23:濡れた髪
突然の通り雨だった。 それまでは天気がよかったのに、急に一帯を襲った雨はまるでスコールのようで。 手ぶらが常で、傘なんて持つことのない真山は、勿論全身濡れてしまった。 いつもの馬鹿みたいに重い鞄に折り畳み傘を入れていた柴田も、傘を出すタイミングが分からなくてこちらも全身濡れてしまった。
「馬鹿。何で傘あるなら出さないんだよ、馬鹿」 「そんなに馬鹿馬鹿言わないで下さいよ〜」 「馬鹿だから、馬鹿って言ってんだよ。馬鹿」 「だって・・・傘を出すタイミングがですね、分からなかったんですってば」 「だから、何なんだよ?その『タイミング』って。雨が降ってきたら傘させばいいじゃん」 「だって急じゃなかったですか、雨。それに真山さん傘持ってらっしゃらなかったし・・・」 「俺が傘持ってなかったのと何の関係があんの?」 「悪いじゃないですか。一人だけ傘に入るの」 「何、おまえ。一人だけ傘に入ろうとしてたの?」 「え?・・・あ、真山さん相合傘したかったんですか?」 「違う。濡れたくなかったんだよ」 「あー、すみません。私気がつかなくって・・・そっかぁ、相合傘したかったのかー」 「ねぇ、人の話聞いてる?」
まだお昼過ぎで場所が近かったために、二人は警視庁に戻った。 「あーあー。どうしたん?あんたたち」 弐係で二人を出迎えた彩はびっくりして目を丸くした。 「雨に降られたんです〜」 玄関で十分スカートやコートを絞っては来たが、柴田はまだぽたぽたと水滴をたらしながら歩いている。 「あー!柴田ちょっと待ちや!そのまま歩いたら弐係びっちょびちょになってまうやんかー」 「あー、そうですね。・・・どうしましょ?」 「もー、しゃあないな。ちょっと待っとき?」 二人のやり取りを横目に、真山はすたすたと自分の席について、背広を脱いでいた。
彩が自分のデスクのキャビネットをがらりと開けて、そこからタオルとドライヤーを取り出した。 「・・・なんでそんな物が・・・」 近藤が彩に聞こえないように呟く。 「オンナはいつ何があるかわからんからな」 彩がぎろりと近藤を一睨みして、それを持って柴田の方に歩いていった。
彩はばさりとタオルを柴田の頭からかぶせた。 「あ、すみません・・・」 柴田がお礼を言って、わしゃわしゃと不器用に頭を拭いた。 真山はワイシャツまで脱いでいた。それを絞って近藤に軽く注意されたが、気にとめている様子はない。 「真山さん!アンタ裸でうろうろせんでくれる?レディーの前やで?」 「は?レディー?どこに?」 「・・・むかつくわぁ。タオル貸したろうと思ったけど、やーめた」 「お?タオル貸してくれんの?悪いねー」 「人の話聞てへんやろ?アンタ・・・」 彩はため息をつきながらも、真山のほうにタオルを一枚投げてやった。
「んがっ!!」 急に、本棚の奥から妙な声がした。 しかし、弐係の一同は慣れているので特に反応はしない。 のっそりのその声の主は現れるが、それでも誰もその人物に興味がないようだ。 「うあ!!東大ちゃん、なんでそんなに濡れとんねん?」 「あ、金次郎さん。通り雨に逢いまして・・・」 声を掛けられて柴田がようやく金太郎に顔を向けた。 「金太郎やっちゅーねん。いつになったら覚えてくれんのや・・・」 太郎は一人拗ねるように言ったが、もう名前を間違えられるのは慣れているはずなので、きっと口だけだろう。
金太郎はそのまま、柴田を見た。 濡れた白いブラウスは肌に張り付いて、免疫のない金太郎は少しドキッとした。 それに、いつもぼさぼさの髪の毛。 染めていない柴田の髪の毛は、濡れていることによって漆黒の艶を醸し出していた。 白い首筋に張り付く少しの髪の毛の束に、金太郎の視線は停まった。
「・・・どうかしましたか?」 柴田の声で金太郎がはっと我に帰る。 「い、いや・・・その、アレやなぁ・・・濡れた髪ってなんとも言えない色香がありますなぁ」 しどろもどろになりながら、金太郎はそれでも正直に言った。 「どうしたん?金太郎?・・・アンタまさか」 金太郎の発言に驚いた彩が口を挟む。 「・・・はい?」 柴田はぽかんと二人を交互に見る。 金太郎はぶんぶんと勢い良く首を振る。 「まさか!ちゃいますよ・・・ただ、普段とのギャップにちょっとびっくりしただけですわ・・・」 慌てて否定する金太郎に彩は満足そうに頷いた。 「あんまヘンな事いうと・・・真山さんに殺されるで?気ぃつけや」 小さく彩が囁き、それからちらりと真山を見た。 彩の目から見た真山は、無表情に見えた。
「柴田、髪の毛乾かしたるわ。ここに座り?」 彩は、明るい声で柴田に言った。 「わー!いいんですか〜?」 柴田はニコニコと嬉しそうに彩の椅子に掛ける。 「私ね、人に頭乾かしてもらうの好きなんです〜」 その言葉に、真山は少しだけ柴田の方を向いたが、すぐに目を逸らした。 「そーなん?アタシ、上手いんやでー。ドライヤー。昔ちょっとな、知り合いのオバちゃんの美容院でバイトしとった事があってなー」 彩は勝手にコピー機のコンセントを外し、ドライヤーのコンセントを挿した。
ドライヤーがゴーっと低い音を立てる。 彩は非常に手際よく、柴田の髪を乾かしている。 柴田はうっとりと目を閉じて彩の手に身を委ねている。 「どうや?柴田。気持ちええやろー。彩さんのドライヤー」 「そうですねー。ちょっと眠くなっちゃいます・・・」 柴田が本当に眠そうに答えると、彩が嬉しそうに笑った。 「そうやろ、そうやろ。彩さんが一番やろ?」 「・・・あー、でも」 「ん?どっか気に入らんとこでもあるん?」 「いえ・・・別に不満というわけでもないんですけど・・・」 「じゃあ何よ?ちゃっちゃと言い」
「真山さんがやってくれるのも好きなんで、どっちが一番かは言えませんねー」
一瞬だけ、弐係に重い沈黙が流れる。 「・・・柴田、アンタ・・・」 彩があきれたように口を開いた。 「あーそっか。真山さんの手が大きいからですかねー」 無意識に凄い事を言う柴田に彩は何も言えず、真山のほうを見た。 いつもなら、即座にこの手の発言を否定する真山なのに、今日は珍しく黙っている。
「・・・柴田」 少ししてようやく真山の口が開いた。 「なんですか?」 のんきなのは、この場でこの女ただ一人。 「柴田カカリチョー、俺帰るわ」 「え?まだ定時前ですけど?」 「こんなに濡れてちゃさ、風邪ひくでしょ?キミと違って繊細なの、ボク」 「ええー?だってまだ今日行きたいところが・・・」 そう言って拗ねる柴田の顔にタオルが飛んでくる。 「木戸、ありがとな。タオル」 「もー!!真山さーん、私の顔に投げないで下さいよー!!」 「アンタ、ちゃんと洗って返しぃよ。常識やろ?」
真山は全ての発言を無視して、濡れたシャツを着て、背広を羽織る。 「じゃーね」 「あ、待ってくださーい。私も・・・」 柴田はそう言って、彩の方をちらりと見た。 「すみません、私も今日は帰ります」 「・・・そうやなー。ちゃんと帰ってお風呂入ったほうがええわ」 「はい。そうさせてもらいます」 柴田はそう言うと、いつもの鞄を手にした。 それから、あっと言って自分の髪の毛を拭いていたタオルと、さっき真山が投げたタオルを鞄にしまう。 「これ、ちゃんと洗ってお返ししますね」 柴田はにこっと笑うと、ぱたぱたとせわしく真山の後を追った。
エレベーターが閉まって、上に昇っていった事を確認すると、後に残された彩・近藤・金太郎の三人はほっとしたようにため息をついた。 「・・・なんか、アレですなぁ」 「今日の真山さん、少しいつもと違いましたね」 「あー、そらアレやろ・・・・アンタのせいやで?金太郎」 「え!?わしでっか?」 「そ。アンタが柴田も色気あるとか言うから・・・」 「いや、でもそない深い意味は・・・」 「私も遠山君の気持ちわかりましたよ。色っぽかったですよね、柴田さん」 「でしょ?近藤さんもそう思いはりますよね!?」 「まー、わからんでもないけど・・・でもアレで真山さん予防線張ったんやで?きっと」 「・・・『予防線』ってなんでっか?」 「気付けへんかった?柴田の『真山さんのドライヤーが好き発言』を止めへんかったり、柴田連れて帰ったり・・・」 「それが、『予防線』なんですか?」 「そ。アレやん『人のオンナに手ぇ出すなよ』っちゅーことやろ?」 「・・・ああ、なるほど・・・そうっすなー」 「さすが木戸さん」 「・・・まあな」
彩は煙草を一本取り出し、火をつける。 柴田にドライヤーをしてあげる真山を思い浮かべた。 ちょっと可笑しくて、でもとてもほほえましい光景で。 彩は一人ひっそりと笑うのであった。
そして大方の予想通り、次の日に仲良く揃って風邪をひいてくる二人に、弐係の人々は最早何も言えなかったという。
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