21:涙
コイツの涙を見るのなんて、嫌に決まっている。 それでも、時々。 好きなように泣かせてやりたい。 そう思うのは優しさだろうか。 それとも俺の勝手な驕りだろうか。
俺の傍でしかきっとコイツは泣けないだろうというのは、俺の思い込みだろうか。
「柴田」 「・・・」 「しーばーたー」 「・・・」 ばしっと音を立てて柴田の頭を叩く。 「いたっ・・・何するんですか?」 叩かれてようやく柴田の意識がこっちに向く。 「さっきっから呼んでるんですけど?」 「あ、すみません。少しボーっとしてました・・・」 「ぼーっとしてるのは、いつものことでしょ?風呂、先に入って来いよ」 「あー、私今日は、お風呂いいです」 「今日はいいですじゃないよ。風呂は毎日入るものなの!」 「え・・・でも・・・」 「いいから。入って来い」 「・・・はい・・・」 柴田は納得していなさそうな返事を小さくして、ゆっくりと立ち上がった。 俺はその背中を黙って見送る。
狭い部屋なので、柴田が風呂のドアを開ける音がここまで聞こえる。 俺は大きくため息をついた。
こんな風に時々、柴田は酷く無表情にこの部屋にいるときがある。 置物のように、じっと動かず、ただそこにいるだけ。 初めはよくわからなかった。 柴田がなぜそんな状態になりながらも、ここに来るのか。
何か無言で俺に求めているのかとも思った。 一度だけ、訊いたことがある。 「俺にどうして欲しいの?」 柴田は不思議そうに俺の顔を見て「さぁ」と首をかしげた。 こんな時に嘘をつく人間ではない。 自分でも無意識に柴田はうちに来ているのだ。
小さな体に、自分でもわからない色々な気持ちを抱えて、 無意識のうちにでもここにくる柴田に、俺は何をしてやれるのだろうか。
狭い部屋、風呂場位しか一人になれるところはないだろうから、まずはそこに一人にして。 そうすれば自然と、柴田は考えるだろうから。 自分のこと、自分の気持ち。 ここを逃げ場所にするか、安息の地にするかは柴田が決めることだから。
「そろそろか?」 俺は誰にともなく呟く。 煙草二本分。 ゆっくりと立ち上がり、それから風呂に向かう。
掠れたガラスの向こうに呼びかける。 「柴田」 ちゃぷんと水音がした。 「・・・なんですか?」 風呂場の反響のせいか、いつもと違う風に聞こえる柴田の声。 「どうする?」 「・・・はい?」 俺は、柴田はきっといつもの不思議そうな顔をしているんだろうと思った。 「このまま一人にして欲しい?それとも・・・」 「・・・真山さん」 俺の言葉を遮って、柴田が俺の名を呼ぶ。 「何?」 俺は柴田の言葉の続きを待った。 しかし、柴田は何も言わない。 俺は、小さくため息をついて風呂場の扉を開ける。 湿った温かい空気が一気に流れ込んできた。 そのまま、風呂場に入っていく。 少し濡れている浴槽の淵に腰を掛けた。 「・・・真山さ・・・」 やっぱり、柴田は泣いていた。 半分だけ顔を水面から出して、声もなく柴田は泣いていたのだ。 頭をぐしゃりと撫でると、柴田がゆっくりと顔を上げる。 「なんか・・・よく・・・わかんな・・・けど・・・」 柴田の顔は涙とお湯でぐちゃぐちゃだ。 「柴田」 俺が名前を呼ぶと、それが合図のように柴田の腕がこちらに伸びてきた。 柴田の腕が俺の首に回る。 俺も腕を伸ばして柴田を強く抱いた。 濡れた柴田の体から、俺のシャツが水を吸って張り付く。 普段なら不快に感じるであろうその感覚も全く気にならなかった。
俺の首筋に唇を押し付けた柴田の呻き声のような泣き声が聞こえた。 理由もわからずに柴田が泣きたくなるのは当然だ。 いつも、馬鹿みたいに全てを溜め込んでいる柴田だから。
逃げ場でもいい。休息の地でもいい。 それが、お前に必要ならば。 ここを好きに使えばいい。
いくらでも泣けばいい。 お前の涙は本当に嫌だけど。 もしも、ここしか泣く場所がないのなら。 思う存分泣けばいい。
ここ以外に泣くところがあるとしても、出来ればここで泣いて欲しいよ。 俺のエゴでも驕りでも構わない。 お前が泣く場所はここしかないんだと信じたいんだよ、俺は。
お前の涙を見るのが嫌だと言っておきながら、 俺はきっとお前の涙で何かを確認しているのかもしれないな。
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