16:田んぼ 

 

 

 

 

真山の部屋のベッドの上、洗い髪から雫が滴っている柴田が横になって調書を読んでいた。

いつものようにぺらぺらとめくり、まだ濡れている髪をぽりぽりと掻く。

いつもならそのまま熱中して次々とページをめくる柴田だったが、今日は少し様子が違っていた。

 

「はぁ・・・」

大きなため息をついて、そのままベッドに顔を埋めた。

それから、足を大きくばたばたと水泳のようにばたつかせる。

終いには、顔を埋めたまま篭った声で「うう〜」とうめき声を上げた。

 

べちん。

 

そんな柴田の頭を真山の掌が襲う。

「お前さ、髪濡れたままそんなことしたら布団が濡れるでしょ?」

今しがた入浴を終えた真山がビール片手に文句を言った。

柴田がその声に反応するようにゆっくりと寝返りを打った。

「まやまさぁ〜ん・・・」

甘えたような、助けを求めるような柴田の声に真山は顔をしかめ、自分の首にかけていたタオルを柴田めがけて投げる。

「髪の毛、ちゃんと乾かせって。風邪ひくじゃん。な?」

柴田の助けを求める声に答えるのが嫌なのか、それとも単純に心配してなのか。

真山はもっともらしい注意で柴田の発言を無視する。

 

柴田は仕方なしにもそもそと起き上がると、ベッドの上にぺたんと座りタオルで髪をぐしゃぐしゃと拭いた。

真山がその隣に座るとベッドはぎしりと音を立てる。

ぐびぐびと機嫌良さそうにビールを飲む真山と対照的に柴田はため息をつきながら頭を拭いている。

それを見た真山が、今度はため息をついた。

 

無言で柴田の手からタオルを奪うと、真山は少し乱暴に柴田の髪を拭きはじめた。

「・・・すみません」

口ではそう言いながら、柴田はどこか嬉しそうだ。

もちろん、柴田がこうしてもらうのが好きな事を真山は知っている。

「・・・で?」

「はい?」

柴田はうっとりと目を閉じたまま聞き返す。

「何があった?」

「え?・・・真山さん?」

「なんかあったんでしょ?さっきからため息ばっかりつきやがって」

「あ、気付いてました?」

「普通、気付くでしょ。あれだけ盛大にやられたらさ」

「・・・すみません」

今度こそ柴田は反省した態度で「すみません」を言った。

柴田の頭の上で真山のため息が聞こえる。

「すみませんじゃなくってさ、原因何だよ」

「え?」

「・・・だから、ため息の原因」

「ああ・・・そっちですか」

「他にどっちがあるんだよ。・・・聞いて欲しいんでしょ?」

「いえ・・・いわれても真山さんが困るだけな内容ですから・・・」

「もう、十分困ってるよ」

「え?」

「横にいる女がさぁ、ため息ばっかついたら困るでしょう。普通」

「・・・なるほど」

「ね?」

そう言うと、真山は柴田の肩を掴んでぐるりと回転させ、自分と向き合わせた。

 

「はい、どーそ」

少し軽い口調の真山に、柴田は何故か照れてしまう。

「あ・・・いや、でも・・・」

顔を赤くしてうつむく柴田の頭を真山がペちんと叩く。

「早く言えって」

いつの間に持ってきたんだろうか。真山は唇に煙草を咥えている。

煙草に火をつけるときに真山が下を向く癖を知っていたので、柴田はその時を待って真山と目が合わないうちに話し始めた。

 

「今ね・・・ピンチなんです」

「ピンチ?」

「はい。なんか・・・こう・・・全然ひらめかないんですよ」

「何が?」

「例えば、事件のトリックとか、アリバイとか・・・その他諸々」

「ああ、要はスランプってこと?」

「そう、それです!スランプ」

「なるほどね・・・」

 

だから、ここ数日、捜査に連れ出されることがなかったのか。

真山は煙を吐き出しながら、軽く頷いた。

 

「・・・真山さんは」

「ん?」

「真山さんはどうしますか?スランプのとき」

「俺?」

「はい」

「スランプになるようなことなんてねぇもん。お前みたいに推理する事なんてないし」

「あー、そっか・・・でも、ありません?何をやっても上手く行かないときって」

「ないね」

「えー?一回くらいあったでしょう?」

「ってかさ、あんまり過去は振り返らない主義だから、俺」

「ええ〜?・・・じゃあ、仮にスランプになったとして、真山さんならどうしますか?」

「さぁ?どうもしないんじゃない?」

「もー、ちゃんと考えて下さいよ〜」

「だから、スランプが過ぎてくまで何もしないってこと」

「あ、そういうことですか」

 

「そ。だって何しても上手く行かないんでしょ?だったら何もしない方がいいじゃん」

「・・・・」

真山の言葉に、柴田は少し考え込んだ。

 

「別に刑事って職業にこだわってるわけじゃないし?田舎にでも言って田んぼ耕して生活するけどね、俺は」

そう言って真山は煙を吐き出した。

柴田にかからないように斜め上を見上げて煙を吐くのは、柴田の好きな仕草の一つなのだか、今の柴田には見えていなかったようだ。

 

少しだけ考え込んでいた柴田が、静かに口を開く。

「・・・やっぱり、真山さんは強いですね」

「は?」

「だって・・・私なら怖いです。そんなの」

真山は黙って柴田を見た。

何かに怯えているような柴田が、いつもより小さく見える。

「このままずっと・・・スランプのままじゃないかって、怖くて怖くて足掻いてしまうんです」

柴田の細い腕が自らの体をぎゅっと抱いた。

「だってきっと、私から推理力を取ったら何も残らないから・・・」

真山は黙って煙草を吸う。

煙草の先が赤く、じりりと焼けていた。

「そんなに・・・真山さんみたいに堂々としてられないです」

 

そして、少しの沈黙。

煙草の灰の部分が長くなっているのを見て、真山が灰皿を取りに立ち上がった。

柴田は少しだけ顔を上げてその動きを見ていた。

 

「お前の方が強いよ」

後頭部と顎のあたりしか見えない真山が呟いた。

「・・・え?」

「そうやってさ、スランプから逃げないで戦うお前の方が強いと思うよ。俺は」

真山の一言がやけに切なく柴田の胸に響く。

「俺はきっと逃げる事しか出来ねぇよ」

「・・・真山さん・・・」

振り向いた真山の顔は、いつもどおりの真山で柴田はそれが余計切なかった。

 

少し短くなった煙草を持った真山がベッドに座ると、柴田は後ろから抱きついた。

真山はそれを嫌がったりも、喜んだりもしない。

「まぁ、頑張れば?」

柴田はこくりと頷いた。

声には出さなかったが、真山の方に頭を押し付けてる格好になっているので真山もその反応が分かったはずだ。

「もがいてもがいてもがいて・・・どうにもならなかった時は、慰めてやるからさ」

「ホントですか?」

柴田がそう聞き返すと、真山が笑ったのが雰囲気でわかった。

「うん。セックスしたり?」

「真山さん!!」

 

柴田が口だけで怒って、それからキスをした。

きっとスランプも逃げていくような、長いキス。

 

それが終わると、真山がぼそりと言った。

「お前から推理力とったって、別にお前じゃなくなるわけじゃないんだし」

それから軽く抱きしめて。

「俺はお前がお前であれば、それでいい」

飛び切りの甘い文句にも、男の切ない本音にも聞こえるその言葉を聞いて柴田は幸せそうに微笑んだ。

 

・・・たまにはスランプもいいかもしれない、な。