15:蕎麦 

 

 

 

 

「お蕎麦ですかー。久しぶりで何をいただこうか迷っちゃいますねー」

「おばちゃーん、天ざる一つ」

「あ、待って下さいよー。私まだ決めてないんですから」

「何だよ、早く決めろよ」

「えーっと・・・温かい方と冷たい方・・・どっちがいいですかね?」

「俺に聞くなよ!」

 

 

「はい、おまちどー。天ざるとざるそばね」

人の良さそうなおばちゃんが二人の前にそばを置く。

柴田はそれを「ありがとうございます」と言って、真山は「どーもね」と言って受け取った。

「あー、天ざるって天ぷら付きのざるそばのことなんですかー」

柴田が、真山のほうを見て言った。

「ジョーシキでしょ?ジョーシキ」

「おそばは出前で頼むものでしたから・・・知りませんでした」

「何それ?オジョーサマの嫌味?」

「いえ、そういうわけでは・・・」

「黙って食え、ね?」

「はい。いただきまーす」

ぱしんと柴田がわりばしを割った。

真ん中からきれいに割れなくて、柴田は少し落ち込んだ。

ふと真山のわりばしを覗くと、真山のわりばしはやっぱりきれいに真ん中から割れていて、柴田はまた落ち込んでしまった。

 

そんな柴田の様子を真山は視界のはしっこでとらえる。

柴田にわからないようにひょいと片一方の眉毛を上げた。

さて、どうしたものか。

真山は、一気にそばをずずずっとすすった。

 

「何、お前。わさび入れないの?」

柴田の目の前の薬味入れは、わさびがそのまま残っていた。

「苦手なんですよ、わさび。鼻につーんと来る感じが」

「馬鹿だねー。そこが美味いんじゃん。そばにわさび入れないヤツなんて聞いたことないよ」

そう言うと、真山はおもむろに柴田のそばちょこにわさびを入れた。

「えっ!?真山さん、勝手に何してるんですか?」

「ん?お前にそばの本当の旨さを教えてやろうと思って」

真山は自分の箸で柴田のそばつゆとわさびを満遍なくかき回す。

「真山さん、やめてください〜!!私わさびだめなんですってっばぁ〜」

「好き嫌い言ってると大きくなれないよ?」

「もうオトナですから結構です!!」

「え?君オトナ?まだまだ成長すべき部分あるんじゃないの?」

「成長・・・きゃっ!!どこ見てるんですか!?セクハラですよ?訴えますよ?」

「それじゃあなぁ・・・せっかくお前の旦那様?が、お前見つけてもそれじゃあきっとガッカリだよ?」

「『ガッカリ』ですか・・・?」

「そうそう。帰っちゃうよ?おとぎの国に」

「え〜?そんなの困ります〜」

「でしょ?じゃあちゃんと食わなきゃ。ね?」

「はい・・・」

 

真山に上手いこと(?)丸め込まれて、柴田はわさび入りのそばつゆをじっと見た。

それでも助けを求めるように真山の方を一回ちらりと見たが、あごでくいっと食べるように促され、仕方なさそうにそばを口に運ぶ。

ちゅるちゅる。

育ちのいいせいか、それとも一応女性であるためか。柴田は上品にそばをすする。

「・・・どう?旨いでしょ?」

勝ち誇ったような顔の真山が柴田に聞いた。

柴田は顔を上げて頷きかけたが・・・一瞬で顔を歪ませぶんぶんと首を横に振った。

時間差でわさびが鼻につーんと来たのだろう。

「ん〜!!!」

呻き声をあげて、柴田はお冷を一気に飲む。

真山はその姿を見て心底楽しそうに笑った。

 

「・・・笑い事じゃありませんよー」

柴田が目に涙を溜めて、真山を軽く睨んだ。

「何、泣いてんの?」

真山は非常に嬉しそうだ。

「だってぇ、わさびが鼻に・・・」

柴田は鼻時を出した小学生のように天井の方を向いて首のあたりをとんとんと叩いている。

「真山さん、酷いです」

そう言われて、真山は嬉しそうに笑った。

 

「あー、もう!!おそばこんなに残ってるのにもう食べれないじゃないですかー」

少し復活した様子の柴田がぷりぷりと怒っている。

「じゃあちょうだい。もったいないから。ね?」

真山は柴田の返事も聞かずに、半分ほど残っている柴田のざるそばを自分のざるの中に入れた。

「・・・初めからそれが狙いですね?」

「まさか。お前が食べないって言うからでしょ?」

平然と答える真山に柴田はほっぺたを膨らませて怒っている。

 

「査定・・・覚えてて下さいね」

ぽつりと柴田が呟いた。

「何?おまえ権力乱用じゃん。訴えるよ?」

「どうぞ?それくらい私の怒りが深いってことです」

柴田はそっぽを向いている。

そばごときでそんなに怒る事ないだろうと真山は軽く笑った。

「柴田」

「なんですか!?」

語尾がつっけんどんな柴田の返事。

「しょうがねーなー。てんぷら、一個だけやるよ」

真山のその一言に柴田が勢い良くこっちを向きなおした。

「ホントですか!?」

柴田は、さっきとは見違えるように目がきらきらしている。

「一個だけだぞ?」

真山は笑いをこらえて、てんぷらの中から一つ箸でつまんだ。

「え!?おいものてんぷらですか?」

「・・・何だよ?不満?」

真山の言葉に、柴田はとんでもないと慌てて答える。

「私ね、てんぷらの中でおいもが一番好きなんですよ〜」

幸せそうに微笑むと、柴田はあーんと大きく口を開けた。

「普通さ、海老天とかじゃないの?」

真山が柴田の口の中にいも天を放り込む。

「ほうらんれすか?」

「・・・ね、口の中にモノがあるときに喋らないで」

真山はそう言ってお冷を一気に飲み干すと、店員を呼んで水を注いでもらっていた。

 

やっと口の中を空にした柴田が真山に話しかける。

「珍しいんですかね?おいものてんぷらが一番好きなのって」

「さぁ?俺も好きだけどね、いも天」

「ですよね!」

「でも一番じゃねぇなー」

「えー?美味しいじゃないですか。おいも」

「屁、出るよ?」

「え!」

「嫁入り前の娘が屁。うわー、はしたない。やだねー」

「し、しませんよー!!人前では・・・」

「とか何とか言って、こっそりしてるんじゃねえの?すかしっぺとか」

「もー、真山さんやめて下さいよー。お食事中に」

柴田が眉をひそめて言った瞬間、真山の動きが止まった。

 

「・・・真山さん?」

ふと目が合った。

「・・・いや」

先に目を逸らしたのは真山だった。

その動作に柴田は少しだけ不安になった。

それを感じ取って、真山がもう一度柴田の方を見る。

 

「沙織にさ、昔よく言われたよ。・・・『ご飯の時にそんな汚い話しないで』ってね」

真山が軽く笑った。

無理している、悲しい笑い方だった。

 

柴田が口を開こうとした瞬間、そば屋の店員が新しいそばつゆとそばちょこを持ってきてくれた。

真山がさっき頼んでくれたらしい。

ほらよ、と言って柴田の前にそばちょこを置いてくれる真山の手を柴田は見つめて、言った。

 

「・・・私、沙織さんじゃありません」

 

真山は返事をしなかった。

「・・・食えよ」

ただそう言って、自分もそばをすすり始めた。

柴田もそっと箸を伸ばして、真山のざるの中からそばを少しとった。

 

 

ずるずるずる。

ちゅるちゅるちゅる。

 

 

今日食べているのがそばでよかったと思った。

ご飯ものだったら、きっと沈黙に耐えられなかっただろう。

ラーメンのような温かい麺だったら、延びないようにと素早く食べなければならなかったのだろう。

 

沈黙にならず、急がなくてもいいおそばでよかった。

真山の顔を見ることが出来ない柴田は、ゆっくりと音を立ててそばをすすった。

味なんて、わからなかった。

これでわさびが入っていたら、泣いてもわさびのせいに出来たのに。

そんなくだらない事を密かに思った。

 

 

「・・・わかってるよ」

沈黙を破ったのは、真山だった。

急な真山の言葉に、柴田がびくりと反応をする。

「お前は、沙織じゃない。俺の妹じゃない」

柴田はその言葉を真山がどんな顔で言っているのか少し怖くて顔を上げないまま頷いた。

「しばた」

真山が名を呼んだ。

いつもの呼び名なのに、何処か優しい呼び方で。

その声に、柴田は思わず顔を上げる。

そこにあったのは、声と同じくらい優しい真山の顔。

「・・・お前は、柴田だよ」

「・・・・・・はい」

やっと一言、柴田が返す。

 

 

真山がもう一度笑った。

柴田の好きな、くしゃっとした笑顔で。

 

 

「蕎麦湯でも飲んでくか?」

「あ、いいですねー。私大好きです。蕎麦湯」

 

 

あの会話に特に意味なんてないのかもしれない。

それでも、柴田はきっと忘れない。

わさびが入ったそばの味を。

自分の事を優しく呼んだ真山の声を。

くしゃっと笑った、あの笑顔を。

 

きっとそれは、優しい思い出として。