・なんか変なにおいがする〜」 「それは元からだって」 「もー!真山さん・・・触らないでください」 「は?」 「汚い手で触って欲しくありません」
おまえの方が汚いじゃん。 真山はそう言おうとしたが、やめた。
「・・・それでいいの?」 「え?」 柴田が顔を上げると、真山がニヤニヤした顔で柴田を見下ろしていた。 「・・・い、いいですよ?当たり前じゃないですか」 「ふうん」 真山の口調は最早、悪戯をする前の子供のようだった。
「そうすれば、もう真山さんに叩かれなくって済むし」 「うん」 「頭も、ぐしゃぐしゃ〜ってされませんしね?」 「そうね」 二人、並んで弐係に向かう。 真山の真意は柴田にはよくわからないが、意地悪をしようとしているのだけはわかった。 けれど、いつもやられてばかりでも癪に障る。 柴田は、精一杯真山の罠にはまらないように応戦する事にした。
「・・・真山さんは、いいんですか?」 「ん?」 「その・・・私に触れることができなくて」 仕事場で、こんな事を言うなんて嫌だった。 嫌だというよりも恥ずかしい。柴田はそう思った。 けれどここは、弐係から少し離れているし、滅多に人が来ない。 少しくらいは、言っても許される気がした。 「別に?手で触んなきゃいいんでしょ?」 真山はまだニヤニヤしている。 「どうやってつっこむんですか?」 「・・・漫才コンビかよ」 「私もボケている自覚はないんですけどね」 「天然だからでしょ?天然」 「あー、これが噂の・・・」 「自分に感動すんじゃないよ、馬鹿」 「いった・・・って、頭突きですか?つっこみ」 「・・・頭突きって、するほうもされる方も痛えから嫌なんだけどね」 「同感です」 「あとは、蹴りもあるし?ツッコミのほうはご心配なく」 「え?女の子蹴るんですか?」 「いくら俺でも女は蹴らないよ」 「でも、さっきツッコミに蹴りを使うって・・・」 「あー、キミもしかして女なの?」 「真山さん・・・」 「わー、初耳」 「・・・わかりました。真山さんの作戦」 「は?」 「あれでしょう?私が手で触るなって言ったから、じゃあもういちゃいちゃして下さらないってことなんでしょう?」 「・・・お前さ、今時『いちゃいちゃ』って言わないよ?普通」 「・・・・・・真山さんのばかぁ・・・」 「何?お前泣いてんの?こんなことで?」 「そりゃ、真山さんにとったら『こんなこと』かもしれませんが、私にとっては・・・」 「柴田、お前ちょっと落ち着け」 「・・・別に、本気で触らないで下さいって言ったわけじゃなくって・・・」 「わかったから泣くなってば。しーばーたー?」 「だって・・・」
柴田が反論しようと顔を上げたその時、真山が柴田にキスをした。 唇が触れるだけのキス。
「!!!真山さん!!」 柴田は顔を真っ赤にして、周りをきょろきょろと見た。 「誰もいないよ」 真山は確信犯的に笑うと、すぐに何もなかったかのように歩き出した。 柴田が呆然とその背中を見つめると、思い出したかのように真山が振り返って言った。
「別に手で触んなくても、キスくらい出来るしね」 いつもの表情で、こんなことの言える真山を柴田は凄いと思った。
柴田は少し距離の開いた真山の元に駆け寄ると、きょろきょろとあたりを見回した。 「何?」 真山が少し振り返って柴田の方を見ると、柴田が赤い顔のまま真山を見た。 「あの・・・もう、変な事言いませんから・・・」 「ん?」 「・・・触って、下さい」 「は!?」 「真山さんの手で、私にちゃんと触って下さい」 まだ、真山のように平然とそういうことが言えなくて、柴田は少し悔しかった。
真山は苦笑いをして、少し周りを見た。 「・・・柴田、お前さ」 「はい?」 「エロいよ」 あんまり真山が嬉しそうに笑うので、柴田は恥ずかしくなって顔を更に赤くした。 「・・・す、すみません・・・」 俯いて、恥ずかしそうに柴田が謝ると真山の手がゆっくりと柴田の頬を包んで、顔を自分のほうに向けた。 「褒めてんだけど?」 「・・・え?」 柴田は、どんな顔をしたらいいのか分からなくて困ったが、すぐに真山の顔が近づいてきたので目を瞑る事にした。
頬と、首のあたりに感じるゴツゴツした真山の手の感じは、もうきっと柴田にとってなくてはならない感触なんだと 頭のどこかが冷静に判断した。 そう、このキスと同じくらい不可欠なもの。
「・・・柴田」 「はい?」 「お前のコート、やっぱり臭いよ。洗えって」 「・・・はい」
それから、キスをしたあとに頭を撫でてくれるこの仕草も。 不可欠で、必要なもの。
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