2:今
俺は、ずっと過去を生きてきた。 虐待されていた過去。罪を犯せなかった過去。 そして、君と一緒にいた過去。
弁護士になろうと思ったのも、将来の為じゃない。 あの時、俺を置き去りにした母親に認めてもらいたかったから。 ごめんよって謝って欲しかったから。
何年も君に会えず、辛いこともたくさんあった。 でも、そんな時俺をいつも励ましてくれたのは、あのクスの木で君がくれた言葉の数々だった。
俺は過去を支えに、過去に復讐する為に生きてきたんだ。ずっと。
それなのに。
病院の屋上で、俺は君に真実を話したね。 多摩川で、人を殺したこと。 あの火傷を負った少女の母親を殺したこと。 それから、奈緒子さんも殺してしまったこと。
本当は、言うつもりじゃなかった。 だって俺が一番恐れるのは、どんなに深い闇よりも、君に嫌われる事なのだから。
でも、実はそれを望んでいたのかもしれない。 たくさんの罪を犯して、のうのうと生きていけるほど俺は馬鹿ではない。 たくさんの罪を背負って生きていけるほど、俺は賢くもないのだ。
俺は死のうと決めていた。 罪と、過去。そして君への想いと決別する為に。
だから、俺は君に嫌われたかったのかもしれない。 そうして、心残りなく死んでいこうと思ったのかもしれない。
それなのに。
君は俺の手を握ってくれた。 俺の目を見つめてくれた。 そして言ってくれた。 「行こう」って。
何故?何故そんなことを言うんだ。 俺が言ったこと、理解しているのか? 俺は人を殺したんだ。 悪いことをしたんだ。 叱ればいい。 大声で罵って、叩いて、暗いところに閉じ込めて置き去りにすればいい。 お母ちゃんはいつもそうしていたよ? どうして俺のことを怒らない? どうして俺にお仕置きをしない? 悪いことをしたんだ。 俺は悪い子なんだ。 悪い子は嫌いだよってお母ちゃんはいつも言ってたよ。
君は何故俺の手を握っているんだ? 悪いことをした俺に、どうして優しくしてくれるの? 悪い子でもいいの? どんな俺でも、君は受け入れてくれるというの? どんな俺でも、一緒にいてくれるの? どんな暗い場所でも、一緒に行ってくれるの?
優希、君はやっぱり僕の女神だ。 過去を生きている俺に、過去にとらわれている俺に、初めて今を生きたいと思わせてくれた。 過去なんて知らない。 未来なんてわからない。 俺の罪も、辛い過去も全て忘れて ただ、君と今一緒にいられればいい。 そうして手を握ってくれているだけでいい。 君の体温を感じられることが、俺が今を生きている証拠だから。
看護婦の、君を呼ぶ声がする。 ああ、よかった。 このままこうしていたら、きっと君を連れて行きたくなったに違いない。
優希、ありがとう。 でも、君と一緒にはいれない。 俺はやっぱり死ぬしかないんだ。 独りで、死んでいくしか道はないんだ。
君と一緒にいれればどんなに幸せだろう けれども、それだけは出来ないよ。
君にはまだ、未来がある。 今までの分もしっかり幸せにならなくちゃいけない。 俺にはそれをあげられないから。 一緒にいても、他の人が感じている幸せをあげることが出来ないから。
やっぱり、独りで逝くよ。
ありがとう、優希。 やっと「今」を生きることが出来たよ。 君の、温かい掌のおかげで。
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