22:光
真山の部屋。 そこにあるのはゆらゆらと上がる細い紫煙のみ。 男は、ベッドに腰掛けながらただ黙って煙草を吸っていた。 女は、ベッドに横たわってただ黙って男の背中をじっと見つめていた。
「真山さん」 女の声が沈黙を破る。 酷く澄んだ、けれども小さな声だ。 けれどもそれでよいのだ。 この部屋には、この女と男しかいないのだから。 「何だよ」 男も、さほど大きくない声で答えた。
そのやり取りは、まるでこの世にこの男とこの女しか存在してないかのようだった。
女の白い手が、男の背中に触れる。 「真山さんって、私のどこが一番好きですか?」 げっほげっほ 男が急にむせた。 煙草の灰を、近くにあったビール缶に押し付けて、女のほうを振り返る。 「は?何言ってんの、お前」 「何って、素朴な疑問です」
女の目は、いつでも真っ直ぐ男を見つめる。 男は、この眼差しが好きだった。 これはきっと、心に何かある人間には出来ない目。 とても綺麗で、透き通った魂を持つ、この女のような類の人間しか出来ない眼差しであったから。 そんな女を、自分の手で汚している事に悦びと、同時に罪悪感がある。 そんなことに気付かせてくれる、この眼差しが男はとても好きだった。
今、問われている質問の答えをまさに今考えながら、そんなことを素直に言えない男は、話をはぐらかす。
「・・・じゃあお前は?」 冷めた口調で聞いてみる。 どうやっても、この男に甘い囁きは出来そうになかった。 「え・・・?私ですか?」 男が目線を離さなければ、二人の目線は絡み合ったままだ。 女は目線を絡ませたまま、ゆっくりと起き上がった。 そして男の筋肉質の背中に、ぎゅっと抱きつく。 「内緒です」 「何ソレ」 男が遠くを見つめてフッと笑った。 「自分が答えられないもんを、人に聞くんじゃないよ」 男がぺちんと自分の肩の上にある女の額を叩いた。 女がいたたと呟きながらそれでも少し笑っているのが雰囲気だけでわかった。
「・・・そろそろ寝るか」 男が、自分の体に巻きついてる女の白い腕をそっと掴んだ。 「そういえば、なんだか眠くなってきました」 女が男から少し離れた。男はゆっくりと体勢を代え、ベッドにもぐりこんだ。 「・・・真山さん」 女のかすかな声が、男の鼓膜を揺らす。 「ちょっと・・・あっち向いててもらえます?」 女は、自分に背を向けるように男に指示をすると、寝転んだまま男の背中に抱きついた。 「何だよ?今日は後ろから抱きつく日?」 男は、目じりに皺を寄せて優しく笑った。 「だって、気持ちいいんです。真山さんの背中」 女が長い睫毛を伏せた。その感じが背中から伝わって男は少しくすぐったそうだ。 「何か・・・何でもいいから話してください」 「何をだよ?」 「何でもいいんです。昔話でも、未来の話でも」 「未来の話、ねぇ・・・」 男は苦笑した。 いつからか、未来を思う時、必ずそばにいるのはこの女で。 それはきっと、自分の中ではゆるぎない確かな未来。 けれども、そんなこと女に向かって言えるはずもなく、ただそっと自分の胸にある希望なのだ。 この女にさえ話せない、大切な大切なたった一つのひかり。 それはきっと、自分を生かせてくれるひかり。 未来から、そのまた未来へと自分の道を照らしてくれる運命のひかり。
この女がそばにいること。それだけが、自分の生きる希望なのだ。
そんな自分が可笑しくて、けれども悪くないとクスリと笑った。 「あ、なにか楽しいこと思い出しました?」 女のかすかな声が、背中の振動を伝わって来る。 「楽しいのかねぇ」 「え?何がですか?ずるーい。私にも教えて下さいよ〜」 「・・・そのうちな」 「絶対ですよ?」 「嫌でも、お前はきっと知ることになるよ」 「・・・え?」 男の背中に添えられて女の手が、少し緊張していた。 男は、それがわかってもう一度クスリと笑った。
「何でもいいんだっけ?なんか話せ〜ってのは」 声のトーンを変えて、男は少しふざけた口調で女に尋ねた。 「え?あ、はい。何でもいいです。何か話してください」 もう一度、女が男の背中に密着した。 「じゃあ・・・『じゅげむじゅげむごこうのすりきれ・・・』」 「何ですか?それ」 「ん?お前知らないの?人の名前だよ」 「え?どこまでが苗字なんでしょうか?というか、日本人ですか?」 「日本人。もし、この『じゅげむ』さんが殺人事件に巻き込まれたら名前覚えてないとお前、困るでしょ?」 「え?じゃあその方管轄内にお住まいなんですか?」 「まぁ、江戸だから管轄内だろうね」 「さすが真山さん。何でもご存知なんですね〜」 「惚れ直した?」 「はい!」 「・・・そんな素直に答えんなよ・・・」 「あれ?真山さん心なしか耳が赤いですよ?」 「うるさいよ!よ〜し、いいか『じゅげむじゅげむ』気合い入れて覚えろよ?」 「はい。記憶力には自信がありますから!」
ふざけた笑い話でもいい。 痛い、懺悔の話でもいい。 あなたの話をきかせて。 出来る事なら、一晩中。
私が好きなのは、あなたの声だから。 隠さずに、真実を語ってくれるあなたの声。 私をいつも導いてくれるあなたの声。
それはまるで、私を導くひかり。
あなたの声は、低くて。まるでとろけるようで。 私の芯に溶けていく。
できれば、もっと話して 私の大好きな、あなたの声で あなたの歴史も、まだ見ぬ明日も。
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