11:札束 

 

 

 

 

街は、そんなに簡単に暗闇を作りはしない。

夜が来ても、必ず何処かの家に明かりは灯っているし、人が集まる店の明かりも賑やかだ。

 

笙一郎はそんな街に、どこか安堵感を覚え、そしてどこか嫌悪感を抱く。

そして猛烈な孤独感を。

 

窓際に立ち、煙草をくゆらせながら笙一郎は窓の外を眺めた。

明々と温かそうに見える家々の窓。

あれは昔、笙一郎が欲したもの。

贅沢なんか望んだ事は一切ない。

彼が欲しかったのはお金や、それで買えるものなどではなかった。

そう、彼が欲しかったのは簡単に手に入るようで一番手の届かないもの。

 

外が暗いせいで、窓ガラスが鏡のように自分の顔を映す。

笙一郎は、鏡に映った自分の顔をじっと見た。

小さいころ、父親そっくりだと母親に幾度となく言われたその顔。

それでも彼や、彼の母親を知っている優希に言わせると「そっくりな母子」らしい。

 

そんな自分の顔を見て、笙一郎は寂しそうに微笑み、それから顔を歪めた。

ゆっくりと後ろを振り向いて自分の部屋を見ると、テーブルの上に無造作に札束が置いてある。

笙一郎は顔を歪めたまま、ゆっくりとテーブルに向かって歩き始めた。

 

札束の脇に置いた灰皿に煙草を置く。

用意していた黒い鞄を小脇に抱えると、笙一郎は札束をその鞄に詰め始めた。

 

思い出すのは、数々の記憶。

様々な人間。

新しい記憶。古い記憶。色々だけど、どれも悲しい。

 

 

初めて殺した人。

ぼくの女神。

この金を奪うために騙した人。

赤い口紅をつけた若い頃の母。

二番目に殺した愚かな母親。

昔の自分。

資格のある梁平。

 

 

長い前髪の下で、笙一郎は涙を必死に堪えていた。

 

お金なんて。

お金なんていらないはずだったのに。

 

おかあちゃんがぼくにくれたもの。

それはお金。

僕を置いていく時の机の上の一万円札。

双海病院に入院させるための入院費。

貰う度に、とても切なくなった。

欲しいのは、こんなものじゃないのに。

 

たった一言、言って欲しいだけなのだ。

ぼくの問に、迷わず答えて欲しいだけなのだ。

 

 

弁護士になったのは、困った人を助けたいなどという殊勝な気持ちからなどでは一切なかった。

お金持ちになりたかった。

母親からはこれ以上そんな意味のないものを貰わないように。

ただ、それだけだったんだ。

 

でも今は、母親の気持ちが少しわかる気がする。

生きていく上で、お金は必要だから。

自分も、もし誰かに何かを残せるとしたら、それはお金だけなのかもしれない。

お金しか、残せないかもしれない。

だからといって、あの時の母親の育て方が正しいとは思わないけれど。

 

 

 

ねぇ、おかあちゃん。

僕はもうすぐ死ぬんだって。

一回だけ、お医者さんに診て貰った。

当たり前か。

人を殺したんだ。二人も。

悪い事をしたから、きっとその天罰が下ったんだよね?

 

でも、死にたくないよ。

痛いんだ。胸がとても痛い。

苦しいんだ。時々息が出来なくなる。

おかしな話だけど、こういう風になって初めて生きてるんだって思ったよ。

 

苦しくても痛くても我慢するよ。

生きたいんだ。

だってまだ何も言ってもらってない。

おかあちゃんに何も言ってもらってないんだ。

謝って欲しいわけじゃない。

あの頃聞きたかった言葉をやっぱり僕は今でも待っているんだ。

あの頃聞けなかった質問の答えをやっぱり僕は今でも聞けないでいるんだ。

 

僕は、暗いところが苦手で。

暗いところよりも怖いものがあるなんて思ってなかった。

でも、今わかったよ。

暗闇に向かっていく道こそが、暗闇よりも怖い事を。

終わりに向かっていくことこそが、真の終わりなんだ。

 

だったら自分の手で終わらせたい。

一旦終わってしまえば、また始められる。

どんどん終わりに近づいて行くよりはましだから。

どうすればいいか、よくわからないけど。

きっとおかあちゃんが知っているはず。

僕を、この世に生んだのはおかあちゃんだから。

 

 

ねぇ、おかあちゃん。

愛されないことを知りながら生きるのと、愛されないことを知らずに死ぬのはどちらが悲しいんだろう。

ぼくの人生に何か意味はあったんだろうか。

母親ですら、産んだ事を忘れた人間。

おかあちゃんにも、そして唯一心から愛した女性にすら、お金しか残せない人間。

そのために、汚いやり方でお金を手に入れる人間。

そんな人間にはなりたくないはずだったのに。

いつの間にかそんな人間になっている自分を、もう自分でも愛せない。

 

母親にも、自分にも。誰からも愛されない人間なんて、生まれてこないほうがよかった。

 

 

いつの間にか、笙一郎の瞳から涙が零れていた。

それはぽろぽろと表現するよりも、だあだあととどめなく流れる涙。

まるで、傷口から血を流している様だった。

溜りに溜ったどす黒い血がやっと表に出てきてるように。

 

笙一郎は、まるで子供のようにシャツでその涙を拭った。

母親に愛されなかった悲しみ。

人を殺した罪悪感。

お金を騙し取った後ろめたさ。

もうすぐ死んでしまう恐怖感。

愛する人に想いを告げる資格のない苦悩。

一人の人間が抱えるには重すぎてしまった、全ての想いを抱えて、笙一郎は泣いた。

 

声を出すことも出来ずに。

ただ、涙を流して泣いた。

差し伸べられる手なんてない事を、自分を守る手なんてない事を知っていたから。

 

 

おかあちゃん。

最後に聞かせて。

 

「僕なんて産まなければよかった?」

 

ぼくを産んだ事を忘れている今のおかあちゃんでは、きっと答えられないだろうけれど。

それでも待ってるんだ。

「お前を産んでよかったよ」

そう言われる日が来る事を。

 

 

笙一郎はもう一度シャツで涙を拭うと、灰皿に置いたままにしていた煙草を咥えた。

深呼吸の代わりに、煙草を吸うのはもう子供の頃からの癖だった。

不意に、子供の頃を思い出した。

ジラフと、優希と三人で毎日過ごしたあの病院。

「優希・・・ジラフ・・・」

彼らがいるから、ここまで生きてきたけれど。

もう、限界だ。

 

「・・・ありがとう」

二人に、心からお礼を言った。

 

 

まだ、そう言える心が残っているうちに。

早く、終わりにしなければ。

さようなら、優希。梁平。

・・・さようなら。